4 どうしたんですか?
なるべくなら、彼女が一人のところを狙いたい。
だからちゃんと時期を窺っていれば、いずれチャンスは巡ってくる。
幸いなことに汐見は日直で、担任に言われ、集めたプリントを職員室に持っていくことになっていた。その時が狙い目だ。
というわけで、プリントを回収して汐見が教室を出ていってから、少し時間を置いて
告白のこと――その真相を確かめるために。
「……落ち着け、大丈夫……。まずは名前を呼んで、声かけて。昨日のことなんだけど、から話し始める。うん。昨日……だよな? 今日その返事くれたってことは、昨日か、少なくとも今朝だろうし」
手紙によるものなら昨日の放課後に誰かがどこかに置き、それを登校した汐見が今朝発見したはずだから……。
いや、あの汐見のことだ。昨日とか今朝告白されたのだとしたら、その後すぐ、教室で顔を合わせた時点で遠慮なく返事をしてくれただろう。彼女は周りの目なんて気にしないし、返事される側のことなんかもっと気にしていない。教室の中でもお構いなく、世間話でもするような気軽さで傷つけてくれるはずだ。
それなのになぜ、わざわざ昼休みに屋上なんかにまで来て?
ふと浮かんだ疑問に心がとらわれる。思い返せばあの時、彼女にしては珍しく困ったような顔をしていた。四月に公衆の面前で告白された汐見は少しきょとんとしながらも真顔で断っていたのに。
「謎だ……。やっぱり用件を先に……告白のことなんだけど、からいくべきかな」
いろいろ悩んでいると、用を済ませた汐見が職員室から出てきた。
廊下の影に隠れてその様子を見ながら、景史の心臓はばくばくと脈打つ。なんか息苦しくなってきた。だがそうこうしているうちに汐見はこちらに背を向けて離れていってしまう。
彼女は部活などはしていないはずだから、このまま帰るのだろう。急がねば。さあ、行くんだ。声をかけてしまえばあとはなるようになる。
まずはその第一歩を。
……その第一歩が一番難しいのだが。
「どしたのん?」
「うわっ」
思いもよらない形で第一歩を踏み出してしまった。後ろから押されたのだ。しかし汐見はこちらに気付いていない様子。
ほっとしながらも少し残念な気持ちになりつつ、不意に現れたソーマを睨もうとして、
「わっ、」
今の自分みたいに驚いたような声が聞こえてきて、汐見の方に視線を戻した。
廊下の角から現れた教師とぶつかりそうになったのだろうか。離れているのでよく分からない。
「景史、もしかしてフラれた怨みを晴らそうとチャンスを窺ってたとか? 帰り道を狙ってひと気のない路地に連れ込んでやっちまおうとか?」
「そ、そんなんしないから……」
物騒なことを言われ、汐見を気にしつつもソーマに事情を説明する。
「ほら、例の件だよ。やっぱ本人に聞くのが一番だと思って。誰もあの件知らないみたいだし。〝犯人〟も今の俺みたいに一人のところを狙って告ったはず。だから本人からしか、誰に、どんなふうに告白されたのか聞き出せないと思って……」
「……犯人?」
告白の謎が解けたところで汐見にフラれたという事実は変わらないのだが、それでもこの件は気がかりだった。出来れば真相を知りたいと思う。
もし誰かが手紙などを通して景史を装い告白したのなら、それはこの件だけで終わらない何かの始まりかもしれないからだ。悪意があって誰かがそんなことに及んだのだとすれば、また別の形でとばっちりを喰らうかもしれない。
念のため、犯人を突き止めておきたいのだ。
「そんな大ごとじゃないと思うけどなぁ……。たとえば……誰かがあの子に告白したのはいいけど、その後の沈黙に耐えられなくってつい適当な名前を出してごまかしちゃったとか。好きだって
あるいは、そうだねぇ……女子の間で、景史のあの子を見る目にいかわがしいものを感じて、誰かがあの子に忠告したのかも。それで先手を打ってフることにした」
「その可能性は考えつかなかったけど……でもなんにせよ、証拠があるわけじゃない。はっきりさせとかないと落ち着かないんだよ……」
知らないことは不安を生むのだ。いろいろな可能性を、特に悪い可能性を思い描いてしまって。ふとした、一見すると関係なさそうなことにも悪い意味を見いだそうとしてしまったり。
今日の星座占い最下位だった……黒猫が目の前を横切った……もしかすると今日死ぬかもしれない、みたいな感じだ。
だから勇気を出して、汐見に――
「なんなのよ、その目はッ!」
突然だった。
廊下の向こうから女性の怒鳴り声が響いた。
その怒声は汐見に向けられたもののようだった。どうやらさっきの教師――確か、
よく分からないが教師はとても苛立っているようで――
「なんだこれ……なんか、すごく嫌な感じだ」
とても不愉快な感覚があった。寒いような熱いような、湿っているようで乾いている。とても不快だ。空気が淀んでいる。息苦しくさえある。
その原因は――すごい形相で汐見に掴みかかろうとしている女性教師か。
「景史」
