三次元男子
「たっけるー、やっほー」
そのときの彼女の笑顔が、おれは好きだ。だけど、先輩に「好きです」なんて、言わない。長い片思いをしている間に、自然とそう決めた。
今日の図書室には、おれと志乃先輩しかいない。となりの司書室には司書教諭の先生がいるはずだけど、とにかくここは静かだ。廊下からか、窓の外からか、生徒たちのざわめきが聞こえる。
おれはカウンターに座ったまま、先輩を見上げた。
「どうしたんすか、先輩」
「金曜の昼休みは、たけると二人で図書当番じゃん」
「なに言ってるんすか。卒業式の日まで仕事するつもりですか」
「ん、まあねー」
今日、高校を卒業した志乃先輩は、あはっと笑っておれの横に座った。
おれはいつから志乃先輩に片思いをしているんだろう。
考えたって、よくわからない。四月に初めて二人で図書当番の仕事をしたときは、まだ好きになっていなかった、と思う。先輩は、ただの先輩だった。
ただ、先輩と出会って一年たった今は、先輩に名前を呼ばれたら胸の奥がじわっとするし、先輩の明るい声がかわいいと感じるし、先輩の子犬にも子リスにも見える笑顔はおれだけのものにしたいと思う。それだけは確かだ。
どうせ失恋してるのに、おれはほんとにアホでバカだ。
卒業式は午前中で終わったけれど、午後から三年生は最後のHRがあって、そのあと部活をやっていた生徒は、それぞれの部活の後輩からお祝いしてもらったりする。
おれは帰宅部だから、図書当番が終わったら帰る。志乃先輩は放送部だから、多分夕方まで学校にいる。まあ、だからなんだって感じだけど、そんなことをふと考える。
「卒業式、三年生はやっぱ泣いてる人多かったですね」
「あー、そだねー。ま、わたしは泣かなかったけど」
なあんにも悲しくありませんぜ、がっはっは、と先輩は笑った。ゆるく編まれた三つ編みが先輩の肩で揺れる。
おれはなんとなく、椅子ごとくるりと一回転した。
「たけるさ、第一志望はわたしと同じ大学だっけ?」
先輩も椅子をくるくるさせながら、おれに話しかけてくる。
先輩は県内の私立大学の合格が、推薦で早々に決まっている。ここ最近は勉強の「べ」の字も忘れて、漫画ばかり読んでいるらしい。
「今のところは、です。まだ気が変わるかも」
「そっか。どこでもいいけど頑張りなよー」
おれが先輩の行く大学を第一志望にしたのは、単純に入りたい学科があるからだ。と、自分に思い込ませている。正直、先輩の影響は大きい。先輩が違う大学に行くなら、おれもそこを第一志望にしているんだろう。もっと行きたい大学が出てきたらそっちに行こうと思っているけど、きっとそんな大学は出てこないだろうし、最後までおれの第一志望は変わらないんだろう。
先輩の椅子は、まだくるくると回り続けている。
おれが失恋したのは、夏だ。
おれと先輩はいつもどおり、金曜の昼休みに貸出カウンターの中で並んで座っていた。
「志乃先輩って、彼氏いるんですか?」
かなり勇気のいる質問だった。かわいらしい顔立ちの人だから、好きになる男子は多いんじゃなかろうか。
頬杖をついて先輩をじっと見つめると、先輩は読んでいたライトノベルから目を話して、おれをちらりと見た。
「いないよ」
「へえ、そうなんですかー」
おれがほっとしたのもつかの間。
「ていうかわたし、二次元の男しか興味ない。ヴィンセント様が好きすぎて、彼氏とかどうでもいい」
「ヴィ……ンセント、さま?」
「あ、『デビルラヴァーズ』っていう乙女ゲームのキャラなんだけどね、超かっこいいんだよこれが! あー、ガチで嫁になりたい……あ、ごめん引いた?」
目を点にしているおれの顔を、先輩が心配そうにのぞき込む。のぞき込まれること自体は嬉しいんだけど……。
「ごめんごめん! キモイとか思わないでよー、たけるとはこれからも仲良くしたいよう」
そういえば先輩ってゲーマーだったわ……。
「いや、キモイとか思ってないっすよ、全然」
「え、あやしー。目そらすなー」
