第90話 オエスツーの支配者
俺とレヴィア、馬車の破れた天井近くに腰掛けて、ドナドナと運ばれていくところである。
不思議なことに、俺たち二人の姿は、誰にも視認できなくなっているようだ。
そして、俺たちからは生きているものを触れないし、向こうも俺たちに触れない。
唯一、無生物には触ることができるようで、これを使って影響をおよぼすことができる。
「ふーむ……。私が知っているオエスツー王国とは、随分姿が変わってしまっているな」
レヴィアが呟く。
周囲は、廃墟となった街並みと、その近くに廃材で作られた掘っ立て小屋が幾つもある。
そして、小屋には人間と、とても人間には見えないようなものが出入りしているのだ。しかも見覚えがある。黒いローブを身に纏っていて、輪郭やサイズが人間離れした……。
そう、オエスツー王国が魔法合戦に投入した魔導師たちだ。
中身はゴーレムだったり、魔物だったりしたはずだけどなあ。
「昔はもっと違ったんです?」
「ああ。昔と言っても、ほんの数年前だが。オエスツーは美しい国だった」
そしてレヴィア姫は語りだした。
まあ、この武骨なお姫様の話なので、大変端的で分かりやすい説明だった。
箇条書きにすると、こうだ。
オエスツー王国は農業で成り立つ国だった。
みんな牧歌的でのどかだった。
魔法合戦は弱かったが、そのお祭り中の食べ物はオエスツー側から供出されるので重宝されていた。
旅人にとても優しい国だった。
湖への観光客が多かった。
こんなところだ。
なるほどー。
健在なら、俺も訪れてみたかったなあ。
今じゃ、オエスツーの住民がどれくらい残っているのか、怪しいものだ。
周りの廃墟は、打ち壊されているだけではなくて、燃やされた跡も多い。
畑らしきものも掘り返され、魔物的な汁で汚染されている。
まるで毒の沼みたいに見える。
これはもう、ここで農作物を育てたりは厳しそうだなあ。
ああ、いや、魔法でどうにかなるかもしれない。
後で調べてみることにしよう。
俺たちを乗せた馬車は、国の大通りを走っていく。
徴税役人が言うには、魔物を入植させろとユーティリット王国からの命令が下ったという話だ。
なんともおかしな話だが、その理由がこの先にあるかもしれない。
「ふむ、国の兵士たちまでも魔物に置き換わっているのだな」
隣で姫騎士が、拳を固めたのが分かった。
悔しさとかで思わず拳を握りしめた……のではない。
この人、ごく自然に戦闘モードになったのだ。危ない。
「姫様、ステイステイ。今暴れたら色々調べたりできないからねー」
「う、うむ、うむ……」
俺に肩をぱたぱたされて、彼女は超人的な自制心を発揮して拳を開く。
だが、この人、平手でも骸骨の頭くらいは砕いてしまいそうな気はする。
「この拳は、後で絶対使うことになるので今は我慢我慢ですよ」
「分かっている。私だって空気を読む力くらいはあるぞ!」
俺は生暖かく微笑んだ。
レヴィアはその笑顔が気に入らなかったらしく、俺の脇腹を肘で小突いてきた。
まあ、俺も人のことは言えないがな!
さて、俺たちが何もしなかったお陰で、馬車は無事に宮殿跡の瓦礫までやってきたようだ。
うん、このぐちゃぐちゃな瓦礫の山が宮殿だよな?
かろうじて分かるのは、宮殿前に広場みたいな所があったらしいことだけだ。
今はそこに、立派なテントが立っている。
徴税役人はぶつぶつ言いながら馬車を降りると、テントに向かって声をかけた。
「アントンが戻ってまいりました!」
「うむ、ご苦労」
テントから出てきたのは、ユーティリット王国で見たことがあるような官僚だ。
横に、立派な服を着た赤毛でオールバックの、目付きが鋭い男がいる。
男はすっとこっちに視線を投げてきた。
そして、片方の眉をピクリと跳ね上げ、唇の端をプルプルさせる。
あれ? 見えてる?
