第15話涙の理由~リディア幼少期Ⅱ~

 夕刻、日が暮れる頃。男は闇に紛れて森の奥の家へと帰宅する。

 庭では、眉を寄せ口を尖らせた黒髪の幼子の姿が。


「アーシャ、何をしている?」


 低く囁く低音に幼子はぱっと顔色を明るくし、見上げてきた。


「お父様!おかえりなさい!!あのね、お母様の今日のかだい、とっても難しいの。……全然分からなくて、お腹すいたし困っちゃった」


 直ぐ様、ばふっと足元にしがみつき、うるると瞳を潤ませて見上げてくる。まるで子犬と同じだな。


「何だ?腹が減っているのか?」


「うん。お昼の後からずっとだから、もうお腹もペコペコなの……。答えも全然分からないし……」


「お母様は厳しいからな。だが、その分学べることも多いだろう?」

「それはそうだけどぉ~……グウウウーー!!」


 足元にしがみつく幼子の腹の虫の盛大なこと。相当、腹が空いているらしい。


「これは、お祖父様の所の菓子だが、少し食うか?それと、今日の課題は何だったんだ?」


 庭の隅に有る焦げ茶色のベンチに場を移し、魔界の焼き菓子、サーラントのマフィンにかぶり付くアーシャに話しかける。


 サーラントとは、魔界で花開き果実を成す間花だ。若苗のうちは世界を移動し、魔法生物を補食、その魔力を溜め込み魔界で果実を成す。その果実を練り込んだマフィンは、食べると魔力回復の効果が得られる。

 果実の種子の発芽には、魔力が必要に成るからな。当然、果肉の部分にも種に収まりきらなかった魔力が残っている訳だ。


「あのね、火と水なの。これでお湯以外の魔法効果を産み出せって……。お父様は、何かわかる?」


「火と水か。対極だな。だからこそ得られるものも幅広く産み出せる。高く低くそして合わせる……俺が思い付くのは、そんなところだな」


 それだけ言うと、お父様は頭をポンポンと叩き、家に入ってしまうの。


 何時もそう。ヒントを与えてくれるけれど、答えは教えてくれない。ヒントを頼りに自分で行き着かなくては意味がないのだと言うの。


 だから私は、お父様の言葉の一つ一つの意味を良く考える。


 先ずは……火と水は、対極なのね。

 水は火で……熱でお湯になる。ずっと暖めれば蒸発する。火は水で意図も容易く簡単に消えてしまう。

 この力を……合わせる?



 う~ん??やっぱりわからないや。


 取り合えず、水を暖める?それとも冷やす?



 アーシャは冷たい水と自身の限界まで熱した高温の炎を合わせる事にした。


 規模は?どの位が良いんだろ?

 コップ一杯分?バケツ一杯分?それとも……。




 温度の違う、水と炎。上空……と言ってもアーシャよりも一メートル程上になる。


 ゆらゆらと空中を揺れ動く水。


 もうもうと、朱に赤にと燃える炎。



 二つを近付け、合わせた…………。







 ドゴゴオオオオォォン!!!!






 バザバサバサバサバサ…………!!!!





 静寂を突き破る爆音が森の中に響き、鳥達が一斉に飛び立った。










 ***





 小屋の中から庭の様子を窓越しにシャイズは、見ていた。近頃、娘に出すお題の難易度をあげているけど、どうにも娘には激甘になった伴侶が答えを教える……とまでは行かなくてもだいぶ分かり易いヒントを与えている節がある。


 咎めるつもりはない。ただ、自分もあの人も随分と当初より娘に愛情を抱くようになったものだと思っただけだ。


「あ~あ。また教えちゃって…それに食べ物も……。魔界の食べ物なんて、人間に与えて良かったんだっけ?……ふう、仕方がないわね」


 色合いが光の加減で変わる瞳を細め、その光景を見ていた。




 子供アーシャと別れ、グランが此方に来る。黒い影は私よりも大きく、そして少しばかり重い空気を纏わせているように感じた。


「………………?(魔界で何か、あったのかしら?)」




 ギイイィィ…………。




「おかえりなさい」

「ただいま」

 二人は帰宅の挨拶を交わす。シャイズはグランの前に立ちにこやかな顔を浮かべる。彼女の肩を抱きくとグランは、一つ息を吐いた。


 シャイズの脳裏に、嫌な予感が過る。

「今日、魔王様と謁見してきた…………」


 ドクリッ!!


