第二十三章・魔王オルゴンゾーラ

第149話 魔王の萌芽

「ぶいー!!」


 チョキが何か叫んでいる。

 なんだなんだ。


「えっ!? 誰かいたって!? レヴィア様ー! なんか、オルゴンゾーラの影に誰かいたって。チョキが見つけたみたい!」


「なんだと!」


 汚れを洗うためにビショビショになったレヴィアが、キリッとする。

 俺はビューっと風を吹かせて、彼女を乾かした。


「どれどれ」


 俺はレヴィアをお姫様抱っこしたまま、下へと降りていくのである。

 チョキが途中で、俺の肩に飛び乗る。


「ぶ、ぶ、ぶいー!」


「ネーロ、ウェスカーさんまで近づけて! あのね、ウェスカーさん! その人って、前に私たちがユーティリット王国の王都で戦った、おじいさんっぽかったって!」


「おじいさんって、あれか。魔将オペルク?」


「ぶいぶい」


 チョキが頷いた。

 ああ、やっぱり生きてたんだなあ。

 しかも、アポカリフを戦わせといて、影でこそこそと作業していたとは。


「どれどれ……。よく見ると、確かにオルゴンゾーラの一部が削れてる」


 オルゴンゾーラの本体は、地面にうずくまったような姿勢をしているが、その目玉の辺りが削られていた。

 後は、角とか翼の先端とか。

 まんべんなく、全身が少しずつだな。


「うむ……一体、何を考えている?」


「魔王を復活させるつもりなんでしょうなー。でも、ここで復活の儀式をやろうとすると、レヴィア様とか俺がひっくり返すでしょ」


「無論だ! もろともに粉々だ!」


「でしょー。だからそれが怖くて、中途半端にどこかでオルゴンゾーラを復活させるんだろうと」


「それともう一つ」


 シュテルンたちも降りてきた。

 ゾンビみたいな竜は、地面に降りると同時に、溶けて消えてしまう。


「魔将を名乗る、オルゴンゾーラによく似た男がいる。オルゴーンと名乗る、赤い衣装の男だが……。突然現れた」


「ほう」


 レヴィアがニヤリと笑った。

 これは殴る相手を見つけた顔だ。


「オルゴンゾーラの分身か何かじゃないかね」


「だろうな」


 じかにそのオルゴーンという男に会ったのは、シュテルンとイヴァリアしかいない。

 どんな奴なのはよく分からないわけなのだ。

 しかし、対処方法は一つだけである。


「ま、実際に会ったらぶっ飛ばしゃいいですな」


「その通りだ」


 最終的に魔王もぶっ飛ばすので、いまさら何が増えてもぶっ飛ばすだけである。

 決意というか、いつも通りの方針を確認する俺たちの頭上で、アポカリフから生まれたピースが落下してこようとしていた。








 遠く離れた空間。

 果のない闇がどこまでも広がり、その中に点々と、遠く見える星のような輝きがある。

 そして一点だけ、大きく広がる光。


『進捗はどうだい、オペルク』


「はい! 今まで人間どもから集めた、絶望や恐怖に染まった魔力オドは、ゆうに千年分。これにオルゴンゾーラ様の欠片があれば、どうにか……」


 耳が尖った老人と、白いスーツを纏った男が、そこにはいる。

 老人の名はオペルク。

 魔王に惹かれて軍門に下った、魔族の識者。

 男の名は、魔王オルゴンゾーラ。

 遥か星辰の彼方より、この世界に降り立った異界の神。

 正しくは、その神が力を失い、魂のみが形を成している存在である。


『結構。僕の可愛いオルゴーンたちはどうかね?』


「そちらは順調に。回収したオルゴンゾーラ様の欠片から、現在七体を生み出すことに成功しています」


『あれらは、僕の真似をする他に能がない存在だが、その身に人間たちの魔力を吸い集める役割を持っている。あれの活躍が、新たな僕の肉体の仕上がりを左右すると言っていい』


