第86話 おめかしアナベルのデートタイム

「ウェスカーさんのローブ、すっかり色が変わったねー」


「そう?」


 メリッサがローブの裾を持って、指先で生地を撫でている。

 大変すべすべしていて、このローブは着心地がいいのだ。

 以前は着てるとピリピリ来て、これはこれで刺激が心地よかったんだが。


「鏡みてみて。ほらほら、紫っぽいところがあったのに、完全になんかツヤツヤした黒いローブになってる」


「なるほど。着続けたから生地がくたびれたのかな?」


 その割には、ローブは別に汚れてもいない。

 最近気づいたのだが、食事をして汚れた手や口をローブで拭くと、ちゃんと拭いた部分はきれいになるのだが、ローブには汚れ一つついていないのだ。

 だからきっとこいつは、生地がくたびれても汚れないローブに違いない。


「良いものを手に入れたなあ」


「フャン」


 ボンゴレがローブで爪とぎをしている。

 ほう、それでも生地がいたまない。


「魔将のとんでもないローブを、ウェスカーさんが無理やり着続けて手懐けた感じだよね」


「ローブも懐くのかあ」


「違うから。凄いのそこじゃないから」


 メリッサは何を言っているのだろう。

 とりあえず、ローブにボンゴレをぶら下げたまま、俺は移動を開始した。

 今日も今日とて、蒸気船ハブーの上。

 珊瑚の島の船乗りたちを迎え入れた街は、大変賑やかになっている。

 俺が伝授した肉焼き魔法は少々難しいらしく、誰も再現ができないでいる。

 だが、そこは有能な技術者アンドリューだ。


「肉に穴を空けて、密閉された釜の中で焼くことで中と外を同時に焼ける」


 という提案を行い、目下肉焼き機の作成真っ最中だ。

 そうかー。

 肉に穴を開ければ、わざわざ肉の内側から熱を送り込まなくても焼けるもんなあ。

 アンドリューは頭がいいな。


「そう言えばウェスカーさん、アナベルが呼んでたみたいだけどー」


「おっ、そうか」


 メリッサは、アナベルとは年が近いこともあって、気安くお互いを呼び捨てにしあっている。

 最近よく一緒にいて、俺の方を見ながらヒソヒソ言っているのである。


「アナベルどこだー」


 メリッサ、ボンゴレ、パンジャ、チョキを引き連れつつ、俺たちは街中を練り歩く。

 すると、家の影から見覚えのある顔がこちらを見ているではないか。


「おー、アナベル。用ってなんだい」


 俺がどんどん近づいていくと、アナベルの顔が赤くなった。


「ちょ、ちょっ、こっちにも心の準備が!! 速い速い!!」


 速いと言われたので、俺は歩く速度をさらに上げた。

 もっと速くなるのだぞ。


「うわーっ」


 悲鳴を上げながら、アナベルが家の影に隠れようとする。

 何をそんなに焦っているのだ。

 俺はひょい、と家の影を覗き込んだ。

 すると、何やら可愛らしい花柄のドレスを着込んだ娘さんがいるではないか。

 顔を覆って背中を向けているが、髪もお団子に結っていてうなじがきれい。

 俺は一瞬考えた。

 そして口を開く。


「君は誰だ」


「アホかーっ!!」


 ジャンプしたメリッサが俺の後頭部をはたく。


「いたい! 何をするんだメリッサ!」


「どう見てもアナベルでしょー! 何言ってんのウェスカーさん! もうここでそのボケは犯罪だよ!?」


「えー、本当にー?」


「ほ、本当だっ」


 決死の覚悟を感じる表情で振り返るアナベルである。

 なるほど、顔はアナベルだ。

 ちょっとお化粧してる?


「今日は、兄貴が肉焼き機を造ってて邪魔をしに来ないから、おばちゃんたちに頼んでおめかしさせてもらったらこれだよ……! ううう、あたいはウェスカーと飯を食えるだけでいいのにぃ」


