7 情報共有 一
今更だとは思ったが、汐見に自分の置かれていると考えられる現状を一応説明してみたところ、「ふうん」だとか、「お腹空いてきたかな……」なんて、気が抜けるような答えばかりが返ってきた。
学校帰りに謎の集団に襲われたり、どうやら自宅に黒服が訪ねてきたらしいこと、一緒にいれば汐見の身も危険に晒されるかもしれないと言っているのに、どうにも彼女には危機感がないというか、どこか他人事といった様子だ。
こちらまでなんだか心配するほどのことでもないのかなと思えてきて、帰り道の後半はお互いに口もきかなかった。
不思議と静寂は苦にならない。他に考えたいこともあったし、少しだけ心地よくすらあったからだ。
汐見の家は公園からそう遠くないところにある住宅街の中、特に変哲もない一軒家だった。ただし、ひと気がない。明かりのついた住宅に囲まれているのに、そこだけぽっかりと穴が開いたように暗かった。
自分の家じゃないが、帰っても誰もいない家というのは初めての経験で、思わず足が止まってしまった。汐見は自然だった。歩みを止めず、玄関に向かう。
「……どうしたの? 見れば分かると思うけど、親いないから大丈夫だよ。だからって何かしていいってわけじゃないからね。あと、家のものに勝手に触らないように」
「……あ、あぁ、うん」
そうか、これが彼女の日常なのか。明かりのない家。これが当たり前なのか。
「……えっと、ご両親は……」
「死んだよ」
鍵を開けて、ドアを開く。聞かなければよかった。素っ気ない返事に、心が冷えた。
「ご飯、適当なものでいい?」
「……え? あ、う……うん。なんでも……」
何か作ってくれるのか。手料理? マジ? と、そのことにも動揺したが、あの話の直後にそんな会話をする彼女に戸惑いを隠せなかった。それはもう自然なことで、慣れきってしまったことだからなのか。でも、どうしてそんな他人事のように。
時折笑顔こそ見せるが、思えば彼女が怒ったり泣いたりするところを見たことがない。まあそこまでの深い関係でもないし、学校で涙を見せるものもそうそういないとは思うが。
ただ、少しだけ怖くなる。
――彼女は何も感じていないんじゃないか。
「じゃあその辺に座ってて」
電気を点けながらリビングに進んでいって、汐見は奥にある階段から二階に上った。着替えるのだろう。明かりの下で見た彼女の制服はところどころ破れていた。
言われた通りその辺に座り、手持ち無沙汰から部屋の中を見回してみる。テレビやソファ、テーブルと、特に変わったところはない。ただ、リビングとキッチンとが繋がっているせいもあるのかもしれないが、やけに広く感じられた。テーブルを挟んで二、三人掛けのソファが向かい合うように並んでいるリビング。この家に彼女ひとりということが寂しさを助長させるのだろうか。
静かだ。じっとしていると、やがて階段を降りる足音が聞こえてきた。
「……で、何してるの?」
飾り気のないラフな部屋着に着替えてきた彼女から見下ろされる。
「……いや、勝手に家のものに触るなって言われてたから」
「だから床に座ってるんだ。ふうん、いい心がけだと思うけど……馬鹿なの? ソファくらい使ってもいいよ。私、そこまで心せまくないから。まあいいや、そこ座って」
促されたのはキッチンにある食卓だ。汐見は冷蔵庫の中を覗いて夕食の準備を始めた。椅子に座ってその様子を眺めていると、
「で、私に何ききたいの? 一応言っておくけど、私ただの被害者だからね。知ってることなんてそんなにないよ。事情聴取だってことの成り行きをきかれて、私はきかれたことに答えただけだから」
「じゃあ……機関の人ってどんな人だった? それと、何か手伝うことある?」
「手伝われると邪魔になりそうだから。というか手伝うことも特にないしね。えっと、どんな人と言われても、普通の……ごめん、訂正。あれは普通じゃないかも。三人いて、一人はオカマの人で、もう一人はやたらと目つき悪かった。名前とかは言ってなかったから、分かることはこれくらい」
「もう一人は女の子だった?」
「うん、知ってるの?」
三人組。恐らくあのとき出くわした三人組だろう。自宅を訪ねてきたと思われる。