 魔王は、虚空に手を伸ばす。

 その手の内に、白いカップが出現した。

 なみなみと、怪しい色の液体が湛えられている。


『オルゴーンの一体を呼び戻せ。あれを僕の肉体とし、次は自ら出るとしよう』


「オルゴンゾーラ様がご自身で……!? ですが、万一の事があれば……!」


『何を言うんだい? 今この世界で、自ら星を破壊し尽くした僕と、同じものが生まれようとしているんだ。しかも、二人。真の邂逅の前に、本格的に味見をしておきたいと思うのは当然のことじゃないかね』


「し、しかし、オルゴンゾーラ様にもしもの事があれば我ら魔族は……」


『僕にとって、僕以外の全てのものは等しく価値がない。その中でオペルク。君だけはこうして生かしてやっているんだぜ?』


 オルゴンゾーラは笑った。

 彼の横に、オペルクによって呼ばれたのか、赤いスーツを纏った、彼によく似た男が出現する。

 魔王の分体、偽りの魔将オルゴーン。

 オルゴンゾーラは、これに、ごく自然な動作で重なった。

 まるで彼の実体が無いかのように、その白い姿は赤い男に飲み込まれる。

 一瞬、オルゴーンがビクリと痙攣した。

 そして、目玉の色がぐるりと反転し、黒と金色に彩られた球体に変わる。


「ふむ、これならば多少は動けそうだ」


 手のひらを握り、開き、そして肩をぐるぐると回す。


「さあ、勤勉な魔王が、自らの力で人間たちから魔力を集めるとしよう。強い恐怖を与え、されど命は極限まで奪わず、限界まで彼らの恐怖と絶望が染み込んだ魔力をこの身に集める。実に難しい仕事ではないかな」


 オルゴンゾーラは、虚空をぐっと握りしめた。

 そこにドアノブが生まれる。


「では行ってくる。僕が戻るまでに、準備を整えておくように」


「は、はい!」


 オペルクの声を背中に、オルゴンゾーラは出立する。

 虚空は扉となり、彼を新たな世界に運んだ。





 そこは、どこまでも続く青い空。

 火山の周囲に、原始の森が広がる南の島。


「ウホッ?」


 火山島を守る、聖なる獣、ゴリラが招かれざる来訪者に気づいた。

 争いを鎮める魔力を持つドラミングが、島に響き渡る。

 生半可な魔物であれば、この音を聞けば戦意を失い、ゴリラのもとに頭を垂れる事となる。

 だが、この男は例外であった。


「報告には聞いている。勇者パーティと共に、魔将フレア・タンと戦った聖獣ゴリラ。なるほど、君が邪悪な存在であれば、僕は放ってはおかなかっただろう。力、秘めた魔力、共に僕が集めた魔将に匹敵する」


 赤いスーツの男が、ゴリラに向かって歩み征く。

 原始の森が引き裂かれ、男のために道を作る。

 歩いた後は闇色の孔となり、瘴気を放つ。


「ムホーッ!」


 ゴリラは察した。

 眼の前にいる存在は、絶対にわかり合うことが出来ないモノ。

 わかり合う、平和、そういった概念とは対局に位置する、言わば……彼のライバルであったあの魔導師に近い性質をもった何かだ。

 一言で表すなら、悪のウェスカー……!


