14 二人の夜 三
これまで
今の時代、自分たちと同年代ごろの若者なら、何かしらSNSなどを利用しているだろう。名前を検索すればそれがヒットする可能性はゼロではない。
とはいえ、彼女がそうしたものを利用しているイメージは湧かなかったのだが、ダメ元で調べてみたところ――こちらはなんと、意外な収穫があった。
カスカ本人についてではないが、『日逃』という姓が検索にヒットしたのである。
どうやら日逃という名前、テロリストの家系らしいのだ。
それも、あの戦後直後に起こった集団
その動機とは、日本を外国人の、進駐軍の手に渡すまいとしたもので、進駐軍やその血縁者たちに及ぶ呪いをかけた。それにより人々は鬼化、当時の世界は混沌の巷と化した。そこに現れた
そもそもこの日逃という一族もまた〝烏月領〟の人間だったらしい。呪いもまた想術の一種で、だからこそ機関の人間は鬼に対処するすべを持っているのだ。この関係性はあとあと取り沙汰され、全ては機関の陰謀だったのではという、いつの世でも囁かれる陰謀論が持ち上がったことも過去にはあるようだ。
機関はそれに対し、「日逃は烏月領を離反し、独自に行動を起こした」と回答している。戦争という一大事に対する組織内での向き合い方の違いが、日逃の裏切りのきっかけになった模様。
烏月領には人とは異なる特殊な力を持ったがゆえ世間を離れ、表に出ない形でその力を活かして世に貢献するというスローガンというか行動理念のようなものがあり、国の大事である戦争に対して烏月領は「干渉しない」とする決断を下した。
一方、日逃は自分たちの持つ力を使えば、戦争を国の有利に運ぶことができるのではないかと訴えていたらしい。要するに日逃は傍観を決め込んだ組織に業を煮やし、敗戦後、せめて国土を敵から取り返そうとして鬼化事件を起こした――とまあ、ここまでが歴史の授業で習ったことがあるような、ないような気のする、日逃に関する情報だ。
テロリストとはいったが、戦後の動乱期以降、日逃は目立った活動はしていない。少なくとも明確なかたちでは確認されていない。
一年前の事件など、戦後もたびたび起こっている鬼に関わる大きな事件、特に原因が特定されていないケースにおいて容疑者の筆頭にこそ上がるが、確たる証拠はないという。
ただし、その名は世界的に指名手配されるほど響き渡っている悪名だ。現代日本の一般人にはあまり浸透していないかもしれないが、冗談で名乗れるものではない。
日逃幽。彼女はいったい何者なのだろう。
鬼化事件の主犯……日逃……。本人かは知れないが、「幽」と呼ばれる人物が学校にいたことは間違いなく、その場で鬼の発生する事件が起こったのも事実だ。
偶然その場にいたとは、さすがに思い難い。
まさか、〝本物〟なのだろうか?
それに加えて――
「……あの人、俺のこと知ってるみたいだった」
俺、というより、このヤワタリイツギを。
調べたことを簡易的に書き記したページを今一度確認して、別のページに書いた自分の現状や身の回りで起こったこと、汐見の話をまとめた項目に目を通す。
後ろの窓からカーテン越しに射し込む外の明かりがあるので、手近のものならこの暗がりの中でもよく見える。新しいページを広げた。
機関、日逃。この二つを結び付けてみる。そしてもうひとつ、機関がヤワタリイツギを追っていたことも書き加え、線でつないだ。
――裏切り者。
この発想は、当たらずも遠からずではないかと思う。
ヤワタリイツギが機関の人間だとするなら、日逃の名を冠する少女と接点があることは問題ではないか。汐見の話を考慮するなら、二人は単なる顔見知りではなく、なんらかの協力関係にあるように思える。
テロリストと親交があるヤワタリイツギの存在が機関に知られたらどうなるだろう。というか、情報漏洩の証拠でも掴まれたのかもしれない。そう考えるとヤワタリイツギが機関の人間に追われていることにも納得が出来る。
裏切り者。夜の学校で出くわしたあの姿の見えない青年は最終的に自分を殺そうとしていたが、最初は汐見を人質に、動くなとこちらを牽制した。これはヤワタリイツギをすぐには殺さず、捕えて日逃との関係性を吐かせようと思ったからでは……? と、今では思う。
一方で、機関とはまた別の一派なのか、ヤワタリイツギに協力する人間もいる。
日逃を除けば、最低ふたり。
鬼退治の終わりに汐見の前に現れたという少女と、彼女にカナエと呼ばれた黒服の男だ。このふたりもまた日逃の人間かもしれないが……いずれにしろ、両者とも汐見に刀を向けている。今の自分には信用できない。
「刀……、あのカナエって人も持ってたよな。あいつも機関の人間か?」
刀=機関の人間、というのは早計だろうか。
「まあどっちにしても、たぶん同じ〝裏切り者〟になるんだろうなこの場合。こっちに味方してるんだし。それにしてもあの人、鬼退治ほったらかしてどこ行ったんだよ……」
そのくせ景史がピンチに陥った時には颯爽と駆けつけてくれた――学校からあとをつけていたのか?
