第16話涙の理由~リディア幼少期Ⅲ~
「お前か?グランヴェリテの娘とやらは」
バサリ、バサリ、バサリ、バサリ………。
今日も、庭の片隅で魔法の課題をこなしていたアーシャは、不意に頭上からかけられた声と羽音に驚き顔を上げた。
空に黒い鳥のような翼を拡げ羽ばたく十代前半の少年の姿が。髪は黒く少し癖のある毛先が肩に届く程で、瞳の色は深紅をしている。色白の肌に、朱を差した唇が妙に色気を感じる。
「あなたはだぁれ?」
「俺様か?俺様は何れ魔王となる男だ!!」
自信たっぷり高らかに告げる少年の瞳には、野心と言うものが煌々と宿っていた。
「…………。(これは、どう答えたら良いの?)」
アーシャは、答えに困り固まる。アーシャが何も答えないので、二人の間には暫しの沈黙が横たわる。
続く沈黙に先に痺れを切らしたのは黒髪の少年で、地面に足を付けズンズンとした足取りでアーシャに詰め寄る。
「なんだよ?何か感想ぐらい言えよ!!」
思いの外、大声で話し掛けられたことと、間近に見る少年が余りに美しく、見下ろされる状況に戸惑い驚く。
「えっ……と?」
「何だよ?鈍臭いな!人間てそんなに鈍いのかよ!?グランヴェリテの娘だって言うのに、全然だな!!」
尚も戸惑い続けるアーシャに痺れを切らし、更に捲し立ててきた。
初めて会う魔族の少年に、何だか散々な言われようをしているわけだけど、どうしてこんなことを言われなくちゃならないのかしら?
返す言葉も見つからないアーシャに助け船が現れたのは家の中からだった。
閉ざされていた扉が開くと、背の高い黒髪、金の瞳のアーシャの父グランの姿が。
「何だ?朝っぱらから煩いのは。……ディゼル……お前か……」
ディゼルの姿を見たグランは、『やれやれ、面倒なのが来た』と言う空気感を放つ。声音も脱力めいた物となった。
「グラン叔父さん!!未来の魔王ディゼル様が遊びに来てやったぞ!!」
対してディゼルは、パッと晴れやかな表情で胸を張る。
どうやらディゼルはグランの兄弟の誰かの子供で、血の繋がりは無くともアーシャとは従兄弟に当たるようだった。
「呼んでも無いのに何をしに来た?」
「もうすぐ魔王の代替わりが有るんだろ?当然、次の魔王はこの俺様だよな?って、確認に来たんだけど、実際どうなんだよ?」
時期魔王の継承権を持つもので積極的に名乗りを挙げているのは、このディゼルただ一人だけ。他に手を挙げる者が居ないのだから、当然自分がなって然るべきと思っているのだ。
「残念だが、現段階でのお前の継承は皆無だ。やる気は認めるが、それに見会うだけの経験と実績が足りてないからな。実力不足と言うやつだ」
「ちえーっ!何だよ、結局誰がやるの?魔王。……まさか!グラン叔父さんだったりするわけ!?」
と、なると再び持ち上がるのは次の後継問題だ。何せ、このグランが伴侶に選んだのは生殖機能を持たない精霊王と妖精王のハーフ。
一瞬にして落ち込んだ気持ちは、一気に復活を果たし、ディゼルは再び魔王となる決意を固める。
「よっしゃぁ!!次がグランなら、その次になる可能性メッチャあんじゃん!!ふっふっふっ……遣る気が出てきたぞーーー!!」
その様子に、グランは苦笑し『調子の良いやつ』と判じた。
その後も度々、この森に入り浸るディゼルは、何かとアーシャに突っかかる。
目的は、アーシャを泣かせること。散々意地悪な事を言ったり出来ないことを馬鹿にしたりして、何とか泣かせようと試みていた。
※俗に言う、好きな子に意地悪すると言うヤツだ。それで気を引こうとは、ディゼルは見た目以上のお子ちゃまなのです。
「何だ、魔法は使えるのに空も飛べないのか?未々ヒヨッコだな。俺様を見てみろ、黒々とした艶やかな翼だろ?お前にこんなものを生やすことは出来るのかよ?」
