第38話 ウェスカーアイロンになる
地下工場に到着した。
地下とは言っても、橋の上にある街だから、橋の中側ということになる。
普通に足元は石作りだし、目の前には金属製の扉がある。
ドアノブを握って開けると、むわっと蒸気が噴出して来た。
「うおー」
俺が蒸気にやられて仰け反ると、アナベルが笑った。
「最初はみんなそうなるよ。だから、空けたらちょっとおいて、それから入るの。ほら、おいで。みんなに紹介するから」
彼女が率先して入っていくので、その真後ろに俺が続いた。
そして、メリッサとボンゴレ、レヴィアと続き、最後にクリストファ。
中に入ると、たくさんの人が働いている。
布を織る道具、蒸気を噴出しながら織り上がった作業着を伸ばす道具、色々と珍しいものがたくさんだ。
「どれどれ」
俺は早速のこのこと、作業している人たちの中に紛れ込んだ。
「あっ、あんた一体誰だい」
「ここは男の作業所じゃないよ!」
「ははあ、するとさしずめ俺は黒一点というところですな。両手に花だ」
「上手いこと言う子だね」
なんかおば様がたがわいわい言ってくるので、適当な事を言うと向もまんざらではなさそうな顔をした。
俺はスッと彼女たちに溶け込むと、この蒸気を発する道具を持ってみた。
「これはアイロンって言ってね。排気を使って熱い湯気を出すのさ。それで布をこうやって撫でると……」
「ほう、みるみる平たく……! パン生地とかに使えそうですな」
「パンに使ったらふやけちゃうわよ」
「なるほど」
納得である。パンは生地の状態で余計な水気はいかんな。
だが、このアイロンなるもの、面白い。
俺も真似してみることにした。
「
手のひらに生まれた水が、熱された俺の手で沸き立ち始める。
蒸気になるまで待って、それを留めるイメージをしつつ、こうだ!
俺の手が当てられた作業着が、シューッと音を立てた。
いや、俺の手が音を立てているのだ。
これを……こうだ!
スルーッと滑らせていく。滑らせた後から、まっすぐ、平たくしわを伸ばされた作業着が現われる。
「まあすごい!! あんた、アイロンが無いのにアイロンをしちゃえるのかい!?」
「できるようですな。よし、この魔法の名前はアイロンとする……!」
俺がおばちゃんたちときゃっきゃ騒いでいると、レヴィア姫がやって来た。
「ウェスカー、ご婦人方と仲良くするのはいいけれど、魔将のもとに続く道を探さないといけないわ」
女言葉ということは、まだ落ち着いているな。
「探すって言ってもどうしますかね。ねえおば……いやお姉さま、道を知りませんかね」
「まあお姉さまだなんて! そうだねえ、ウェスカーちゃんが探してるって言うなら、あたしらも探してみない事はないわね。ただ、長いことさぼっているとプレージーナの汚い手下が見回りに来るから」
「長くはさぼれないわけですな」
俺は納得しかけた。
そこで、俺の横でぴょんと飛び跳ねたものがいる。
メリッサである。
「それですよ姫様! ウェスカーさんも!」
「なるほど、やって来た魔将の手下を倒せば溜飲が下がると言うわけだな」
あっ、レヴィア姫が怪しく目を輝かせた!
「おばちゃんを避難させた方がいいかな……?」
「違いますーっ! 姫様もウェスカーさんも! あのですね、こっちに魔将の手下が見回りにくるんでしょ? なら、そいつを捕まえて案内させちゃえばいいじゃないですか」
「おお」
クリストファがポン、と手を叩いた。
「メリッサ、とても冴えた考えですね。素晴らしいです」
「すぐに倒してはいけないのか……」
「らしいですな。姫様、ステイ、ステイです」
俺はサッとメリッサ側についた。
そして、レヴィア姫がうっかり魔将の手下を倒してしまわないように見張ることにする。
「では、私からも提案があります。ウェスカー、ちょうどあなたは、ここにいるご婦人方と背丈や体格が似ているので……」
「うむ、まだ太ったままだからね」
「それがプラスに働きました。よろしいですかご婦人方。彼に、あなたたちの作業着を貸してもらえませんか。その頭に被っている手ぬぐいも一緒に」
「あら、ウェスカーちゃんもあたしらとお揃いかい?」
「でもこっちもいい男だねー。なに? ウェスカーちゃんと一緒に働くかい?」
「ふむ、では私も一緒に働きましょう」
そういうことになったのである。
俺はローブを脱ぐと、丸めて隅にまとめておき、おばちゃんたちと同じ作業着になった。
手ぬぐいの頬かむりを被ると、何故だろうか、とても落ち着いてくる。
「やだ、ウェスカーさん凄く似合う……」
「ああ。まるで汚れた作業着で働く為に生まれてきたかのようだ」
メリッサとレヴィアは俺を褒めているのかしら。
そして、隣に並んだクリストファである。
「やっぱり美形って、何を着ても似合うんですね」
「ウェスカーと並ぶと、二人とも似合っているのだが似合う方向性が違うな」
クリストファは、比較的若いおばちゃんに大人気であった。
俺は、ベテランのおばちゃんたちに大人気であった。
かくして、俺たちはおばちゃんたちに紛れて働くのである。
まさかこの俺が労働する事になるとは……!!