 魔王と謁見。ただ兄弟として会うのではなく、『謁見した』その言葉にこの生活の終わりが近い予感を感じる。


「何て…………?」


 聞きたくない、聞きたくない……。なのに、聞かざる終えない…答えは知っている。なのにそれが、それを…彼の口に言わせなくては成らない。それがもどかしいく、胸を痛める。



「代替わりを打診された……」


 やっぱり!!……遂に、来たのねその時が……。恐れていた、この温室の生活の終焉の時。


「お義兄様だってまだ、お若いじゃない。……そのまま、その座を継いでくれても良かったのに……」


 現在の魔王は、グランの次兄が継いでいる。長兄は考古学と言うものに嵌まって、人間に紛れて学者をしている。『人間の命は儚い。だからこそ、『今』は継ぐ気は無い。』と、明言して魔界を出ていってしまったとか。

 現在は南の大陸で、今から三千年程前の遺跡の発掘をしているのだとか。


 次兄は、現在魔王で有るが女神を妻に娶りその座に収まっている。


 三男は、『魔王』の座に興味が無く芸術に傾倒し、何処か遠い大地で画家をしているのだとか……。


 そして四男に当たるのが、このグラン……グランヴェリテ・ディオス・レヴァーロ。


「子供が出来たんだ。折角交配により血の濃さを戻したのに、違う血をまた魔王の座に持ち込むわけにもいかんだろう?……だから、座を明け渡すそうだ」


「そんな!!……子供ってことは、時がもう無いのね。私達……」


「すまない……」



 仕方がない……だけど、それは私達がそれぞれ役割を終えるまで、永い期間の別れを意味する。



「そう……。でも、そうなるとあの子は?アーシャは、どうするのよ!?」



 シャイズが、グランに詰め寄ったその時。






 ドゴゴオオオオォォン!!!!




 庭先で、巨大な爆発が巻き起こった。


 カタカタカタカタと、柱や梁が家具が、食器が、擦れ鳴り響く。



「な、何!?爆発……?はっ!!アーシャ!!」


「……何だ!?何が……!!」


 二人は慌てて駆け出し、庭へと出る。照明を灯し庭を見回す。片隅で地に倒れた愛娘の焼け焦げた顔と体。全身への裂傷と損傷が激しかった。


「アーシャ?アーシャ!!何で…どうして……」

「まさか……水と炎でこんなことが起きるのか……!?」

「グラン…貴方アーシャに何を言ったのよ……!!?」

「う……み、水と炎、低い温度と高い温度を合わせる……的な?」

「バッカ!!それって水蒸気爆発の原理でしょうが!!規模まで言い含めないんだから、アーシャったらきっと張り切ったのよ……。はあっ…。一度、精霊の泉に連れていくわ。その方が回復は早いもの。暫く戻らないから、そのつもりでいて」


 シャイズは倒れたアーシャを抱え上げ、ふわり背中から淡い虹色の光沢を放つ透ける羽を出し、止める間も無く空の彼方へと飛びさって行った。


 シャイズの最後の言葉は、盛大に非難の色を放っており、グランに弁解の余地を与えなかった。


「暫くって…………(どれぐらいだよ……)」


 一人取り残されたグランは、後を追うことはしなかった。

 精霊界は、神界と接している。もし魔界の長たる魔王に連なる自分が赴けば、精霊と神を相手取り全面戦争にもなりかねない。況して、今はアーシャの治療の為に赴いているのだ。グランが精霊界に足を踏み入れれば、かの地の純血が汚される。それは、アーシャの治療の妨げになるからだ。


 一般的に、精霊は神と妖精は魔に属するものと近しいとされている。

 だからこそ、精霊界は神に従ずる存在として捉えられている。



「さて……どうしたものか……」


 あのような暴発が起きる……。魂はどんなに高潔な存在だとは言え、器のそれは人間でしか無い。

 魔法を詠唱なしで使える……と言うのは、シャイズがアーシャを『娘』として認めたと言うことか?