「人間、お前が俺様に少しでも対抗できるのか?ちんけで弱っちい癖に、生意気だな!!」
散々な言われようをしていたが、頭に来ることは有って掴み掛かっては投げ飛ばされる……だけど決してアーシャは泣かなかった。
そんな事が度々あったが、有るとき彼はこう言った。
「お前、以外と根性だけはあんのな。な、将来さ俺様が本当に魔王になったら、お前を迎えに行ってやっても良いんだぞ?」
何時もの意地悪な言い方じゃない。何となく違いはわかったけれど、それが何なのか5歳のアーシャに分かるわけがない。
「どうして迎えに来るの?」
「……ばっ!に、にっ鈍いなぁーっ!!俺様の嫁にしてやるって言ってるんだよ!!」
単純に疑問を返せば、顔を赤くしてディゼルは答えた。
嫁……?嫌だ!!ディゼルは、何時も意地悪ばかり言うし、優しくないもの。
「やだ……絶対、ディゼルのお嫁さんにだけはならない!!」
「なっ、何だと!?」
「だって、ディゼル!何時も意地悪ばかり何だもん!わたし、意地悪な人キライ!!」
「……くっ!で、でも、俺が魔王になったら必ず迎えにいくからな!待っとけよ!!」
断られた自棄で意地を通すつもりなのか、ディゼルはそう言うと、飛び去って言ってしまった。
五歳の夏の盛りを過ぎた頃。この頃になると、森の中にお父様もお母様も森の中を留守にしがちになりだしていた。
「アーシャ、森の中は自由に動いて良いけれど、人間に会ってもここの事は話しちゃダメよ?私達はひっそりと暮らすことを望んでいるのだから……いいわね?」
そう、言われたのに…………私は……。
一人きりで過ごしたその日、私は一人の少年との出会いを果たした。森の中を騎乗用の魔獣スライドに乗って、散策していたの。その時出会ったのが、森の中をさ迷っていた少年で彼は森の近くの村の子供だった。
「どうしたの?こんな森の中で迷子?」
木の根本、大きく張り出した根に腰掛け、茶色の髪の十歳ほどの少年が、膝を抱え込んだ腕のなかに顔を埋めている。
声をかけられた少年はノロノロと顔をあげ、涙と鼻水が垂れた顔を見せた。
「……あっ!ま、魔獣……!?……や、やめろ!俺を食うな!!」
声をかけたアーシャの姿より先に、騎乗していた魔獣の顔と目が合いパニックを起こしていた。
「大丈夫だよ。この子は大人しいからね。」
すかさず地に降りて、少年にゆっくりと近寄ると、落ち着くように宥めた。
暫く、『大丈夫だよ。怖くないから』と、繰り返し伝えることで、少年は一応の落ち着きを取り戻した。
「それで、こんな森の奥で何していたの?迷子??」
「ま……迷子。道を間違えたんだ……それで、帰り道がわからなくなった……」
「家はどこ?近くまでなら送ってあげるよ」
「西のサリアド村……」
『グルグウオオオォォォ……ン』
少年が答えると、アーシャの乗っていた魔獣スライドが、『俺に任せろ』的な鳴き声を上げ首を少年の方に向けてきた。
それにも驚き少年は、尻餅をついてしまう。
「乗って。この子が村の側までの道を知っているから」
「こ、これは魔獣なの!!?」
恐る恐る魔獣の背中に登りながら少年は、アーシャに訊ねる。アーシャが「そうだよ」と、答えるよ少年は、「ひっ…!」と、短い悲鳴を上げた。
「私はアーシャ。この森の奥に暮らしているの。あなたの名前は?」
「俺は、ラハト。……ねぇ。これ、どう見てもやっぱり魔獣だよな?」
ラハトはアーシャよりも年上で、魔獣の上に引き上げたときアーシャよりも頭一つ分大きかった。
さっきも同じ質問をしたばかりだと言うのに、何を確認しているのか。
「そうよ。魔獣。納得した?」
