第78話 その時、不思議なことが起こった!

 ユーティリット王国全土に、突如として第二王女レヴィアの結婚が宣告された。

 前触れらしいものなどほとんど無く、そう言えば新しく出現したと言う国の使節が、王都に向かっていっていたような、という話がチラホラ聞こえるばかり。

 だが、ここ最近は、魔王軍によって長年続いた平和が脅かされていたところである。

 振って涌いた明るいニュースに、国民たちは心を躍らせた。


 どうやら、王国は秘密裏に事を進めていたらしい。

 あるタイミングに、一斉に王国全土へこの知らせが伝わるように、根回しもされていたのだ。

 王都はこの特別な日を休日とし、臣民には僅かだが祝い金が与えられ、犯罪者たちには恩赦が下された。

 都は鮮やかに飾り付けられ、一夜にしてお祭り騒ぎとなった。


「いやあ、しかし、昼間から酒を飲むってのは堪らんね!」


 普段は鍛治を生業とする男が、陶器のジョッキに満たされたエールを干し、げっぷをした。

 体面で酒を飲んでいるのは、普段であればしかめ面で城門を警護している兵士。


「うんうん、全くだ。これも、レヴィア殿下がたが魔物を追っ払ってくれたお陰だよ! この辺りからもすっかり魔物が消えて、俺たちの仕事もまた楽になって来たところで、このおめでたい知らせじゃないか。俺はさ、こう……殿下を嫁にもらうようなお人は、きっと神様よりも懐が広くなけりゃだめだろうなあ、なんて思っててな」


「そう、それよ! 新しい国からやって来た王子様だって言うじゃねえか! 確かにうちの姫様は、姉姫様と比べても見た目は飛びぬけてお綺麗だったからなあ。あれで中身がまともなら、嫁の貰い手が引きもきらなかっただろうに!」


