5 子どもたち 一




 異象いしょう対策特務機関――通称『異特いとく』。


 戦後日本が諸外国に対して強い影響力を持ち、敗戦国にもかかわらずアメリカやイギリスに対してある種の優位な立場を維持し続けられた一因である。


 第二次世界大戦という地獄に染まった日本の土地は穢れた。生を渇望した死者たちの怨嗟、死を嘆いた生者たちの悔恨……ありとあらゆる感情。それら人々の想念が日本という国の在り方を変えてしまった。


 いわゆる怪奇現象、〝異象〟と呼ばれる霊的事件が発生しやすい環境へ作り変えられたのだ。


 それが初めて、そしてもっとも明確な形で人類に示されたのは、戦後日本に上陸した連合国機関に起きた災い、曰く『進駐軍鬼化事件』。

 日本にやってきた異国人たちが次々と異形の怪物へと姿を変じ、敗戦から立ち直ろうとしていた日本人を虐殺するという人類史においても稀に見るほどの凄惨な事件だ。


 人が鬼へと堕ちる『鬼化現象』は日本だけにとどまらず、進駐軍として訪日していた軍人らの血縁者にも発症――発現した。


 戦争の混乱も未だ収まらない世界はこれまでにない形で恐慌へと陥ることになる。


 そんな悪夢から人々を救ったのが『異特』、当時の名称は『烏月寮うづきりょう』だった。

 闇夜に紛れて人知れず怪異を討ち、世の平安を影から支えてきた異能の集団。


 黒衣をまとい刀を手にして鬼を断つ。進駐軍鬼化事件を境に世の表舞台に上がった彼らは、戦争を知らない世代の増えた今日においてもその影響力を保ち続けている。

 国内において行政の支配も受けず、有事の際は自衛隊や警察などよりも上位の権限を持つことが許され、諸外国に対して独自のパイプを有した一大組織。


 その構成員は黒い制服を身にまとい、『延肢刀えんしとう』と呼ばれる刀を差している。異象を捉える特別な〝目〟を持ち、それに対処するためのすべを扱う素養のある選ばれた一握り。

 日本国内で唯一、街中での帯刀を許されているのはそうした逸材たちだ。



 そして、ここにも。



 黒服に刀を携えた『異特』の執行官のひとりが、人々がまばらに行き交う午後の街並みを眺めていた。



百済くだらクンにしてはいい趣味ねぇ~、このお店。西洋風で」



 場所は大通りに面したオープンテラスのある喫茶店だ。

 やってきた大男が声をかけると、交差点を見渡せる位置にある、テラスの隅のテーブルを陣取っていた眼鏡の青年はあからさまに顔をしかめてみせた。

 舌打ちでもしそうな陰険な口調でぼそぼそと呟く。



「……はあ? 店の雰囲気なんかどうでもいいだろ。どうせ注文もとりにきやしねえ」



 百済、と呼ばれた青年は黒髪をしているが、燕尾服とロングコートを足して二で割ったような黒衣から覗く肌は白色で、端正な顔立ちも西洋系のそれだ。

 黒縁の眼鏡の位置を指で直す彼の視線は、手元のタブレット端末と交差点とを行き来している。同じ黒服姿の大男には目もくれない。


「そりゃ、アナタ、〝隠形〟なんて使ってたら誰もこないわよ。むしろ誰もいないと思われて他の客に席をとられていない方が不思議だわ。大方、来たら脅かすなりして追い払ったんでしょうけど」


 その男は浅黒い肌をしていて、厚い筋肉に覆われた体は本来の身長よりも彼を大きく見せている。茶色がかった髪は肩まであり、前髪は後ろに撫でつけられ額を出している。大柄で威圧的な印象を受ける外見とは違って表情は明るく穏やかだ。