「そうそう、その三人だけど、
「……うん? え? 鬼退治したのってその三人組じゃなかったの?」
「あれ? 知らないの?」
「知らないっていうか……職員室前でやられてから、俺は意識を失ってたみたいで……気付いたら保健室だよ。目が覚めた時には汐見さんはもういなくて、事情聴取うけてたって聞いて」
「……保健室? 私も鬼が消えたあと駆けつけてきた先生たちに保健室つれてかれたけど……穏原くんなんかいたかなぁ……?」
それだとまるで自分が存在感薄いように聞こえるのだが。普通に悪口に思えてきた。
「あぁそういえば、穏原くんについても訊かれたね。こっちは名指しだった。事情を聞きたいからって、最後に。もののついでって感じかな。でも知るわけないし。その時には穏原くん今の身体になってたんなら、見つからなくて良かったね。同じ部屋にいたのに気付かなかったあの人たちも間抜けだけど」
レンジがチンと鳴る。ご飯出しといて、と言われたので、温められたパックの白米を取り出した。お椀に移すのかと思えば、洗うの面倒だからと、入れ物をそのまま使うらしい。そもそもご飯も炊くのが面倒だからとレトルトにしているし、彼女は案外ルーズなのかもしれない。
「話戻すけど、鬼退治したのは今の穏原くんの身体の人。中の人は関係ないけど、まあその人に助けてもらったわけだし、だからこうして一宿一飯の、なの。意味違うけど」
道理で彼女は自分から話しかけてきたのか。別に顔がタイプだったからとかじゃなく。少し安心したが、しかしそうなると……、
「じゃあこいつもあの場にいた……? 制服も着てるし同じ学校……?」
「少なくとも同級生じゃないよね、見たことないし。たぶん、三年生? 見た目はそんな感じだよね。でも……学校で見かけたら気付きそうなものなんだけど」
「……?」
その言い方だとまるで、以前からこの顔を知っていたかのような――
「そうだ、その人の名前とか知らないの? 便宜上、名前がないとややこしいし。穏原くんのせいでね」
「俺のせいにしないでくれるかな……。さっきも話したけど、変な連中に絡まれた時にその中の一人が俺のことを『ヤワタリイツギ』って呼んでた。あの時は人違いかと思ったんだけど、たぶんこの身体の名前なんだと思う」
「やわたりさん。いつぎさん。うーん……。どう呼ぼう?」
なんだか複雑な心境だ。
「今になって気になったけど、あの三人、穏原くんのことはフルネームで知ってたんだよね。私みたいにただ被害者から事情を聞くっていうより……もっと個人的なことを聞こうとしてたような」
それは一年前の件が理由だろうか。あの時も機関の人間から聴取を受けた。
「女の子……オカマの人じゃなくてね。同年代ぽかったし、女の子でいいよね。その子なんか特に、まるで容疑者を追ってる刑事みたいだったよ。穏原くん、何かしたの? 何かしてそうだよね、人に告白して忘れるくらいだし」
「はい……? いや……、」
した覚えはないが、あの三人が自宅に来たのだとしたら……学校で先生たちから住所を聞いたにしても、自分について深く知っている、あるいは探ろうとしている。そうされるだけの事情があるということだろうか? このヤワタリイツギではなく、穏原
「まあ、あの隣のクラスの先生についても個人的なこときかれたし、大したことじゃないのかも。鬼が発現した経緯とかね。その時は私も容疑者扱いだったよ。でも他の先生たちがフォローしてくれて難を逃れたけど。……なんか、前から様子が変だったらしいよ。ストレスがどうのって異特の人たちは説明してくれたけど、正直あんまり覚えてないかな。いろいろあってぼんやりしててね」
「……そっか」
件の、
それよりも今は自分のことだ。
汐見から聞ける話は以上だろうか。他に知っておくべきことはないか。
考えるべきことがたくさんある。普段以上に頭を使う。もう全部投げ出したい思いに襲われるが、自分に関わることだ。逃げ出せない。
とんとんと響くリズミカルな音が眠気を誘っていた。
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