第131話 闇の神殿への訪問者

 オエスツー王国の端の辺りに、ひっそり佇む神殿がある。

 闇の女神、キータスを祀る神殿である。

 今では、あちこちが蔦で覆われ、前庭には草木が生い茂る。


「魔物たちが王国に住み着いたと聞いたが……」


 遥かな昔から、一人この地で女神の神官を務めていた男は、ため息を吐く。

 灰色の肌をした男で、耳が尖り、無毛の頭には角が生えていた。

 彼は魔物なのだ。


「一人も神殿に来ない……。信仰は寂れてしまったのか……」


 彼の名は、闇の神官ドバット。

 魔物だが、とても真面目で、敬虔けいけんなキータスの信者である。


「何もかもおかしくなってしまった。あのオルゴンゾーラと言う者が、星辰の彼方からやって来てから、魔物たちは狂わされてしまった。信仰を持つことすらできず、こうして寂れゆく神殿を思うこと無く、放置したままとは」


 彼が見上げるのは、女神の彫像だった。

 長い髪をかき上げ、憂いのある目線を彼方に投げかける乙女の姿。

 その胸は豊満であった。


「おお……キータス様……! 貴女を信じる神官は、私一人になってしまいました……! だが、私はこの生命尽きるときまで、ただ一人の信者として貴女を崇め続けましょう……!」


「貴方だけではありませんよ」


 突然、ドバットではない者の声がした。

 ハッとして振り返るドバット。


「誰かね!? ここは神聖なる女神キータスの神殿だが……も、もしや、信者が……!?」


 木々が揺れ、その下から3つの人影が現れた。

 一人は、褐色の肌の怪しげな美女。

 もう一人は、やる気のなさそうな顔をした黒髪の青年。極めて上質の、魔法のローブを身にまとっている。

 そして最後に、黒髪の青年のお尻の辺りにくっついている、やはり黒い髪をした幼女である。


「わたくしたちは、貴方と同じ、神を信じるものです」


 褐色の肌の美女は、妖艶な笑みを浮かべた。

 青年はうへへ、とだらしなく笑い、幼女は隠れる。

 ドバットは、この三名から言い知れぬ凄みを感じていた。


「貴方がたは一体……!?」


「そうだな。仮に俺のことは謎の大神官ウェスカーと呼ぶがいい」


 黒髪の青年は、ドバットに告げた。

 この瞬間から、闇の女神キータスを信じる教団の躍進が始まったのである。




 ここは、闇の神殿から少し離れたところにある、オエスツー王国辺境の村。

 この地にも魔物は入り込んでいた。


「ええいどけどけい! 魔物様のお通りだ! がっはっは! 人間は数が多くて強者なんだからな! 少数で弱者の魔物に無限に配慮して道を開けるのが筋だ! おっと、俺たち魔物は弱者だからな! こうして強者の人間を殴っても何も言われない!」


 モヒカンの魔物が、ヒャッハーと村人を殴る。


「うわーっ」


 村人が倒れた。

 だが、村人はこの魔物の狼藉に抗う術はないのである。

 オエスツー王国を支配する、魔将シュテルンが定めた法により、人間は魔物への反抗を禁じられていた。

 そして、魔物は数こそ少ないが、一体一体が人間よりも強力なのである。


「くそっ、いつまでこんな暮らしをしなくちゃならないんだ……! いっそ、村を逃げ出して……!」


 そんな事を話す者もいる。

 だが。


「やめておけ! 村の外には、人間狩りをする魔物がいるって話だ! あいつら、俺たちをいたぶって楽しんでるんだ……!」


「くそっ! なんて世の中だ! 救いの神はいないのか!」


 村人が悔しげに地面を叩いたときである。


「いるぞ」


 声がした。

 漆黒のローブに身を包んだ男が、物陰からヌッと立ち上がる。


「うわーっ」


 村人は驚いた。


「うわーっ」


 魔物は驚いた。


「お、お前はなんだ!!」


「俺は闇の女神の神官ウェスカー。この村に闇の女神キータスの教えを広めにやって来た……!」


 そう、俺だ。

 クリストファとマリエルが考案した、この作戦。

 名付けて、オエスツー王国を宗教的に奪還しよう作戦である。

 元々魔物っていうのは闇の女神に従っていたそうで、それが今はキータスを無視してオルゴンゾーラに従っているのはおかしいという事だった。

 そう言うわけで、魔物にインタビューだ。


「はあ? キータス……? 聞いたことはあるぜ。オルゴンゾーラ様が現れる前に、俺たち魔物が信仰していた女神だってな。だけどロートルもいいところだぜ! きっと魅力のクソもねえ、しわくちゃのババアに決まってる!」


「言ったな?」


「お、おう!?」


 俺は魔物にビシーッと指を突きつけた。

 絶対、キータスを見たらたまげるぞ。

 あと、俺に手出しをすると物陰に隠れたレヴィアが襲いかかってくるからな。

 むしろ、彼女は魔物をボコボコにする大義名分を求めている。


「これを見ろ」


 レヴィアが痺れを切らして飛び出してくる前に、俺は行動に移ることにした。

 ローブの前をバサーっと開けたのだ。

 そこには……。


「あっ」


 魔物は驚き、声を上げる。

 そこには、紐で括り付けられた幼い少女、我らが闇の女神キータスが、ぶらーんとぶら下がっていたからである。


「キータス、お仕事」


『ううっ、明るい……眩しい……。法則……』


「キータス……?」


 モヒカンが目を剥く。

 ほら見たことか。どう見ても幼女だろう。


「こいつは魔物なので、一つよろしく」


『うん……魔物……。変な法則が働いてる……。これ……』


「魔物に触るのか? ちょっと動き止めるな。エナジーボルト……ミニマム」


 細く小さな紫の輝きが放たれ、魔物の身体を包んだ。

 モヒカンの魔物はビクッと震えると、動かなくなる。


 手を伸ばすキータス。

 彼女の指先が、魔物の胸に触れると……ずぶりと潜り込んでいった。


『これっ……』


 キータスの手が何かを握りしめ、魔物の中から引き抜いていった。


「何それ」


『変なの。変な法則』


 キータスの手のひらの中には、バッジのようなものが握りしめられていた。

 何ていうか……変な魔物の形をしたバッジ?