「……少なくとも、ヤワタリイツギの味方なのは間違いない――中身が別人だと知っても、助けてくれるかは怪しいが」
あの青年にそうしたように、ヤワタリイツギを装って近づくという手も思いついたが、本人じゃないのだから今度はさすがにボロが出るだろうし、機関にも、例のふたりにもあまり接触しないのが賢明だろう。というか接触の仕方が分からない。市内にあるという支部に出頭でもするか? 事情を説明すれば協力してくれるかも――なんて、そんな甘い考えに時間を費やすのはいい加減やめにしよう。
「……はあ。なんというか、周りは敵だらけ。見えなくても、姿を消して近付いてきてるかもしれないから常に気を張ってなきゃいけない、か」
ただ、ここまではまだヤワタリイツギの現状として推測されるものであって、今の自分はもっと厄介なことに巻き込まれているのかもしれない。
たとえば――身を隠し続けることに限界を感じたヤワタリイツギは、機関の追手から逃れる方法を考えついた。
自分は死んだことにすればいいのではないか。それも、機関の手にかかって死んでしまえばいい。
そのため……ほとんど魔法といってもいい想術を使って、赤の他人と入れ替わることにした。
自分は他人の身体を使って生き延びるが、その他人にはヤワタリイツギとして死んでもらう。
――つまり、
……我ながらやや現実味に欠ける考えかもしれないが、可能性はないとも言い切れない。あの眼鏡の青年も同様の考えに至ったのか、それらしいことを言っていた。彼はヤワタリイツギの異変を察していた様子だった。しかしその上で中身など関係なく殺害しようとしていた。とにかくヤワタリの死が重要のようだった。
「……こう考えると、機関に助けを求めても仕方ないのかもしれない。自力で元の身体に戻らないことには、俺に救いはない……」
元の身体――本当のヤワタリイツギは今、どこで何をしているのか。
学校で鬼を退治し汐見を助け、それからどこへ消えた?
順当に考えるなら――保健室で気を失っている景史の身体に、何かをしたのだ。そうして入れ替わった。
そうなると、状況証拠はある可能性を示し出す。
ソーマもまた、今回の件に関わっているかもしれない――
「くそ……。あいつと連絡がとれれば……。でも携帯の番号とか覚えてないし……」
あるいは、穏原景史の身体を使っているヤワタリイツギになら……景史の携帯になら、連絡をとれるかもしれないが――試してみる価値はあるかもしれない。しかし望みは薄そうだ。下手をすると、逆に利用されてこちらの居場所を機関に伝えられる恐れもある。なにせ相手は、景史を〝生贄〟にしようとしているのだから。
「ほんと、どうしろってんだよもう……」
いろいろ調べて、考えて分かったのは、自分が思っているよりも数倍複雑な状況におかれているかもしれないということだ。気が滅入って仕方ない。
ほんとうに、参る。
ノートを膝の上に置いたまま、ソファに沈みこんで暗い天井を見上げた。公園で寝入ってしまったせいか眠気は来ないが横になればすぐに寝付けるくらいには疲労がたまっている。でもまだ眠るわけにはいかない。考えるべきことはたくさんある。考えたくないこともたくさんある。
現状を把握したとは言い切れないが、ある程度の推測が立った今、明確になったことが一つだけ。
それは、自分はここにいるべきではないということだ。
――少なくとも、汐見の近くにいるのはマズい。
自分を取り巻くこの状況がこれから先、どこにどう転ぶか分からないのに、汐見を巻き込むわけにはいかないと思う。
現に先ほど汐見はまた殺されかけたのだ。彼女のことを考えるなら、自分はこの家を出ていくべきだ。あの青年もこの家の場所を突き止めやってくるかもしれないし、また汐見を人質にとられる恐れもある。目的が殺人という時点で彼らならなんでもやりかねない。
最悪、ことに及んだあとに目撃者の汐見を消すことだってありうる。彼女は一人暮らしだし証拠隠滅は容易い。
汐見とは明日出かける約束をしている。だが実は夜のうちにこの家を出ようかと考えていた。汐見が寝静まるのを待つ間、出来る限りの情報を集めてから出ようとこうして作業に没頭していた。
――というのは、言い訳か。
本当は、出ていきたくない。一人に戻りたくない。そんな甘えや弱さがあって、だからずるずると居座り続けているだけだ。
せめて自分にどんなことがあっても彼女を守れるだけの強さがあれば、もう少し堂々と居座ることが出来るのに。まあ他人の家なのでさすがにいつまでもいるのはどうかと思うが。
想術の才能は肉体的なもののようだし、これでも一応ヤワタリイツギの身体なのだから今の自分にも何かしら出来ることはないだろうか。ないか。いや、でも、刀を投げられた時にとっさに反応できたのはこのお陰か? なんにせよ、確証のないものにすがって汐見を危険にさらすべきじゃない。
自分にとって一番大事なことは何か? 優先すべきものは何か? 目指すべきものは?
答えは――もう決まっているだろう。
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