「これで王国の面倒ごとが一つ片付くな!」


「俺としちゃ、姫様が引き起こすどたばたを耳に出来なくなるのはちょっと寂しいけどな!」


 二人はそんな会話をすると、わっはっは、と笑いあい、新たにやってきたジョッキを取り上げると、打ち付け合って今日の主役を寿ことほいだ。

 レヴィア姫万歳。

 レヴィア姫をもらってくれる奇特なフレアス王子万歳。

 ユーティリット王国に繁栄あれ。


 街路には花が飾られ、家や店の軒先には、国旗がはためいている。

 数々の屋台が繰り出し、あちらこちらから美味しそうな香りが漂う。

 子どもたちの一団が、小遣いで買った菓子を握り締め、街路を駆け抜けていった。


「あっ」


 その一人が、空を見上げて立ち止まる。


「どしたの」


「なんだなんだ」


「あれ」


 指差す方向を見て、子どもが口をぽかーんと開けている。

 他の子どもたちも、そちらを見上げ、ぽかんとした。


「おいおいちびども。道の真ん中で立ち止まったら危ないだろ。どうしたって言うんだ」


「ねえ、おじさん、あれ……」


「あれって……」


 通りかかった職人が、子どもたちに促されて空を見る。

 そしてまた、ぽかーんとなった。


「なんだ、ありゃあ……」


 祭りの喧騒に満ちていた街路に、ゆっくりと、しかし確実に戸惑いが広がっていく。

 誰もがその方向を見た。

 空を、何かがやってくる。

 それは一見して、真っ黒で禍々しいローブに身を包み、腕組みをしながら回転と共に空を飛んでいく男に見えた。

 いや、そのままである。

 男が通過した場所に飾られていた花が、ローブの放つ強烈な瘴気に当てられて萎れる。


「あ、あ、あれはなんだあ。何か恐ろしいものが、お城に向けて飛んで来る!!」


「まさか、魔王軍!?」


「いや、魔王軍は花嫁……レヴィア殿下が仲間たちとともに討ち果たしたはず……!」


「なら、あれは何だって言うんだ! 明らかに禍々しいものが空を飛んでるじゃないか!」


 混乱に包まれる街路の端で、身なりのいい青年が空を見上げていた。

 そして、複雑な感情を滲ませた笑みを浮かべる。


「そうか、ウェスカー。やるつもりか。レヴィア殿下を頼んだぞ。このナーバン、お前に賭けるとしよう」


 そう言いながら、屋台の串焼きを齧るのだった。





 一方、ここは王城に隣接する大聖堂。

 神々を祀る神殿としての役割も果たしており、王族に関する儀式を行なう際は、その会場となる。

 壁面には、神々を象った多くの石像が並んでおり、頭上には神話をモチーフとしたステンドグラス。

 会場には、各国の無事であった貴賓が並んでおり、花嫁の登場を今か今かと待ち受けていた。

 会場の中央に設けられた儀式の場には、ユーティリット王国の宗教的頂点、大神官のゼニゲバーが立ち、丸々と太った顔に福福しい笑みを浮かべている。

 隣には、真っ白な装束と、儀礼用の甲冑を纏った赤毛の美青年。

 アードロイド王国のフレアス王子だ。


「それにしても、新郎の精悍なこと!」


「あの佇まい、腕に覚えもありそうだ!」


「しかも、お人柄も豪放磊落ごうほうらいらく! あのレヴィア殿下……ごほんっ。花嫁の個性も、笑って受け入れる御仁だとか」


「いやあ、まさに、レヴィア殿下にはあの方しかないな」


 賓客の囁き声。

 絶賛である。

 誰一人として、フレアスに悪感情を抱く者はいなかった。

 何しろ、世界的に有名な問題児、レヴィア王女を娶るという男である。

 彼のこの英雄的行為により、世界が今後被る、レヴィア姫による被害は大きく軽減されるであろうと予期されていた。


「ご来賓の方々!」


 大聖堂に声が響く。

 王城と続く扉に、この国の第一王子、ガーヴィンが立っていた。


「これより、我が妹、ユーティリット王国第二王女にして、アードロイド王国がフレアス王子の妻となる、レヴィアが参ります!」


 おおーっ、とどよめきが走り、皆の視線が扉を向いた。

 そのため、誰も天井に飾られたステンドグラス越しに、黒い影が飛来したことに気付かない。


 楽団が、壮麗な音楽を奏で始める。

 扉が大きく開かれ、そこには、国王。

 彼が伴う、真っ白なドレスに身を包んだ女性を目にして、会場は息を呑んだ。

 滅んだウィドン王国の鉱山から、鍛冶場泥棒的に採掘された宝石をふんだんに使い、エフエクス村のシルクを用いた艶やかで輝く布地。

 ドレスの胸元は豊かに盛り上がり、谷間の上に、マクベロン王国復興へ手を貸す代わりに先払いとして受巻き上げた、最上質の魔石が輝いていた。

 だが、全ての装飾は、花嫁その人の前では色あせてしまう事だろう。

 そこには、普段放つゴリラ的オーラを完全に消臭した、絶世の美女が立っていた。


「────」


 誰もが言葉を失う。

 この美を、褒め称える言葉を持たない。

 唯一、この美は、首を傾げながら未だに納得いかないような表情をしていた。

 そこだけが玉にきず

 しかし、それさえも美しさを翳らせる要素とはなりえない。


「おいで、我が妻よ」


 満面の笑みを浮かべたフレアスが、両手を広げて妻となる女性を招いた。

 レヴィアは彼を見ると、何か口の中でむにゅむにゅ言いながら、一歩目を踏み出した。


 その次の瞬間である。

 周囲に、耳をつんざく高音が鳴り響いた。


「!?」


 誰もが耳を塞ぎ、目を見開いた。

 騒然とし、音の原因を探る。

 そして、頭上を見た。

 ステンドグラスに、規則正しい形状の亀裂が走っていく。

 何か、紫色の魔法的力で、グラスが切断されていっているのだ。


「あ、あれは何だ!」


「何かいる!」


 幾何学的にくり抜かれたステンドグラスが、落下してくる。

 自由落下ではない。

 その上に何かを載せて、不自然なほどゆっくりと落ちてくるのだ。


「ひっ」


 誰かが悲鳴をあげた。

 無理も無い。

 ステンドグラスの上には、漆黒の禍々しいローブに身を包んだ男が立っていたのだ。

 小脇には紙袋を抱え、中いっぱいに詰まった屋台の料理を取り出しては、むしゃむしゃと食べている。


 これにはフレアス王子も驚愕し、呆然と口を開けていたが、ハッと我に返った。


「やはり来たな、ウェスカー。オレはお前がくると思っていたぞ。……というか、そのむしゃむしゃ食べながら降りてくるのやめろ!!」


「飛ぶとお腹が減りましてな……!!」


 汚れた指先をローブで拭きながら、ウェスカーと呼ばれた男は不敵に笑った。

 口の周りが油や食べかすで汚れている。


「ウェスカー!!」


 男を呼ぶ声がする。

 だが、これはこの場にいる人々の、怯えや恐慌をはらんだものとは違う。

 喜びに弾んだ声だ。

 レヴィアである。

 彼女は履いていた優美なハイヒールを、


「ふんっ!!」


 と裂帛の気合と共に震脚を放ってへし折ると、大変男らしい歩きで近づいてきた。

 会場に、「あっ、いつものレヴィア姫だ」という、戸惑いを載せた空気が満ちる。


「姫様、迎えに来ましたよ。ってか、すごいですねその格好……!! 胸とかこぼれそう」


 この状況に肝をつぶしたのは、大神官ゼニゲバーである。


「こ、こらやめなさい! ここは神聖な大聖どプゲラッ」


 言いかけたところで、ウェスカーが乗るステンドグラスが急に落下し、それに弾かれて吹っ飛んでいった。

 頭を抱えるのは、ガーヴィン王子と国王である。

 王家の席にいた王妃と、参列していた第一王女が貧血を起こして卒倒した。

 第一王女の隣には、年端も行かない彼女の息子がおり、彼だけはキャッキャと喜んでいる。


「ウェスカー。お前が何をしているのか、理解しているのか? これは、一国の面子に泥を塗る行為だ」


「なるほど」


「どうなるか、分かっているだろうな?」


「?」


 フレアスの言葉に、ウェスカーは真面目な顔で首を傾げた。

 分かっていなかった。


「いいだろう。お前がそのつもりなら、ユーティリット王国とアードロイド王国は、お前を国家への反逆者として処断する!!」


「あ、姫様こっちこっち」


「聞けよ!」


 フレアス王子、こめかみに青筋を浮かべる。


「聞いてますからどうぞ続けて」


「聞いてないだろ? 頭に入ってないだろうお前」


「えっ、なんで分かるんだ」


「おいっ!!」


 フレアスが床を強く踏みつけた。

 すると、床石に亀裂が走り、砕ける。

 尋常な力ではない。

 王子の赤い瞳が、まるで炎のように揺らめく。周囲の空気が、陽炎のように歪んだ。


「オレがちゃァんと人間のマナーを守って相手をしてるってのに、フリーダム過ぎるだろお……!!」


 だが、話を聞いていないのはウェスカーだけではなかった。

 小走りに駆けて来たレヴィアが、ステンドグラスに飛び乗る。


「姫様掴まって」


「うむ! あっ、なんかべたべたしてる」


「油菓子を食べた後ですぞ」


 かくして、花嫁強奪劇が幕を開けるわけなのである。

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