8 情報共有 二




 とんとんと、リズミカルな包丁の音だけが響いている。


「あ、そうだ、私からもきいていい? カスカって知ってる? 女の人っぽいんだけど」


「……カスカ?」


 顔を上げる。一瞬意識が落ちかけていた。


「カスカって――」


 聞いたことがある――汐見しおみから意外な名前が出てきて、すぐには自分の思う彼女かどうか分からなかったが、とりあえず一番に浮かんだ名前を口にした。


日逃ひのがれかすか……?」


「知ってるの?」


 包丁を止めて彼女が振り向いた。表情が、眼差しが、普段とは違う真剣さを滲ませていたから答えたかったのだが、生憎と知ってるのは名前だけだ。それも、さっき本人が名乗った。


「公園にいたの……? 嘘、もしかしてストーカーされてるのかな、私……。なんかね、一年近くいっしょにいたとかなんとか……あの時に言ってて」


「あの時って……?」


「鬼に襲われてた時」


 料理に戻りながら、汐見が答える。


 なんとなくスルーしていたが、その時のことについても詳しく聞いておいた方がいいかもしれない。鬼退治というやつも具体的なイメージが湧かないし。


「詳しくって言われても……なんか妙なタイミングで穏原おだわらくんが現れて、なんだろうなぁ、私のことストーカーしてたのかなぁとか思って、とりあえず鬼から逃げて、教室から飛び降りて……中庭で……」


 やはりいろいろ突っ込みたいところもあったが、肝心なのは中庭に入ってからだ。鬼に捕まった汐見は黒服の男に助けられた。容姿からして、恐らく不良集団に絡まれた景史を助けたのと同じ人物。名前かどうかは知らないが、〝姿の見えない声〟から『カナエ』と呼ばれていた。


 男は汐見を殺そうとした。そこに、今の景史、この身体の主が現れた。


 そいつは男から汐見を庇い追い払ったそうだが、必ずしも男と敵対しているわけではない様子だったという。男の方も敵意を向けるわけでもなく、自ら身を引いた。


「その人、ホウキとかガラスの破片つかって、ぴかーってなって、どかーんって感じで……」


「えーっと……?」


「冗談だよ。笑えばいいのに」


 何が面白いのか分からないんですけど。とりあえず笑顔を作っておく。家主には逆らえない。


「なんだろうね、同じ顔なのに……」


 汐見は話の途中、ちらりとこちらを振り返って、


「中身が穏原くんだと幻滅しちゃうよね」


「……そうですか」


「イメージが違うっていうか、笑ってる顔もなんか違うんだよね。穏原くん感が滲み出てて。これ以上その人のこと幻滅したくないから、出来るだけ無表情でね」


「……あのー、話の続きいいですかー」


「えっと、どこまで話したっけ……あ、そうそう。血とか出しててね、穏原くんのその左手の包帯もそのせいだと思う」


 握手したのはそれを確認するためだったのか。結構痛かったし、あのあと見てみたら包帯に血が滲んでいた。


 とりあえず、見たままを語られた結果、思わず擬音を使いたくなるほど仕組みのよく分からない戦いだったらしいことが分かった。触れない敵にダメージを与える。それこそ機関が今もって社会的優位を保っている理由だろう。


「鬼についての解説はあったんだけどね。さっきの、カスカって呼ばれてた人から」


 鬼というものについて漠然とした、一般レベルの知識こそあったが、恐らく日逃幽だろう姿の見えない人物はより専門的な情報を有していたようだ。


「じゃ、ご飯にしようか」


 と、話も一段落したところで、汐見がフライパンで炒めていたやたらと赤さの目立つ野菜炒めを皿に盛る。

 夕飯はレトルトの白米に味噌汁、ハンバーグに、缶詰のイワシを添えた野菜炒め。とりあえずお肉と魚と野菜を夕食には加えることにしているらしい。それだけ聞くと手料理という感じがするのだが、彼女が作ったのは野菜炒めだけである。まあ文句は言うまい。


 文句は……、


「辛っ!」


「えー、そう? ていうか、ご馳走になってる身なのに文句とか言わないでよ」


「……だってほんとにこれ辛いんですけど……赤いんですけど……。何入れたらこう……」


「キムチのタレ。だって美味しいし。入れない?」


 どれだけ入れたらこんなに辛くなるんだろう。口直しに味噌汁に手をつけた。噴き出しそうになった。こっちは塩辛い。市販のものなのに。今度は何入れた。


「いちいちうるさいな……。料理なんて調味料と歯応えさえあればなんでもいいでしょ?」


「……この家で生活してたら早死にするかもしれない」


 ご飯とハンバーグ、それからイワシは無事だ。汐見はハンバーグにも何か赤いものをかけてるが、こっちは食卓の上にあるケチャップを使わせてもらった。それにしても食卓中央には調味料が豊富に置かれている。中でも塩と醤油、例の赤いやつの減りが目立つ。