「今日は朝から、姫様も操縦室に入り浸ってるからね! アナベルがんばって!」


「ひ、人のことだと思ってー!」


 どういう状況なのかよく分からない。

 だが、アナベルが俺と一緒に飯を食いたいならば、食うことに異論はない。


「よし、行くぞ」


 俺はとことこと歩き出そうとして、振り返った。

 ドレスと言っても動きやすいドレスで、これは恐らく作業服を作る工場で、同じ素材を繋ぎ合わせて作ったんだろう。

 よく見ると生地がものすごくガッチリしている。

 その分、重そうだ。


「よし、行こう」


 俺はアナベルの手を握った。

 俺が牽引すれば、重くても歩く負担は軽減されるであろう。


「お、お、おおおおおっ」


 アナベルが変な声を出す。

 街の人間たちが、俺たちに注目してニヤニヤし始めた。

 ハブーを救った英雄である俺たち一行を知らない者はいない。

 で、俺たちと直接関わった人間であり、ハブーの優れた技術者であるアンドリューの妹、アナベルもそれなりに有名だったりするのだ。


「アナベルちゃん、頑張りなよ!」


「こりゃあお似合いなんじゃないか?」


「うっ、うっ、うるせーぞお前らー! あたいに注目すんじゃねーっ」


 アナベルがじたばた暴れる。

 これだけ暴れてもこのドレス、なんともないぞ。

 大変頑丈だ。


「よし、じゃあどこかで飯を……」


 と言いかけて、俺はハッとする。

 肉を焼くようになったとは言え、基本的にハブーの飲食店は労働者御用達である。

 安い、早い、まずい、の三拍子が揃い、このことに店主たちは誇りを抱いている。

 俺たちの食事は、基本的に店から供出される、焼いただけとか、煮たり茹でたりしただけの食材を、アナベルやエフエクス島から来た村民がきちんと味付けしたものなのだ。

 つまり、わざわざ食べに行くような飯ではない。


「よし店主、生肉を買おう」


「えっ? せっかくだから料理してやるよ」


「やめろう!」


 生肉を熱湯に放り込もうとする店主に、俺は駆け寄りざまのチョップを叩き込む。


「うっ」


 取り落とした生肉を回収。

 代金をテーブルの上に置くと、適当な香辛料をゲットして出発だ。

 ついでに、パンなんかも手に入れていく。


「あたいは別に、食堂の不味い飯でもいいんだけど」


「ちゃんとした飯を食える時代に食堂で食うなんて、苦行だぞ! 俺が焼くから見晴らしのいいところへ行こう」


 俺たちは、舳先へと向かった。

 そこはいつも、海を眺める人々で賑わっているのだが、今日は違った。

 メリッサがニヤニヤしながら待っている。


「みんな話したら分かってくれて、人払いできたからね。ウェスカーさんはバッチリいいところ見せるのよ……ううん、ウェスカーさんは余計なことしないで」


「どっちだ」


 珍しく突っ込む俺。


「も、もういいからさ! 肉を焼こうよウェスカー! メリッサもほら、そこまでしなくていいから……!」


 今日のアナベルは表情がコロコロ変わって面白いな。

 さて、肉を焼こうとリクエストされたからには、焼いてやろうじゃないか。

 俺はエナジーボルトを放ちながら、紫の光の中に生肉を浮かせる。

 こうして魔法で包み込むと、肉汁も脂も外には逃げないのだ。

 ここに、昨日完成させた肉焼き魔法を放つ……!


「おおー!!」


 俺たちの背後からどよめきと歓声が上がった。

 どうやらメリッサが人払いしたはずが、みんなどこかに隠れてこちらを伺っていたらしい。

 俺が肉を焼き始めると、みんな姿を表し、やんややんやの大喝采である。

 舳先の人々が、みんな俺の肉に注目していたので、お陰でそれ・・に気付くのが遅くなった。


 既にハサミの先端をこっちに引っ掛けていたらしいそいつは、舳先を飛び越えて甲板に躍り込んだのである。


『何かどでかいもんが、わしの上を通るかと思ったら……なんじゃ、これはあ!? 人の街が、なんで海の上を走っとるんじゃ!?』


 それは、巨大な巻き貝の殻を背負い、ハサミを持った硬そうなボディの魔物であった。

 で、俺はこの魔物に見覚えがある。


「おっ、ハーミットじゃないか。生きてたのかお前ー」


『その声、そしてその宙で肉を焼いとるおかしな魔法……! お前、あの時の大魔導か!』


「へ? ……へ!?」


 きょとんとして、俺とハーミットを交互に見るアナベル。


「で、やるのか。それとも肉を食うか?」


『やめとくわ。わしはもう、魔王とは縁を切ったからの。それよりも大魔導、お前、女と逢い引きとはなかなか隅に置けんのう。わしはここで貝殻に入っとるから、存分に逢い引きを楽しめ』


「合い挽き……?」


「ウェスカーさん違う!! 今ウェスカーさんが想像してるのとは違うからね!!」


 俺が危うく、焼いた肉をハンバーグにするところでメリッサの指摘が入った。


『しかしまあ、お前らはとんでもないことをやり遂げたのう。ネプトゥルフが倒されてより随分な時間、この海は平和じゃったわ。わしも魔王の呪縛から開放されての。この貝殻が完成するまでは潜っておったんじゃが、でき上がったその日に上を通過したのが、お前じゃったとはな大魔導!』


「うむうむ。積もる話もあるとは思うが、ちょっと貝殻借りてもいい?」


『ほ? 無茶をせんのなら構わんぞ』


 ということで、俺はハーミットの了承を取り付け、焼けた肉を手に貝殻を登るのである。


「アナベルも来いよ。ここはハブーで一番高い場所だ。眺めがいいぞ」


「あ、ああ!」


 後から登ってきたアナベル。

 並んで食事をするわけである。

 妙に無言。

 黙々と肉を齧りながら、ちらちら俺をみるアナベル。

 なんだろう……。

 目が合うと、彼女はパッと目を逸らした。

 なんだろう……。


 そして、目を逸らしたアナベルが、その先にあるものに気づいたようで立ち上がった。


「おい! あれ……!!」


 肉の脂でてらてらする指先が、海の彼方を指し示す。

 後で俺のローブで指を拭くといい。


「あれがサンゴ礁の島なんだろ!? 海の青と、砂浜の黄色と、緑……!」


「到着か!」


 俺も海の向こうに目を向ける。

 そこには、旅立った時と変わらぬ珊瑚の島々が広がっていたのである。

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