 ならば、俺もそれに倣うべきか……。


 今回のような、魔法暴発の最に自動防御が働くように……。ある程度、受けた魔法の威力が相殺されるように、魔族としての名を与えるべきか。


「今度、帰ってきたら名付けてやるか……」


 グランは一人静寂を取り戻した森の中で、一つの決断を下した。






 ***






 世界には、この世界と連なる分け隔てられた世界が幾つか存在する。

 世界のより安定的な均衡を保つため、神、精霊、妖精、魔族とは世界が隔てられている。


 この四者が、同一世界に存在した時代、大地は荒れ空は黒煙と炎に包まれ世界を焼き付くさん勢いを見せていた。

 故に、前身世界と呼ばれるアールスハインドは滅び、生命は未発達のこの世界エターナルハインドへと大移管を果たした。


 神、精霊、妖精、魔族と言った力有る存在は、一度この世界で分子レベルまで分解され、一から再構築を果たすこととなった。

 前世界での失敗を踏まえ、世界における魔素の量を極限まで落とし、各世界を構築しその中に押し込んだ。


 それぞれの存在はそれぞれの世界に存在し、現物世界と呼ばれる人間達の元には、自由な行き来が困難になった……と言われている。


「とは言え、例外は有るけどね」



 精霊界。巨大な樹木マザーツリーが中心に有り、肥沃な大地、広大な荒野、砂漠、溶岩地帯とが存在する。


 そこに暮らす精霊は、実にまばらな大きさをしている。

 小指の先ほどの小さな者から、私よりも大きな者まで実に様々。



『あれ~?シャイズゥ~珍しいね、君がここに帰ってくるなんて。あれ?抱えているそれは人間??』


 シャイズの周りには無数の小さな光が纏わりつき、腕に抱えた子供を物珍しげに覗き込んでいた。


「邪魔よ。あんた達。これは人間だけど、私の娘。愛し子なんだから!」


『シャイズの?本当に??』

『ウッソ!!人間嫌いのシャイズが、人間の子供を娘にしてるの??』


 シャイズの言葉に、小さな精霊は群れを作り集まり出した。腕の中の子供を人目見ようと集まるのだ。


 ……あのね、確かに人間嫌いだけど、それは今も変わらないけれど、私が子供を抱えているのそんなに可笑しいかしら?


 つーか、あんた達のその群れで来るのも嫌なのよ。何かあると直ぐに伝播してワラワラ集まるんだから……。



 シャイズの『子供嫌い』の原因の一つは、間違いなく小さき精霊特有の好奇心の旺盛さと情報の共有による即座の集結に起因している。



 精霊界の中央、マザーツリーの側に有る精霊の泉。傷付いた精霊の傷もたちどころに癒すこの泉は、別名を癒しの泉。


 その中に、そっとアーシャの肉体を沈める。


 水のように澄んで見える青と緑の液体は、実のところ水ではない。魔素の集合体。それも癒しの力のみを集めた物なのだ。


 アーシャの傷は、癒しの力に触れると金色の細かな気泡を出し泡が消えると傷も消えていた。


 うっすらとアーシャの瞳が開かれる。碧と翠の微妙に色合いの異なる瞳。


 見知らぬ場所、見知らぬ光景に戸惑い不安げに揺れる。シャイズの顔を認めた瞬間、ふわりと穏やかな表情を浮かべ手を伸ばしてきた。


 愛しさが込み上げてくる。


 私の子……。私が育てた、私のたった一人の娘……。


 その手を取り、シャイズも微笑む。








 五日後、帰宅したアーシャことアシュレイは、アシュレイド・ディオス・グランヴェリテの名をグランから賜り、晴れて魔族グランヴェリテの娘とされ周知された。


 ※魔王の血族は、ディオスが家名。その後に父親の名を刻むのが主流だそうです。





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