あはは、と笑う先輩は、本当にかわいい。目をそらさないと、おかしくなりそうだ。
「ヴィンセント……様は、そんなに先輩のタイプなんですか?」
「うんうん。あんまり喋らない消極的なキャラなんだけど、なんだかんだで、さりげなく主人公を守るとことかすっごく好きー」
「へー」
「ちなみに、たけるはアルバートに似てるね」
「アルバート?」
「ヴィンセント様のライバルってか、敵? ちょっとちゃらんぽらんな感じでさー。ま、とにかくヴィンセント様の敵は、わたしの敵よー。あ、ごめんたける! 違うよ? きらいなのはアルバートで、たけるじゃないからね」
「はい……」
そんなフォローされたって、落ち込むものは落ち込む。
おれ、見た目はどうかわかんないけど、中身はちゃらんぽらんじゃない。でも先輩が、ヴィンセントの敵のアルバートにおれが似てると思ってるんだ。先輩の評価は多分ちゃらんぽらんだ。ちゃらんぽらんだし、アルバートに似てるし、ヴィンセントじゃないし、そもそもおれ、三次元だし。
どう考えても、彼氏になれそうにない。
その日の放課後、おれは茶髪にしていた髪を黒に戻した。
まったくもって無意味な、ちゃらんぽらんから遠ざかるための悪あがきだ。
「わたし、そろそろ戻るねー」
先輩がくるくる回るのをやめて、椅子から立ち上がった。
もう昼休みも終わりだ。
「あ、そうだ、先輩。卒業おめでとうございます」
「おー、ありがと」
にこりと笑うその顔、やっぱりおれのものにしたい。
「もうたけると一緒にカウンターに座ることってないんだね。ちゃんと空気吸っとこ」
そう言って、すうはあと深呼吸している先輩がかわいいと思う。
「じゃね、たけるー」
名前を呼ばれると、やっぱり胸の奥がじわっとする。
お願いだから、行かないでほしい。
そういう気持ちがいろいろとごっちゃになって、おれは、カウンターから離れようと歩きだした先輩の、細い腕をつかんでいた。
「たける……? どした?」
先輩が不思議そうに首をかしげる。
「今も、『デビルラヴァーズ』はやりますか」
「えっ、うん。そういえば今度、続編のゲーム出るんだー」
「ヴィンセントは今も好きですか」
「大好きだよー。結婚したいくらい」
「アルバートは?」
「あー、あいつは永遠の敵だわ」
「今でも、おれってアルバートに似てると思いますか」
「まあ、似てるっちゃ似てるよねー。あ、でも、たけるは敵じゃないからね」
「それって、おれが、ちゃらんぽらんってことですか」
「え、いや、イメージよ、イメージ。たけるがマジでちゃらんぽらんだとまでは……って、なんで泣いてんのっ?」
先輩が困惑した目でおれを見ている。なんでって、なんでってさ……。
「だって、おれ、志乃先輩が好きなんですよう」
「は、はあ……?」
よくわかんないけど、言っちゃった。もういろいろ、どうでもいい。逆になんか吹っ切れて、先輩に抱きつく。華奢な先輩の体が、少しふらついた。
「アルバートに似てるとかいやだー、ヴィンセントに勝ちたいー、てか、ヴィンセントになりたいよー」
先輩にしがみついて、ぽろぽろと泣きながら、めちゃくちゃなこと言ってるおれ。なにやってんだ。
「ちょ、ちょっと、たけるっ?」
うわずった先輩の声が、耳元で聞こえた。今先輩がどんな顔してるのか見たいけど、抱きついちゃったし、おれの目は涙でぐっちゃぐちゃだし、なんにも見えない。
どうせ、おれはアルバートに似てるだけの、三次元の男子だ。
先輩はヴィンセントが好きなのに。おれはヴィンセントになんかなれないのに。先輩はおれを好きじゃないのに。
あーあ。
好きって言っちゃうなんて、おれはやっぱり、アホでバカだ。
※作者が重度の乙女ゲーマーだった8年前の作品です。最近のオタクと比べていろいろと古っぽさがあるかもしれません。てか最近のオタクってなんですかね。今も昔もそんな変わらんか。
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