「おいらの父ちゃん、森で木こりをしているんだ!!だからさ、たまに付いていったときに遠目に見るんだよ。その時にはさぁ~物音を立てないように気を付けるんだ。やつら音には敏感だろ?だからさそ~っと気付かれないように逃げるんだぜ!」
森で魔獣に出会ったときの心得を得意気にラハトは披露する。
「逃げる?どうして?」
アーシャは、拾われたときから魔獣や妖獣に囲まれて暮らしていた。魔族の娘として又は精霊と妖精の血を持つ者の娘として過ごしていた。だから、その牙も爪も恐ろしさもその身に感じたことはない。
アーシャの見当違いな返答に、ラハトは違和感も感じたが、自分よりも幼い者の言うことだから余り気には止めなかった。
「どうしてって、だって気付かれたら喰われちまうんだぞ!?普通の魔獣ってそういうもんだ!」
そう言い切られると、アーシャとしても反論は有る。
「そんなこと無い!みんな優しいんだから!!きっと、人間が襲われるのは魔獣達を苛めるからだよ!!」
「違わない!奴等は人間を補食するんだ!ほんとなら、こんな風に背中に載せてなんて……。……っ!!」
『森の中に住んでるの』さっき、少女はそう言った。
森の奥底に住むなんて、魔女か魔族か……そんな所の筈だ。
そう考えるなら、一見すると人間のように見えるが、少女は魔族の子供で、だから魔獣を恐れないし襲われない。
そう考えると辻褄が、合った。
「アーシャは……森の奥に住んでいるんだよね?」
急な話の変化に、アーシャは戸惑いつつもこのまま喧嘩にならなくて良かったと安堵した。
「うん、そう。森の奥でお父様とお母様と三人で暮らしているの」
「お父様とお母様って、どんな人?」
アーシャは、考えた。
お父様は黒髪で、金色の瞳が透けていて綺麗で、真っ黒な大きな翼が格好良くて大きくて優しい。
お母様は、とても綺麗。紫銀と青銀の色に変化する瞳と髪。魔法の練習とか勉強には厳しいけれど、上手く出来たときに誉めてくれる笑顔が素敵なのだ。そして、滅多に拡げられることの無い虹色を放つ妖精とも精霊とも付かない透明の羽。これを拡げたときが一番輝いて美しい。
それをそのまま話してしまった。
「この先に行けば、村まではもう少しだよ」
村へ出るための道の少し手前の草原にラハトを下ろし、アーシャはラハトの姿が消えるのを見届けて森の奥へと引き返す。
「ラハトーーー!!ラハトやーーー!!」
「ラハトーー!!どこにいるんだーー!!?」
ラハトが村への道に近付くにつれ、聞き覚えの有る村の大人達の声が聞こえてきた。
「こ……ここだ!ここだよ!!ラハトだよ、ここにいるよ!!」
ラハトは、大声を出した。今出せる、ギリギリの大きな声を。昼からさ迷い続けて、足はクタクタだし、お腹はペコペコで腹に力が入らなくて、思ったよりも小さな声になってしまったけれど。
「ラハト!!ああ、ラハト!良かった、見つかって!!」
父親が駆け寄ってきて、おもむろに抱きついた。ラハトは苦しいと思ったけど、それよりも父親がこんなにも自分を心配してくれたのだと嬉しかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい…………ごめんなさぁぁい……っ。うえぇぇん!!」
ラハトは今日沢山の不安と恐怖の中に晒されていた。親に合えた。村に帰れる。お母さんに会えるんだ!!そう思うと、涙も泣き声も止まるところを知らなくなった。
暫く、父親に抱えられ村への帰路を急ぐ。感動の再会も、喜びも一瞬のもので日暮れ後の森周辺は魔物が多く狂暴性が増す。
早急に、安全な村に帰らなくては、今度は違う心配が過るのだ。
こうしてラハトは、父親に抱えられたまま母の待つ村へと帰宅した。
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