しかもあれは、大変見覚えがある表情だぞ。
怒りを堪えている表情だ。
俺は彼の前まで歩いていくと、自らのこめかみに両親指をあてがい、手を広げた。
手のひらをひらひらさせながら、舌を出して鼻の下を舐めるようなポーズだ。
「あばばばば」
「こ、この……」
「どうされましたかなシュテルン殿」
「むっ、いや、なんでもない」
「えっ、シュテルンだったのか」
俺はびっくりした。
「何っ、シュテルンだったのか!!」
姫様もびっくりした。
びっくりし過ぎて戦闘態勢になって、全身からバリバリ雷みたいなのを放ち始めた。
「ヒヒーン!?」
「うわー、馬がいきなり暴れだした!!」
馬と御者が大騒ぎ。
官僚も突然のことに目を剥き、「なんだなんだ」と立ち止まる。
ここはシュテルン、流石に空気を読む。
「危険ですな。こちらへ」
官僚を先導しながら、立ち去ってしまう。
顎で徴税役人についてくるよう指示するのも忘れない。
「ええい、待てシュテルン! ここで再びとどめを刺してやる!!」
「姫様落ち着いて。なんかありそうじゃないですか? 絶対これ、シュテルンの他に何者かが噛んでますって」
「む、むむむーっ!!」
姫騎士、地団駄を踏む。
「とりあえずここはですな。そっと跡をついていって……」
どうやらシュテルンは、今の状況を荒立てるわけにはいかないようだ。
その内に戦いになるとは思うが、今はその時ではない。
俺たちもここは、そっと情報を集めるのだ。
それに、無生物を掴んでぶん殴らないと、生物に影響を与えられない今、魔法やらレヴィアの拳やらがシュテルンに通用するかどうかも分からない。
「今の俺たちがこうなってる理由も調べて、それでオエスツー王国がどうなってるかも調べましょうよ」
「確かに……。そなたの言うとおりだ。まさかウェスカーに諌められる日がくるとはな」
「ハハハ、俺も成長しているので」
俺はちょっと調子に乗りながら、シュテルンの後を追った。
だが、レヴィアと駄弁っていたせいで見失ってしまったようである。
「あれえ」
「……いないではないか」
姫騎士がムスーッとする。
「ハハハ、俺も失敗することはあるので」
俺はちょっと笑ってごまかしながら、シュテルンの行き先を探すことにした。
とにかく、オエスツー王国で起こっている事態の裏側に、魔王軍が噛んでいることだけは確かなようだ。
そして今までと違うのは、どうやらユーティリット王国が全面的にこの計画に協賛しているらしいこと。
「あ、いや、姫様の結婚式の時と同じですな。あれも王国が魔王軍に騙されてましたもんねー」
「うむ。私もまさか、フレアス王子が魔将だとは気づかなかったな。いや、しかし奴のパンチはなかなか強烈であった……」
しみじみ呟くレヴィア。
フックをまともに食らった辺りをさすっていたりするのだが、まあこれが年頃の女性の仕草ではない。
歴戦の戦士のそれだな。
「またやりたいものだ」
正に、ゴリラ的なそれである。
最近、姫騎士と呼ぶのもこの人に対しては間違いではないかなあ、などと思い始めている俺である。
そんな事を考えつつ、宮殿の周囲をぶらぶらと歩く。
すると、明らかに文官っぽい男女がテーブルを囲んでいる様子に出くわす。
彼等はテーブルの上に、オエスツー王国の市街地の図面を置いており、そこで盛んに何やら言い合っている。
「こちらの毒の沼になった場所に魔物を住まわせては」
「それでは魔王軍からのクレームが……。やはり人間と住まいを平等に」
「こちらの地域では、魔王軍への補助が手厚すぎるとの苦情が来ていまして」
「元々彼等は虐げられてきた立場なのだから、こうして手厚く持ち上げてようやく平等なのでは」
「何が起こっているのだ」
レヴィアは状況の分からなさに顔をしかめる。
俺は平然としているのだが、別に状況が理解できているわけではない。
常に大体、分からないことだらけなので、訳が分からないことに慣れているだけだ。
「まあまあ。とりあえずこうして、ちょこちょこ情報を集めながら行きましょう。それより今は腹ごしらえをしませんか」
「ふむ」
レヴィアが真顔になり、自分のお腹を撫でた。
「確かにお腹がすいている」
「でしょう? ちょうどあそこで食事の配給をしているみたいです」
俺が指差す先では、大鍋が用意されている。
みすぼらしい格好の人々が、皿を持ってそこに並んでいるではないか。
すると、人々の行列に割り込んでくる者がいる。
これは、牛のような角を生やした巨人だ。
「どけどけ! 俺たちは魔物だぞ!? 優先して食料を手にする権利があるんだ。お前たち人間は恵まれているのだから、俺たちに配慮するのだ!」
「ひい、お、横暴な」
「せめて列に並んで……」
配給係の人や、みすぼらしい格好の人々が弱々しい抗議の声を上げるのを、巨人はじろりと一瞥して黙らせる。
「がはははは! 一日や二日食わなかったくらいでどうかなるものでもあるまい! この鍋は俺が頂いていくぞ! がはははは!」
「そんな……! 子どもたちもお腹をすかせているのに……」
悲痛な声が聴こえる。
これはよろしくないな、と俺が介入しようとしたところである。
魔物の前に、姫騎士が立ちふさがっている。
人々には彼女の姿は見えない。
見えないはずだ。
だが、周囲に突然風が吹き荒れ、巻き起こった砂埃や塵が、姫騎士の姿を映し出す。
「ああん? なんだ、お前。人間か? だが位相がずれて……」
姫騎士は地面を蹴り砕きながら跳んだ。
そして、手に握った瓦礫の塊で、痛烈に魔物の顔面を殴り飛ばす。
「どおおおおおおっ!?」
牛の角をした巨人が、地面に叩き伏せられた。
あまりに勢いが凄いので、バウンドする。
これを、レヴィアは拾った石を握りながら、掬い上げるようにアッパーカットを叩き込む。
「ぶべえっ!」
巨人が浮いた。
もう、こいつは白目を剥いている。
「ほい、姫様! 石のお代わり」
俺は一抱えもある岩を、レヴィアに投げつける。
彼女はこれをキャッチすると、巨人目掛けて思いっきり投げつけた。
「ウグワーッ!!」
巨人は石に顔面を打たれ、諸共に向こうへと吹き飛んでいく。
「ふう……スッキリした」
汗を拭うレヴィア。
爽やかな汗だ。
そこに土や埃が付着した。
「あれ……? レヴィア姫様……?」
誰か小さい子が呟いた。
「騒がしいぞ、何事だ!」
向こうから、ユーティリットの兵士が走ってくる。
「厄介なことになりそうだから、逃げましょう姫様」
「むっ!? 逃げたくは無いが……」
ぶつぶつ言いながら、レヴィアは俺が差し出した手を握った。
二人で一緒に空に飛び上がるのである。
「少々派手にやってしまったか」
「いえいえ。今のは俺もスカッとしたのでいいんじゃないですかね」
そんな事を言いながら、俺たちはオエスツー王国の上空。
さて、どこで飯を食おうかと思案することになったのである。
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