「せっかく人がひと手間かけたっていうのにねー、こういう時ってマズくても美味しいって言うものだよねー……」


 汐見が何かぶつぶつ呟いているが、こういうのはちゃんと言っておかないと健康に関わる。


「まあいいや。えっと……鬼退治の話なんだけどね。カスカって人のこともそうだけど、ここから先については異特の人にも話してないんだけど」


 鬼退治の、続き。このヤワタリイツギのその後。


異特いとくの人にはどこへともなく去っていったって言ったんだけど、あの人、いつぎさん、ぶっ倒れたんだよね、急に。死んだのかと思ったよ。金縛りも解けたからいつぎさんの様子でも見に行こうとしたら……」


 少女が現れたのだという。


 黒い髪を伸ばした幼い印象のある少女。なぜか男子の制服を着ていたらしいが、声からして恐らく少女、しかも黒服の男を追い払った〝姿の見えない声〟の主だろうと汐見は言う。


「三度目だよ。また死ぬかと思った」


 少女は刀を持っていて、汐見にその刃先を向けた。ヤワタリイツギに駆け寄ろうとした直前、唐突に目の前に現れた彼女はたしかに殺意を持っていた。


「なんだろうね、殺す気満々みたいだったけど、時間がなかったのか、それとも私の後ろにまだカスカって人がいたのか、出た時と同じく突然消えたよ。いつぎさんも一緒にね」


 その後、中庭からは完全に人の気配が消え去り、汐見が安堵して座り込んだところ、数人の教師たちがやってきて保健室で手当てを受けた。

 怪我自体は自分で作った擦り傷と足が軽く捻挫していたくらいで、鬼に捕まれた首には痣が出来ていたが、それも今はだいぶ薄れているという。実際景史けいしも言われて初めて痣があることに気付いたくらいだ。


「この痣、〝さわり〟っていうらしいんだけど。人によってはなかなか消えなかったり重症になることもあるんだって。なんか、鬼の悪い〝気〟に触れて汚染されたとかなんとか」


 首にうっすらと残る手形のようなものをさすってみせるが、汐見にはまったく気にしている様子もなければ、やっぱりどこか他人事のようだった。


「知ってるかもしれないけど、やられたのは私だけで、他に被害者はいなかったみたい。鬼の影響で気を失った人とかはいるみたいだけど、視える人とそうじゃない人がいたみたいで、そもそも何が起きてるのかも分からずに避難したりね。視える先生たちがいて、その先生たちの迅速な対応が良かったとか言ってた気がする。お陰であまり大事にはならなかったけど、鬼の発生で学校の空気が悪くなったらしくて、しばらくお休みだって」


 そうか、いろいろあって視界が狭くなっていたのかもしれない。鬼の一件は自分たちだけじゃなく、社会規模の問題なのだ。だから何が変わるというわけでもないが、少し意識しておいた方がいいか。

 なにせ自分を追っていると思われる相手は、警察ほどでないにしても国際的な影響力すら有する組織、異象いしょう対策特務機関なんだから。


「まあ話せることといったらこれくらいかな。今日あったことはこれで全部。……それで? 穏原くんはこの話を聞いて、これからどうするつもり?」


「どうするって……、」


「え? 何も考えてないの? なにか考えがあって話を聞きたかったんじゃないの? ……馬鹿なの?」


「そんな本気で呆れなくても……。ちゃんと考えてるから。まずはえっと、学校に行こうと」


「学校お休みって今さっき言ったばかりだよね。馬鹿なの?」


「いやいや、そもそもこの顔でふつうに登校できないし、休みじゃなくても行けないよ。そうじゃなくて……名前は分かってるんだ、こいつの。ヤワタリイツギについて調べる。学校なら名簿とかあるだろうし。まあ学校休みだと、仮にクラスとか分かっても交友関係を当たるのが難しくなるけど……」


 しかし都合のいいこともある。たしか鬼が発現した時に廊下の窓が割れたはずだ。あそこから校内に侵入できる。そういう特殊な休みなら夜勤の教師もいないだろう。


「犯人は現場に戻るっていうし、いつぎさんが戻ってる可能性も否定できないね。まずは学校。うん、穏原くんにしてはいいアイディア。深夜の学校かぁ……なんかわくわくする響き。そうと決まれば早速準備しなきゃ」


「うん。……うん? 深夜? いや、なにもこれから行くつもりは。別に、明日でも……、」


「明日は用事があるから。いくなら今夜にしようよ。善は急げっていうし」


「予定があるなら俺ひとりで行くけど……。というか別についてこなくても」


「協力するって言ったよね、もう忘れたの? だから私もついていく。それと、明日は穏原くんにも付き合ってもらうから、行くなら今夜がいい。分かった?」


「分かりはしたけど理解したとは言い難い……」


 まあ日中に出歩くよりも深夜の方が顔を見られるリスクは少ないだろうし、職員室から名簿を探すにしても夜の方が相応しい……か? 後ろめたさは増すばかりだが、さすがに白昼堂々と職員室に忍び込んで机やら何やらを漁る度胸はない。


「じゃあ早くご飯食べちゃおうか」


 汐見はなんだか楽しそうだった。



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