3 彼の半生
好奇の視線にさらされるのでは――そう思って昼休みが終わるぎりぎりまで屋上にいたのだが、いざ教室に戻ってみても特に誰かに何か言われることもなく、いつも通りすぎて逆に拍子抜けだった。
……実はこれをきっかけに誰かが話しかけてくれて、なんかいい感じに会話がうまく転んで親しくなったりすることをちょっと期待していたのだが、儚い夢と消えたようだ。
何をするでもなく机の表面に視線を落としていて、まだ自分の席についていなかったり仲の良いグループでお喋りを続けているクラスメイトらの中で、彼女はどことなく浮いているように見える。
人気はある。好かれてもいる。でもどこか馴染めていない。
近くに大勢いるから輪の中にいるように思われるが、その実、彼女はただ囲まれているだけだ。少なくとも景史の目にはそう映る。輪の中に加わっているわけではないのだと。
そんな彼女に興味を、共感を、親近感を覚えたのが気になり始めたきっかけだろうか。
少し前、ソーマにどうして汐見が好きなのかときかれたことがある。
あの時は確か、こう答えたのだ。
「なんか、寂しそうな目してるから、気になって」
クラスメイトと談笑して楽しげに笑って、その一瞬あとには去っていく少女らの背を寂しげに見つめている。挨拶されたり流れで会話に加わったりはするものの、特定の誰かと何気ない話題で話し込んだり、放課後に遊びに誘われて一緒に教室を出ていく姿を見たことがない。
要するに、彼女は偶像的な人気者であって、特別仲のいい友人がいるわけじゃない。
積極的に自分から輪の中に入ろうとしていないせいか、ふと気が付くと彼女がぽつんと一人ぼっちでいるところが目に入る。
住む世界のようなものは違うのだろうけど、そうした彼女の姿に自分を重ねていた。
今も彼女は寂しそうなあの目をしているのだろうか。
「……まあ、あれだよね……」
俺はフラれた。わざわざ屋上にやってきてまで断るくらいだ。そんな自分が彼女に何かをしてあげられるわけもなく、仮に何かが出来ても望まれてはいないだろう。
彼女ならその気になれば友達のひとりやふたり、簡単に作れてしまうだろうから。
しかしこちらは少しばかり事情が違う。
ある意味において特別扱いされているのは同じだが、彼女がポジティブなものであれば、景史の方はネガティブな特別扱いだ。
よく分からないが事件があって、記憶を失った。
その事件とやらのせいなのか、かなり病弱な体質になってしまったらしく、体育の授業もほとんどが見学させてもらっている身だ。全力疾走などをするとすぐ息切れするし、貧血になって倒れそうになる。実際炎天下に運動してぶっ倒れたこともある。
学校に復帰して最初の頃はみんないろいろと気を遣ってくれた。景史が誰一人として顔も名前も覚えていなかったことでその接し方はぎこちなくあったものの、教室やトイレの場所が分からないという地味な記憶の喪失に悩んでいると何かしら察して声をかけてくれた。担任もクラスメイトもみんな親切だった。でもどこか違和感もあった。
たまに放課後の掃除を押し付けられたり頼まれ事をすることがあって、そのたびに誰かが庇ってくれたり手伝ってくれたりするのだが、そういう光景を見ているとなんとなく記憶を失う前の自分の立ち位置のようなものが分かった。
要するに、いじめられているというほどではないにしても、クラスの便利屋的な扱いで、都合よく使われていたのだと思う。
だからみんな、そんな自分が記憶を失って帰ってきたものだから、罪悪感や後ろめたさから優しくしてくれたのだろう。
しばらくして学校に馴染んでくると、気遣って声をかけてくる生徒も少なくなっていった。自分から彼らと距離を置いたのもある。話しかけられてもいっこうに相手のことを思い出せない罪悪感があったし、親切心じゃない何かでわずらわせることに抵抗もあった。
進級して二年生になりクラスが一新すると、もう誰も自分に構うことはなくなった。これをきっかけに離れようと思ったのかもしれない。景史の方はこれをきっかけに新しい自分をスタートさせようと考えていたのだが、いかんせん、周りと話が合わない。溶け込めない。これは単純に個人的な資質の問題で、記憶喪失や病弱な体質であることはただの言い訳に過ぎない。
記憶も体質も周りと距離を置いてしまう原因の一つではあるだろう。入学式の時の話をされても覚えていないし、授業でするバスケの試合なんかには参加できないから彼らと同じ連帯感も得られない。共通の思い出もなければそれを作ることもままならないのだ。話の合わない要因であることには間違いない。
そうしたことでなんとなく壁のようなものが生まれていて、みんな声をかけづらいのかもしれない。
だが、それだけじゃない。やっぱりこれは自分個人の問題だ。
声をかけてもらえないなら自分から近づけばいい。とは思うのだが、どう話しかければいいのか分からない。流行とか追いかけてみて自分なりに研究しているつもりなのだが、そもそもそういったものにあまり興味が湧かないし、好きでもないから簡単にボロが出る。