思わずそちらへ向かおうとすると、後ろからソーマに捕まった。首に腕を回され、まるで目隠しでもするように小さめの手が両目を覆う。
「関わらない方がいい。このまま回れ右して帰ろう、今すぐ」
「帰ろうって……」
ヒステリックな怒声に気付いたのか、職員室から先生たちの出てくる気配がする。誰かの悲鳴が聞こえた。誰だ。たぶん教師の中の誰かだ。まるで何か恐ろしいものでも目撃してしまったかのような悲鳴だった。その人を心配する別の教師の声。ガラスの割れる音。驚愕と動揺の気配が爆発する。
ソーマの腕を振り払って前を見た。そうせざるを得ないほどの緊迫感がこの場にはあった。
「な……っ?」
目の前に広がっていた光景に声が詰まる。
職員室前に出来た人垣の先、汐見のいたあたりの天井付近に奇妙なものが見える。それは半透明で実体がなく、不定形で、まるで周りから栄養でも吸収しているようにぶくぶくと膨れ上がっていた。
それはやがて黒と紫を混ぜ合わせたような毒々しい色になり、徐々にだが何かの……人の形をとろうとしているようだった。
「〝
知っている。
実物を見た〝憶え〟はないが、きっと身体が覚えていた。かつてない緊張感に襲われて体に力が入る。鼓動が早まった。
日本全国、毎日どこかしらで人が人を殺して殺人犯が生まれるのと同じように、人のいる場所ならどこで起こっても不思議ではない現象。
あれはそういうものだ。誰もが知ってるが、なかなか出遭うことはないし、なるべくなら巻き込まれたくないもの。
一年前、景史が巻き込まれた事件にもそれが関わっているらしい。事情聴取のようなものも受けたし、事件について調べていたら自然とぶつかった。だから実感はなくても、その存在の危険性は理解しているつもりだ。
場合によれば大惨事を招きかねない脅威にもかかわらず、先生たちは未だ状況を把握しきれていないようだ。突如として割れた窓ガラスに気を取られている。
だが中には腰を抜かして天井の方を見上げていたり、目を見開いて頭上を凝視している教師もいる。どうやら〝視える〟人と見えない人がいるようだ。
教師たちの合間からことの原因とおぼしき女性教師、坂倉先生の姿が確認できる。ぐったりと力なくうなだれ、汐見に掴みかかった腕を支えになんとか立っているような状態だ。それだけならもはや無害かもしれないが、例の現象は彼女の背中から煙のように噴き出している。
そして彼女の意思を反映するように、頭上の煙――〝鬼〟が腕を伸ばす。
狙われているのは汐見だ。
彼女は呆然とその腕を見上げて固まっている。
――どうにかしなければと思った。
たとえ彼女に望まれていなくても、自分にできるなら、自分にしか出来ないなら。
震えを止めるように拳を握った。身体は想いに応えてくれた。
「景史……!」
走り出していた。
止めようと伸ばされた手を振り切って、動かない教師たちの間を掻き分けて。
動けるんだ。それなのに何もしなかったら、きっと後悔する。
取り返しのつかないことになる気がした。
「逃げて……!」
近付いてどうするかは考えていなかった。だから思うままにぶつかっていった。坂倉を突き飛ばして、床に倒れ込みながら汐見に向かって叫んだ。鬼が坂倉に引きずられるように揺らめいた。
「早く通報を! 〝機関〟に――、」
何が起こったのか。胸から腹部にかけて強い衝撃を受けた。壁にぶつかる。息が詰まった。
鬼に殴られたのだ。
ガラスを割るくらいだ。幽霊めいて向こうが透けて見えるが物理的な現象を引き起こせることくらいは承知していた。
「ぐ、う……」
呼吸が苦しくなる。衝撃のせいだけじゃない。熱い。皮膚からじわじわと体内を焦がされるような感覚。鬼に触れれば心身ともに障られる。そうだ、知ってる。これのせいで――
教師たちがようやく我に返ったように動き出した。誰かが指示を出し、通報や、まだ校内に残っている生徒たちの安全確保のために奔走する。
しばらく呆然と突っ立っていた汐見も弾かれたように走り出した。こちらを気にしてくれたのか一度だけ振り返ったが、すぐに角を折れて見えなくなった。
これでいい。ちゃんと良い方向に動いている。
通報があればじきに〝機関〟がやってくる。
日本全国で発生する怪奇現象を解決する組織だ。国内で唯一帯刀することが許された、闇に紛れる黒服の集団。
彼らさえ来てくれれば、こんなやつどうにかして――
「……!」
目が合った。
うなだれる女性教師の虚ろな目。深い闇を宿した双眸。そこに浮かぶ溢れんばかりの悪意。
ちょっかいなんて出したから、狙いが変わったのか。
なんとかしようと無我夢中で、肝心の自分のことを忘れていた。
マズいと思った。このままではなぶり殺しだ。起き上がって逃げようにも身体の自由が利かず、胸が苦しい。小さく縮こまって身構えた。容赦なく振り下ろされた。
全身を突き抜ける灼熱感。意識を失うには充分すぎる痛みだった。
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