 前に、ユービキスと会った次元の縫い目で、壁画として描かれていた魔物に似てるな。

 あれをもっと、デザインっぽく単純化したような。


『えいっ』


 キータスが握りしめると、バッジはパキーンっと音を立て、砕け散ってしまった。

 次の瞬間、モヒカンの魔物がまた、ビクッと震えた。


「お、お、お、おえ!? おおおお、キータス様!! ははーっ!!」


 モヒカンはいきなり、俺の胸元からぶら下がった幼女に向かってひれ伏した。


『正しい法則』


 キータス、得意げにふんぞり返る。


「へえー、いきなり魔物がキータスに向かってヘコヘコし始めたぞ」


 俺たちが何かしたら、魔物の態度が大きく変化した。

 これを見ていた村人たちもビックリしたらしい。


「お、おい、あんたたち、一体何を……。それに闇の女神キータスって」


「あぁっ、村人さんっ……! さっきは済まなかった! 何もかも、オルゴンゾーラってやつの仕業なんだ!!」


 モヒカンの魔物、ひれ伏したままくるりと村人たちに向き直り、申し訳なさそうに頭を下げ始めた。

 戸惑う村人たち。


「お、おう」


「確かに、そこの娘さんが魔物の胸から、変なバッジみたいなのを取り出したら、こいつの態度が全然変わってしまった」


「これはもしや」


 いい感じだ。

 俺はキータスをぶら下げたまま、口の中でつぶやいた。


「エナジーボルト・薄く広くワイド・シン


 俺たちの背後に、紫のぼんやりとした輝きが生まれる。

 紫の逆光が、俺たちを神々しく見せてくれるはずだ。


「ああっ! なんて禍々しい光なんだ!」


「こいつは魔物の親玉に違いねえー!」


 村人たちが恐れおののいた。

 あれえ?

 だが、一応村人たちはこっちが凄そうな存在だと思ってくれている。

 これを利用しない手はない。


「俺は大神官ウェスカー。このぶら下がってる闇の女神キータスを崇めよ……」


 魔法の力で声をぐわんぐわん反響させつつ、俺はふわーっと舞い上がった。

 無論、背中からは紫の後光が輝き続けている。


「ああーっ、飛んだーっ」


「この世の終わりだぁーっ」


 集まった村人たちが、嘆き悲しむ。


『あ、う、あー……うー』


 想定してない状況になったせいか、キータスが言葉を失い、俺のお腹をぺちぺち叩いて抗議してくる。


「えっ、反応が違う? えーと、ちょっと待ってくれ。クリストファがくれたペーパーにセリフが書いてあるはず。えーと、えーと」


 俺は咳払いした。


「えー、この闇の女神キータスは、あらゆる魔物を治める神。あー、俺たちはこいつらを支配する魔王や魔将を……これ何て読むの? ま、いいか。うん、そんな感じで、魔王とか魔将とかやっつけて、俺たちが君たちを闇のもとに平和に支配する。よろしくな」


 どよどよどよっと、集まった村人たちがどよめく。

 上手く伝わったようだ。俺は満足した。

 そして、俺たちが派手なパフォーマンスをしているので、これに気づいた魔物たちが集まってくる。


「こらーっ! 何をしているお前た……ウワーッ空を紫に輝きながら飛んでるーっ!!」


「こっちに来るぞ! やめろー! 来るなー!」


「ぎえーっ! 紫の魔法で身体が動かなくー!!」


「ひい、俺の胸に幼女が腕を差し入れ」


「「「「「「ウグワーッ!!」」」」」」


 次の瞬間には、たくさんの魔物たちがキータスにひれ伏していた。

 闇の女神、一生懸命働いたので、肩で息をしている。


『じゅ……重労働……。労働者保護の法則……』


「後で甘いものをおごってやろう」


『供物は歓迎……!』


 あっという間に魔物を下し、従えてしまった俺たち。

 ひれ伏した彼らの頭上で、実際はこのあと食べる甘い物の話をしているのだが、そのムニャムニャ言う姿がどうやら、魔物たちを説伏しているように見えたらしい。

 村人たちは俺たちを拝むと、一人、また一人と膝を折り、頭を垂れ始めた。


「おお……魔物を従える闇の女神キータス……!」


「本当に神様だったんだ……!」


「なんでよりによって闇の神が来るんだと思ったけど、この際助けてくれるなら相手が悪魔でもいいや……!!」


 俺のローブで汗を拭っていたキータスは、己に向かってひれ伏す魔物と村人たちを見回すと、満足げに微笑んだ。


『闇の祝福を世界に』


 俺の魔法で拡声された言葉が、村に響き渡る。


「闇の祝福を世界に!!」


 これに、魔物と村人たちが唱和したのだった。

 うんうん、順調じゃないか。

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