仮に話しかけることが出来ても、緊張でうまく会話を続けられないだろう。前にクラスメイトに話しかけられたことがあるが、緊張のあまり変な応答をして失笑された。ちょっと変なんて言われることになったきっかけはそれかもしれない。
それでも遊びに誘われたことがあった。進級して早々のことだ。チャンスだと思った。しかし馴染めなかった。ゲームセンターならまだしも、カラオケなんかいっても曲を知らないからうまく乗ることも出来ず空気を微妙なものにしてしまった。
人が大勢いる空間に長時間いると気疲れでもしたのか目に見えて身体の調子が悪くなってきて迷惑をかけた。明らかに自分は彼らにとっての荷物になっていた。
景史自身、緊張のせいもあるだろうか落ち着かず、うまく馴染むことが出来なかった。
噂か何かで景史のことを知ったのもあるだろう。当然だがその後、彼らから遊びに誘われることはなくなった。連れ回して倒れてもらっても困るし、そんなやつが一緒だとロクに楽しめない。ついていける自信もとうになくなっていたから、そうなるのも仕方ないと思った。
それが
汐見はその気になれば友達なんて簡単に作れるだろう。でも、自分は違うのだ。
それでも……人付き合いは苦手だが、なんだか寂しいので友達は欲しい。
贅沢な悩みだろうか。
ただ、多くは望まない。
大勢の友達に囲まれて、休み時間も授業開始ぎりぎりまでお喋りしているような明るい生活ではないけども、景史にも友人がいる。たった一人でも、いてくれる。
クラスが違うから会えるのは昼休みとか放課後くらいのものだが、ソーマはなんというか、他のクラスメイトとは違う。まるで自分のことを分かってくれているかのようだ。変に気遣うわけでもなく、それでいてちゃんとこちらの体調を察してくれる。
記憶がなくて自分のことすらちゃんと分からないから、そんな彼の存在には不思議な安心感があって一緒にいると落ち着けるのだ。
友達は欲しい。でも、無理には望まない。消極的になっているともとれるが、声をかけてくれる人を拒むつもりはない。
汐見に対する気持ちもそんな感じだ。
告白なんてしようと思ったことはない。近付きたいとか、付き合いたいとか、友達も作れない自分には到底無理な話だと弁えている。見てるだけで充分だ。彼女は可愛いし。
自分と同じように孤独を知っている人間がいる。それだけでいくらか救われていた。
「……そうだよ。無意識でもなんでも、俺が告白なんてするわけない」
溜息を一つ。ぐだぐだ考えている間に昼休みが終わり、教師がやってきて、午後の授業が始まった。
……始まっても、やっぱり例の件が気になって授業に集中できなかった。
自分じゃないとしたら、いったい誰が、なんのために。
やっぱり、本人に確かめてみるのが一番だろうか。
「……それはすごい勇気がいるなぁ……」
思わずつぶやいてしまってから、はっとなって周囲に目をやった。良かった。特に注目を集めたりはしていないようだ。
教師はこちらに背を向けて黒板に何か書いてるし、みんなそれをノートに写している。写している、じゃない。俺も書かないと。慌ててノートを開いた。
教室の中にはチョークが黒板を叩く音と、ノートに文字を綴る音、誰かが隣の席の誰かに消しゴムを貸してほしいと頼むささやき。
うちのクラスは比較的静かだ。たまにお喋りも聞こえたりするが、教師に注意されるほどではないし、注意されれば不平は漏らすがすぐに止む。
だが、全てのクラスがそんな真面目な生徒ばかりとは限らない。
たとえば隣の教室。授業中にもかかわらず生徒たちの話し声が聞こえてくる。こちらの教室に伝わるくらいの声量で喋っている連中がいるのだ。それも、二人や三人という程度じゃない。たぶんクラスの大半が各々勝手にしている。
隣はいわゆる不良生徒が多いクラスなのだ。酒や煙草をするようなタイプの不良ではなく、単純に素行が悪かったり制服を着崩したり髪を染めたりしているような。そして体育会系の部活に所属する生徒も多い。だから声が大きかったりマイペースだったり、中には授業そっちのけで爆睡している者もいるらしい。
教師をからかうような声も聞こえてくるが、たぶん彼らに悪気はないのだろう。それが彼らなりのスキンシップというか、コミュニケーションの仕方なのだ。授業がつまらないからとかそんな理由で、特別悪意があるわけではない。
ただ、今も授業を担当していて、そのクラスの担任でもある新任っぽい女性教師には堪らないだろう。以前は金切り声で怒鳴っていた。神経質なのかもしれない。耳を澄ませば生徒を無視して授業を続けている様子が伝わってきた。そういうつれない態度をとるから、よりいっそう生徒たちが調子に乗るのではないかと思うのだが、人付き合いの苦手な景史に言えたことではない。
「……そろそろ限界そうだよ、お隣」
つんつん、と。
背中をつつかれたので振り返ってみたら、後ろの席の
「……?」
お隣というのは、隣のクラスのことだろうか。
よく分からなかったが、利々がノートに戻ったのを見て景史も授業に集中することにした。
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