第85話 魚はいても魔物はいない

 風があっても風がなくても、蒸気船はどんどん進んでいくのだ。

 おおよそ二日ばかり海を行った頃合い。

 対面から、見覚えのある船がやって来た。船の底が浅くて、帆に風を受けて進むタイプだ。


「おーっ、あれは」


「サンゴ礁の民の船ですねえ」


 うつ伏せな感じで飛ぶ俺の背中で、マリエルは横座りになっている。

 彼女は指先で円を作って、その中に水を張って遠見の効果を得ているようだ。


「あら、もしかして、ウェスカーさんとお知り合いではありませんか?」


「ほんと? 確かに船長とかとは仲良くしたなあ。行ってみよう」


 そういうことになった。

 というか、そういうことにした。

 俺はびゅーん、と空から近づいていく。

 すると、見張り台にいた男がすぐにこちらに気付いた。

 一瞬ギョッとしたようだが、すぐさま、露骨に安心した顔になった。

 なんだなんだ。


「ウェスカーさんのローブですよ。そんな真っ黒なローブを身に着けて空を飛ぶ方が、何人もおられるわけがありませんから」


「なるほど」


 すごく納得できる意見だ!

 俺も他に見たことないもんな。


「ほーい」


 俺は見張り台の男目掛けて手を振った。

 向こうも手を振り返してくる。

 そして、下に向かって何事か叫んだ。

 船員たちが、わらわらと集まってくるではないか。

 みんな一斉に手を振っている。


「やあやあ諸君。おひさしぶり」


 俺はうつ伏せのまま、甲板へ着地した。

 マリエルが優雅に立ち上がる。

 うーむ。

 お尻のボリュームは姫様より上だったな。

 そんな俺を、船員たちはちょっと羨ましそうに見ているではないか。


「空を飛べればみんなにもワンチャンスあるぞ」


 俺は立ち上がりながら、親切心から伝えてあげた。

 だが、彼等は残念そうな顔をするだけである。

 これはつまり、マリエルに座られる権利を俺に託すということではあるまいか。なんと謙虚な男たちであろう。


「普通、人間は空を飛べませんものね」


「あっ、そうか」


 失念していた。


「では残念だが、みんなはマリエルに座ってはもらえないな」


「くっ」


「それはそうなんだけどムカつく!」


 船員たちから溢れる怒りみたいなものを感じるぞ。

 彼等と対峙する俺。

 徐々に、なんでこんなことしてるんだろうなー、という雰囲気に包まれだした頃だ。


「おおーっ! ウェスカーさんではありませんかな!!」


 船員たちの人波が二つに割れた。

 見覚えのあるおじさんが出てくる。

 前よりよっと年を取ったか?


「船長ー。久しぶりー」


「久しぶりです! 何年ぶりですかね! そちらはソーンテックの魔法使い殿!!」


「お久しぶりです。ですが、わたくしたちの時間感覚では、ほんのひと月ほどしか経過していないようです。どうやら、ソーンテックの海がこちらに戻ってくるために、いささかタイムラグがあったようですね」


 難しい話を始めたな。

 普段なら、ここで俺は考えるのをやめて適当なことで遊び始める頃合いだ。

 だが、これからはちょっと違うぞ。


「つまり俺はそんな年を取ってないが、船長は年を取ったということだな」


「はい。単純に言えばそういう事になりますね。この世界と、ソーンテックでは時間の流れが違ったのです」


「おお」


「なるほどなあ」


「ウェスカーさんが言ってくれたお陰でよくわかったぞ」


 多分、船員たちは俺と物事の理解度がとても近いので、俺が分かるように噛み砕けば、理解できるようになるようだ。


「船長たちがいるってことは、ここは珊瑚の島に近いのか?」


「そうですな。この船はあの島より、せいぜい三日程度のところまでしか行くことが出来ませんから。実は、皆さんがいなくなってからすぐに、この世界の様子が変わったのです。魔物が出なくなり、魚も多く捕れるようになりました。ですが、我々にはこの船より他に、遠洋へ到れる船を作る技術がなくてですな」


