第1章
1 告白は突然に 一
――身に覚えのある異変の始まりは、おそらくこの日の昼のことだった。
暖かくもなく、かといって寒くもなく、陽射しも柔らかで風通しもいい。屋上はそんな穏やかで過ごしやすい気候に恵まれていて、おまけに人も少なく静かだった。一人で落ち着いてお昼を食べるのにこれほど適した環境はないだろう。
ちょっとした屋上庭園といった趣の屋上にはベンチもあるし、周りとの間に壁を作る花壇もあって人目を気にせず食事が出来る。
こんなところなのだからもっと人がいてもよさそうなものだが、
同じような環境の中庭や、中庭を挟んで向かい側の校舎屋上にはもう少しいるようなので、今日はついてる。
なぜこうも人が少ないかというと、単純に利便性の問題。
食堂や購買、自販機は一階に集中しているため、わざわざ一階で買って五階に当たる屋上まで昇るのは手間だ。そうするよりも中庭に向かうのが自然な流れである。
わざわざここまでくるのは弁当持参組の中でもお昼を共にする相手のいないひとり者くらいだろう。友達がいれば教室でお喋りでもしている。
まあたまには気分を変えて屋上に来るグループもいるが、そういうのは大抵ふたりとか少数なので静かなことに変わりはない。
景史は弁当組だが教室に友達もいないし手間も惜しまないタイプなので、昼休みになると一階で飲み物を調達してわざわざ屋上まで上がる。体育の授業などは休みがちのため、これくらいの運動でもしなければ身体は衰える一方だろうと思うのも理由の一つだ。
なので今日も一人、母の作ってくれたお弁当を膝の上に置いて座っている。
ただ、いつも一人で食事しているわけではない。
待ち合わせをしているのだ。
「……やっと来た」
こちらに向かってくる足音に顔を上げた。
思わず目を瞠った。
想像していた人物とは違っていて、ついでに言うならまったく予想外な人物だった。
そこには、クラスメイトの少女が立っている。
眉のあいだに皺を寄せ、警戒しているようにも困惑しているようにも見える、彼女にしては珍しい表情を浮かべていた。肩までの黒髪は角度によって陽射しを白く反射し、その中に銀色に近い色が混じっているのが分かる。苦労性なのだろうか。教室ではあまり目につかないその輝きはしかし、彼女の美貌を損ねるものではない。むしろ洗練されたかのような顔立ちやその白すぎる肌と相まって、彼女の魅力に花を添えているようだった。髪飾りなんかよりよっぽど彼女には似合っている。
すらりとしていて華奢な体躯がまとっているのは学園の制服。紺色のブレザーに赤いネクタイ、同色のプリーツスカートから覗く太腿は細いものの、これで女子の中では一番足が速いというのだから人は見た目によらない。
陽射しの下だと少し暑そうな格好だが、彼女は着崩すこともなくしっかりと着こなしていた。
呆然とそんな彼女のことを見つめていたら、自然と目が合った。
声を出していたらきっと唸っていたに違いない表情と視線が、景史を怖気づかせる。
形のいい唇がわずかに開かれ、閉じられ、何度かそれを繰り返してからようやく、彼女の方から言葉を発した。
「こんにちは」
「……こ、こんにちは……?」
こんにちはも何も教室で朝から顔を合わせている。なにせクラスメイトだ。まあ挨拶するほどの仲でもないので、朝も言葉を交わしたわけではないが。
だって彼女はこの学園ではちょっとした有名人だ。クラスのアイドルとでも言おうか。その容姿もさることながら、成績もいいし運動も出来る。人あたりもいいからクラスでも好かれているし、彼女を嫌う人間などいないだろうと思うのはいささか褒め過ぎだろうか。でもそう思わせるくらいに特別な少女で、景史にとっては個人的に気になる相手だ。
少々変わったところもあるが人気者といっても過言でない、景史などとは住む世界の違う少女である。
しかし、そんな相手がいったい自分になんの用だろう。
景史はそれとなく彼女の後ろに視線を向けてみた。
そこには大抵、付き人のように彼女についてまわっている女子の姿がある。
今もやっぱり汐見の影みたいに存在感なく、何度見ても〝似つかわしくない〟微笑を浮かべながらひょいっと現れた。
髪型は金髪のショート、表情がないと常に怒っているかのような吊り目で、顔立ちも合わせて全体的にどことなくキツい印象を受ける。小柄で顔も可愛い方ではあるのだが、一匹狼というか、汐見と違って集団から孤立しそうなタイプの容姿だと景史は思う。
そしてその外見から受けるイメージとは似つかわしくない不思議な微笑は、何度見ても違和感ばかりだ。これはいわゆる見た目で人を判断しているという事例なのかもしれないが、そういう風に景史にとってはどうにも掴みづらい相手である。
見た目と中身が一致していない。そんな雰囲気なのだ。
その顔でその微笑を浮かべることに違和感がある。でも、嫌いというわけではない。
黙ってたら近寄りがたい感じなのに、結構お喋りで、汐見に相手にされなくてもそのあとをついてまわって一人で喋っていることすらある。まあお陰でどちらかというと汐見よりは話しやすいから、今も景史は彼女に助けを求めてみた。
だが普段なら勝手に口を開く彼女はあの微笑のまま、出てきた時と同じくひょいっと汐見の後ろに引っ込んでしまった。なんなのだろう、いったい。
「?」
汐見は何か不思議そうな顔で視線を横に動かしたが、すぐに景史に向き直った。
それから、小さく頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……え?」
なんだ? 何か謝られるようなことでもしてしまったのだろうか?
戸惑う景史の前で彼女は顔を上げ、
「私、お付き合いする人は慎重に選びたいの」
「……はい?」
「一生を左右することだから」
なんの話か知らないけど、そのお付き合いって結婚前提ですか?
……重いな!
突っ込みたい景史の前で、汐見は視線をわずかに泳がせてから、
「顔にこだわりはないけど、たぶん見れば何かしら感じるところのある顔立ちがいいかな。うん、やっぱり惹かれるものがあった方がいい。性格は……出来れば優しくて、なるべく穏やか、それでいて困った時には力になってくれる、いざという時には私を守ってくれるような、そんな頼れる印象の人がいいの。
その点……えっと、あなたは優しい人だとは思う。でもあんまり頼りになりそうな印象はなくて、というか頼りなくて、むしろ頼ってきそうで……ちょっと変わってるし、私の理想とする男性像には遠いと感じるんです」
お付き合いは出来ないけど、今後もお友達として仲良くしてくれたらと思います、なんて。
優しく丁寧に、しかし強烈なストレートを鳩尾にもらったような気分だった。
思わずくらりとくるような、失神しかねない衝撃的展開だった。
あれ……? なんでフラれてるの、俺……?
しかもかなり自分を否定されて……。
ちょっと変わってるって……君にだけは言われたくないんですけど!
「じゃあね、穏原くん。教室で」
……そんなこと口に出せるわけもなく、景史は呆然と、憎らしいほど可愛らしい、まるですっきりしたとでもいうような表情で用は済んだとばかりに去っていく汐見の後ろ姿を、ただただ見送るしかなかった。
軽やかなステップでその後ろに続く利々がちらりと振り返り、「ご愁傷さま」とでもいうように微笑んだ。
相変わらず似つかわしくないが、楽しそうな様子は伝わってきた。
……笑えないんだが。
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