 しかし見た目は間違いなく男性なのに彼の所作や口調、声音は女性的で、浮かんだ笑顔が別の意味で恐いものになっていた。


「うふふ、わざわざワタシたちのために席までとってくれてるなんて、嬉しいわぁ、百済クン」


「……うるせえキモいんだよカマ野郎が。さっさと座れ」


 彼、エリアス・百済・クロムウェルの陣取るテーブル席には椅子が三脚あり、そのひとつに黒人の大オカマ、リカルド・B・ブロッケンが腰掛ける。


 そしてもう一つの空いた席に座ったのは、大男の存在感に隠れるように目立たないものの、三人の中で一番それらしい黒服の人物だ。


「確かにいい店だ。ここからだとそこの交差点の様子がよく観察できる」


 長い髪をポニーテールにまとめた背の高い少女で、日本人だ。口調は男性のように堅苦しく、シャープな印象の顔立ちで目つきも鋭く人を寄せ付けない雰囲気があるが、今は口元を緩めて柔和とは言えないまでも柔らかく微笑んでいる。そうしていれば立てば芍薬座れば牡丹という言葉を想起させるほどの美貌の持ち主である。


 そんなまだ十代後半ごろの少女と特徴的な外国人ふたりの組み合わせは異様で、おまけに三人とも『異特』の象徴である黒服姿であるにもかかわらず、店にいる他の客は誰も彼らに目を向けようとしない。気になっている素振りさえ見せない。

 周りのテーブル席に座る人々は平然とそれまでの会話や食事を続けている。まるでそこが空席であるかのようにすら思える光景だった。


「……それで、わざわざ集合ってなんすか。何かあればこっちから連絡いれますけど。まあなんもねえんすが」


 気だるげな百済の問いに、答えたのはリカルドだった。


「この間からワタシたちに任されてる例の件、どうもきな臭いらしいのよねぇ」


 リカルドは懐からスマートフォンを取り出す。

 その画面には資料のようなものが映し出されていたが、リカルドの大きな手に隠れて詳しくは分からない。彼の手の中にあると、最新の電子機器もまるで子供のおもちゃのように見える。子供がおもちゃを扱うように、見ていて危なっかしい。


 イライラしながら、百済は手元の視線を落とす。


「調査報告がきたんすか。こっちも一応軽く調べたんすが、送られてきた資料は全部本物でした。どいつもこいつも〝準機関員〟として本部のデータベースに登録されてます」


 テーブルに投げ出された百済の端末には、履歴書のように顔写真と個人情報が表示されており、百済が画面をスワイプするとまた別の人物の資料に切り替わる。記載されているのはどれも十代後半から二十代の青年たちだ。


「つまりコイツらは実在するってわけね。こんなに探しても見つからないってのに」


「……で、報告とやらはなんすか」


 百済が促すと、交差点に目を向けていた少女が自身のタブレット端末を取り出す。


「先日、収監されていた〝辻斬り〟が脱獄したそうだ」


「……辻斬り? 確か……」


 少女の端末の画面に、その人物に関する事件の詳細が表示されている。百済が目を通そうとすると、少女は指先で画面を弾いた。資料がスクロールする。悪気はないのだろうが、舌打ちしそうになった。


「〝腕試し〟と称して機関員を次々と襲撃、殺害していた男だ。一年前、〝あの方〟に捕縛され、その後は技術部あずかりで投獄されていた」


 技術部――百済たち執行官の後方支援をする部署だ。


「私たちが調べるように指示されていた準機関員たちはどうも、この〝辻斬り〟と関係があるらしい」


「あぁ、思い出した。、この国の刑法に沿うなら死刑宣告されて然るべき罪人を、試作装備の実験に利用しているっていう〝活獄かつごく〟に収監されたと噂の、あの」


 少女が顔をしかめる。


「活獄の存在は公的には認められていない。私も噂程度の知識しかないが、投薬などの人体実験に罪人を用いているという話が事実だとすればいろいろと問題になる。社会的な批判は避けられないだろうし、機関解体を目論む各有力者も黙ってはいない」


「……つまり、機関うちらの暗部が表沙汰になる前に、脱獄したやつを捕まえろっていう話すか」


 舌打ちしながら頭をかいて、百済は交差点に顔を向けた。


 この街のどこかに、行き交う人々の中に紛れ潜む悪意がある。


 それは本当に、〝機関〟が対処すべきものなのか。


 組織を維持するためには必要なことなのだろう。

 これも仕事のうちかと割り切りたいところだが、それが政治的な……下らない駆け引きの一端を担っていることに、嫌悪感を覚えて仕方ない。


 自分はそんなことのために、この刀を手にしたわけじゃない。


 加えて、後方部署の尻拭いときた。


(クソが……。〝必要〟なら、回りくどいことしねえで単刀直入シンプルにそう命令しろよ)


 イライラして仕方なかった。



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