「ずっと、珊瑚の島の周りをうろうろしてたってわけだな」


「あまりに長い間、魔性によってソーンテックの海は封印され続けてきましたからね。多くの技術や知識が失われたということでしょう」


 俺たちが迎えに行かなければ、珊瑚の島の人々は、そこから出てくることができなかったというわけである。


「なあウェスカーさん、それじゃあ、あそこに見えてきたあのでかいやつは……!」


 見張り台の男が声を張り上げてくる。


「俺たちの船だ! ってことで、遠くまで行ける船の技術とか、アンドリューが教えてくれるはずだ!」


「アンドリュー……?」


 マリエルを除くみんなが首を傾げた。


「ウェスカーさん、いきなり個人の名前を出しても……」


「あ、そっか」






 蒸気船ハブーは、一見してゆったり、実際にはかなりの速さで珊瑚の島の船に並んだ。


「とんでもない大きさですなあ……!」


 船長が目を見開く。

 うん、しみじみ大きいよね。


「これね、船の上に街が一つ乗っかってるの。で、その下には工場や畑もあるからね」


「国がまるごと動いているのではないですか!! はあー。とんでもないものが、世界にはあったのですなあ。一体誰が、こんなとんでもないものを作ったのでしょうか」


「さあなあ。俺たちがこの街を魔将から取り戻したときには、もうハブーはハブーだったからなあ」


 よく考えたことはなかった。

 しかし確かに、考えてみれば動き回る巨大な船として、この馬鹿でかい街を作った人がいるわけだ。

 ハブーは船を追い越していく。

 後方に、大きな隙間が空いているのだ。

 あの隙間に魔将が陣取ってたんだよなあ。


「おーいウェスカー! こっち、こっちだ!」


 手を振るのは叔父さんである。


「ここが船を収納できるようになってるみたいだ。おいあんた、船をここに寄せることができるか?」


「あ、おお! おい、帆を張れ! このでかい船の中に入るんだ!」


「だそうだ! クリストファ、速度を緩めてくれ!」


 ゼインは、天井からぶら下がっている管楽器みたいなものに向かって怒鳴る。

 すると、目に見えてハブーの速度が落ちてきた。


「これでお互いの速さは合わせたぜ。入ってくれ!」


「おう、ありがとうよ!」


 船はゆっくりと、ハブーの中に進んでいく。

 入りきったところで、フックのようなものがあって、これが船を固定した。


「ゼインさん、見事な手際ですわね。ちょっと見直しました」


 叔父さんにエスコートされつつ、マリエルが船からハブーへ乗り移る。

 こう、マリエルは一々動作がかっこいいというか、しなやかと言うか……。


「よし、船長、俺がエスコートしてやろう」


「おお、済まんなウェスカーさん! 色っぽいお姉さんじゃなくて本当に済まんなあ」


「それを言ってはいけない」


 船長をキャッチする俺である。

 その後、船員全てを同じようにエスコートする。

 みんな、こんな大きな船は初体験ということで、おっかなびっくりにハブーの土を踏む。


「よーし、みんな揃ったな。じゃあ俺についてくるのだ」


 船員たちを先導する俺である。

 蒸気式の昇降装置で、船員たちを順番に上に送り出す。


「な、なんだこれ」


「魔法か!?」


「すげええ」


「ひやー! 足元が動いてる!」


 三往復ほどで船員を送りきったので、俺も昇っていった。

 船員たちが不安げな顔をして、ハブーの街で固まっている。

 街の人々も、やってきた外国の船員たちを物珍しげに眺めている。

 だが、この街の人たちは基本的に明るい。


「その格好、外国の人だろ? 蒸かし芋食っていけよ!」


「揚げた魚食うか?」


「茹でた肉食え食え!」


 あっ!!

 こいつら、どさくさに紛れて昔のハブーと同じ料理を薦めてやがる!!

 多分好意からなんだが、この人たち味覚がアレだからな。

 長い間、適当な料理に慣れてしまった舌を持っているから。


「こ、この芋、味がしない!」


「こ、この魚、味がしない!」


「こ、この肉、味がしない!」


 衝撃を受ける船員たちに、笑顔で調味料を差し出す住人たちである。


「こっちの世界は、あれだな……食い物で困ってるんだな……」


「違うぞ。ハブーの古来の料理が基本的に超不味いだけだぞ」


 俺はこっちの世界の名誉のためにも、船長の勘違いを正しておいた。


「みんなついてくるんだ。本当の料理ってものをごちそうするぞ」


 俺はそう言って、船員たちを導くのである。

 しばらく歩くと、ハブーの果てまでやって来た。

 つまり、操縦室である。

 俺はここに人数分のテーブルと椅子を用意し、肉を用意した。


「おかえり、ウェスカー。次は私の番だったはずだが……これはどうやら、やる気だな」


「ええ、姫様。ちょっと俺は肉を焼かねばなりません」


 俺の両手が真っ赤に灼熱し、輝く。

 この世界の名誉を守るために、今、俺の戦いが始まる。


「おおーっ、焼けていく! 肉が焼けていく!」


「美味そうな匂いだ!」


「やっぱりあの料理は間違ってたんだな!」


 船員たちから歓声が上がった。

 さらにさらに、わいわいと集まってくるハブーの街の人々。


「ウェスカーさんが肉を焼くらしいわよ!」


「この街に焼肉をもたらした勇者が!」


「肉! 肉!」


「肉! 肉!」


「肉! 肉!」


「よろしい!! 見ていろみんな! 肉を焼くってのはこういうことだ!! “生命波動エナジーボルト広範囲ワイド肉焼き魔法グリルドミート”!!」


 俺の十指が、灼熱した赤い光線を放つ。

 それは螺旋を描きながら、肉を穿った。

 内部まで到達した光線が、高熱を放ちながら振動し、内から肉を焼いていく。


「焼き加減をコントロールする! 世界魔法……“焼肉フィールドオブ結界グリルミート”!!」


 灼熱の結界が生まれる。

 肉を焼くためだけに作られた、今この瞬間に生まれた最新の魔法だ。

 世界を割る魔法と、世界を接着する魔法を左右の手のひらで同時に使用しつつ、指先からは肉焼き魔法を放ち続ける。

 肉の内側の世界と外側の世界を切り離し、別の形でつなぎ直し……全ての肉を……同時に、焼く。

 周囲で、人々が大きな歓声を上げた。


「ああ、もう……。世界すら改変するような次元の魔法を、お肉を焼くためだけに生み出す……」


 マリエルが半笑いである。

 横では、レヴィアが何故か誇らしげに胸を張っていた。

 うむ。そこは姫様の勝利だな。

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