「ムガアッ!」


 故に、ゴリラはこの瞬間だけ、平和主義をかなぐり捨てた。

 これは危険だ。

 いや、危険などという生易しいものではない。

 こうして存在しているだけで、周囲に負の魔力をばら撒き、世界を絶望で染めていく存在だ。

 ゴリラの全身が逆立ち、体毛が銀色に染まっていく。

 これぞ、ゴリラの戦闘形態、シルバーバック。

 ドラゴンにすら匹敵する魔力を全身から発しながら、ゴリラは赤いスーツの男に飛びかかった。


「ははあ! これは始めの頃のレヴィア姫よりも遥かに上だ」


 にこやかに笑いながら、ゴリラの一撃を、片腕で受け止める男。

 ゴリラは、腕を、足を、歯を使い、全身で赤いスーツの男に攻撃を加える。

 この全てを、彼は片腕で受け止め、受け流し、払い落とす。

 ゴリラとこの男の戦いで、大地は裂け、森はなぎ倒され、天は鳴動し嵐が巻き起こる。

 ふとゴリラは気づく。

 自分は誘導されている。

 戦っているように見えて、この男はある方向へ、自分を誘い込んでいるのだ。

 だが、ゴリラは攻撃の手を休める事が出来ない。

 彼の胸に去来する感情は、目の前の存在に対する怒りと、そして恐怖だった。

 手を止めてはいけない。

 出来うることなら、この男をこの島で仕留めなければいけない。

 そうでなければ……。


「な、なんだ! ゴリラ、戦ってる!」


「ゴリラ、赤い男と!」


 島に住まう人々の声が聞こえた。

 ゴリラは愕然とする。

 この男は、島民たちのもとまでゴリラを誘導していたのだ。

 島の人々は、ゴリラが戦うという、極めて珍しい光景に気付き、次々姿を現す。


「ゴリラがんばれ!」


「ゴリラ!」


「ゴリラ!」


 声援が飛ぶ。

 だが、ゴリラの表情は焦りに血の気を失う。

 これは……この展開は、まずい。

 ゴリラと戦う……いや、攻撃を一方的に受け止め、受け流し続けるこの男の顔に笑みが浮かんでいる。


「では、諸君に恐怖と絶望をもたらそう。ゴリラ君。君も生まれが違えば、僕の下に仕えることも会ったかも知れないな。だが、仕方ない。それに、例え君が僕の部下だろうと、何もかも、等しく価値は無いのだ」


「ウ、ウホォッ!」


「僕かい? いいだろう。君に敬意を表して名乗ろうじゃないか。僕の名は、魔王オルゴンゾーラ。聖獣ゴリラ、君の命は恐怖と絶望となり、僕の血肉となる。さらば」


 赤い指先が奔った。

 ゴリラの胸を、オルゴンゾーラの手指がやすやすと貫く。


「ゴッ」


 ゴリラの口から、血が迸った。


「バーン」


 悪戯めいた口調で、オルゴンゾーラは呟いた。

 その瞬間、ゴリラがいた場所が大爆発を起こす。

 爆風が吹き荒れる。

 だが、爆風と炎は、島の人々に届く前に不自然な力で遮られ、空に向かって、地の底に向かって撃ち出される。

 島が揺れ、空が黒煙でかき曇る。

 衝撃が世界を震撼させ、やがて前触れもなく、火山が噴火を始めた。


「あ、あああああ!」


「ゴ、ゴリラアアアア!」


「うわああああ!」


 島民たちは衝撃のあまり、叫ぶ。

 叫びが恐怖となり、理解が絶望となる。

 爆炎の中から、傷一つないオルゴンゾーラが歩み出た。

 大きく手を広げ、満面の笑みを浮かべて天を仰ぐ。


「良い絶望だ! 素晴らしい!」


 島民たちの体から、不可視の力が溢れ出していた。

 それこそは、魔力。

 人が持つ内なる魔力オド

 これが、オルゴンゾーラに吸い込まれていく。

 やがて、魔力を吸い尽くされた人々が倒れる。


 島のあらゆる生物が動きを止め、火山すらもがその火を弱めていく。

 火山島の持っていた魔力を全て、己が身に集めた魔王は、満足げに頷いた。


「簡単なことじゃないか。魔将たちは何故、今まで手間取っていたんだ。やはり、僕以外の奴はダメだな」


 彼はブツブツと呟くと、また、何もない空を握りしめた。

 空間が扉になる。

 オルゴンゾーラは、新たな場所へと立ち去っていく。


 動くものの消えた火山の島。

 いつまでも続くと思われた静寂の中、かすかにドラミングが響き始めた。

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