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 キティは、ジャックと二人でダグラスの縄張りに向かって歩き始めた。自分たちがいた通りを抜けて、大通りに出る。大通りには昨日の雪が残っていて、どう歩いても膝まで埋まってしまう。キティはお気に入りの冬用ブーツを履いていたが、それでも中身が濡れるのを防ぐことはできなかった。

「糞ったれ、靴下まで濡れちまった」キティは悪態をついた。

「次は革のブーツにしたらどうだ? これなら、どんなに歩いても濡れない」ジャックが片足立ちになって、自分の履いているブーツを指差した。

「あんた、いつもそれ履いてるけどさ。随分と古いよね」

「そうかな。まだ六年ぐらいしか使ってないけど」

「違う、いや違わないけど、今はデザインの話」キティは少し顎を上げて、空を見て言った。「なんか、カリブの海賊みたいだ」

「ふうん……、海賊かぁ」

 それから少しの間、ジャックは黙り込んだ。ブーツに対するコメントで、彼を傷つけてしまっただろうか。キティがそう考えて謝罪しようとしたとき、ジャックが口を開いた。

「おぶっていこうか?」

「え?」キティはジャックの提案に驚いた。

「いや、濡れるのが嫌なら。僕が背負って、君を運ぶのが良いかと思ってね」

 彼女は、身長二メートルの大男に背負われた自分を想像して、思わず吹き出した。

「次それ言ったら、ぶん殴ってやるからな」キティは笑いながら言う。

「そんなに悪い提案だったかな」

 ジャックは、不思議そうに首を傾げてから、また黙って歩き始めた。

 この男は初めから、掴みどころのない人物だった、とキティは思い出す。最初に彼と会ったのは、四年前の、まだ自分が十八歳のときだった。あの日、ジャックはアパート近くの路地裏で行き倒れていた。彼を見つけたとき、決して親切な人間とは言えない自分が、他人を助けたのは何故だろうと、いまでも時々考える。

 理由。それはジャックの、海のように碧い目が、子供のころ飼っていた犬に、似ていたせいかもしれない。または、その日が祖父の葬式を終えた、翌日だったからというのも、理由の一つだろうか。しかし、いくら考えても正確な理由は思い出せなかった。もしかすると、大した理由なんてなかったのかもしれない。

 大通りを歩いているうちに、薄野に入る。薄野はさっきまでの道と比べると、いくらか除雪されていて、歩きやすかった。流石に繁華街ともなると、商売人たちが儲けを考えて整備するらしい。中央の交差点には道に沿って、キャバレーや売春宿が林立している。どの店も入り口の前に、まだ昼過ぎだというのに娼婦を立たせていた。娼婦たちの格好は、夏に比べると露出が控えめだったが、それでも、かなり寒そうだった。

 薄野の中心から外れて、東に向かう。突き当りの川まで歩き、右に曲がる。さらに進むと、薄野とは雰囲気がガラリと変わる。そこにあるのは、無茶な増築を繰り返した、コンクリート製の建物。それはまるで、生き物が細胞分裂するような、縦横無尽さで広がっていた。建物同士はそれぞれの長辺で繋がっており、外からは中が見えない迷宮のようになっている。

 札幌の人間は、皆ここを「涅槃場ネハンバ」と呼んでいた。

 二人は建物と建物の間にある細い隙間を見つけて、中に入っていく。横ばいに進む途中で、何か柔らかいものを踏みつけたが、キティはそちらを見ないようにした。ここは何が起こってもおかしくない場所だ。いちいち、細かいことを気にしていると雰囲気に呑まれてしまう。

「さっさと済ませて、さっさと帰ろう」ジャックが言った。「ここはあまり好きじゃない」

「そうだな」キティは肯定した。

 まったく、ジャックの言うとおりだ。キティは仕事を済ませて、暗くなるまでには帰りたいと思った。

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