人生とは分からないものだ。
「アイロン! アイロン! アイロン!」
俺は両手から蒸気を噴出しながら、次々に作業着のしわを伸ばしていく。
その作業着を、両脇に控えたベテランのおばちゃんたちが、テキパキと畳んで揃えていくのである。
中央の俺と、双翼をなすおばちゃんの完璧なフォーメーション。
「凄い……! ウェスカーちゃんが来てから、アイロンの効率が段違いに上がったわ!」
「排気みたいに、途切れたりしないものねえ」
「ふははは、面白いようにしわが伸びるぞ! どんどん作業着を持ってくるのだ!!」
「はえー。完全に作業をものにしてるよ、あの人……。っと、いいのかい!? なんかいつもの何倍もの速さでテキパキ仕事が進んでるけど、さぼって見回りをよばなくて!」
気付いたのはアナベルであった。
本来、俺たちは作業を滞らせて魔将の部下を呼び込むつもりであった。
だが、思わず全力で作業を行なってしまい、効率を格段に向上させてしまっていたのだ。
「しまった……! だが、アイロンはすぐには止まらぬ……!」
勢いづいた俺のアイロン捌きは止まらない。
次々にアイロンをかけ、ついには作業効率は通常時の十倍に達した。
双翼のおばちゃんでは間に合わず、ついに右前方におばちゃん、左前方におばちゃん、右後方におばちゃん、左後方にアナベルがセットされ、全員でアイロンが掛かった作業着を折り畳み始める。
残るおばちゃんたちは、俺を囲んでスタンディングオベーションである。
本来の目的とは明らかに違う方向の大活躍……!!
だが、きっちりと仕事をしているものがいた。
クリストファである。
機織りに向かった彼は、あの甘いマスクと耳をくすぐるイケメンボイスで、若きおばちゃんたちを虜にしていた。
談笑しながら、道具の使い方を尋ね、少し織ってはおばちゃんの語りかけに応えて、爽やかに笑う。
おばちゃんたちはみんな、ポワーンとした表情になり、作業が手につかない。
そう、作業が滞ったのである……!
「よし、いいぞクリストファ! 私も既に準備はしている。片づけなら任せておけ」
「姫様! 剣を抜く準備はしないで! 姫様が剣を投げたら大体片付いちゃうから! 今回は片付けちゃだめだから!」
メリッサが必死で止めている。
その甲斐あってか、どうやら上手く行ったようだ。
『こらァ! 機織りが止まってるじゃねえかァ』
がらがら声が響いたかと思ったら、壁の一部に真っ黒な渦巻きが出現し、そこから魔物が顔を出した。
泥を捏ね回して、巨人を作ったみたいな奴だ。
『ちゃァんと働けェ! プレージーナ様はァ、お前ら人間が死んだ表情で仕事をし続ける絶望を汲み上げるよう、魔王様に仰せつかってらっしゃるんだからなァ』
「ひぃー」
巨人が振り回した泥の腕が、おばちゃんの一人を弾く。
おばちゃんは悲鳴をあげて吹っ飛ばされた。
ここで、俺は跳躍する。
「アイロン・フルパワー!」
俺の両腕が、爆発的に蒸気を吹き出した。
俺の体を持ち上げるほどの勢いである。
このパワーで空中に跳躍しながら、俺はおばちゃんを背中でキャッチした。
そしてアイロン蒸気で空を飛びながら、泥の巨人に差し向かう。
『えっ!?』
泥の巨人がびっくりした。
『なんで作業員のばばァが飛んでる……っておめェ男じゃねェかァ!』
「はははは、その通り! まんまと罠にかかったな! お前は死なない程度に俺が可愛がってやろう!」
泥の巨人に向けて、俺は右手を向けた。
そして左手で、ローブから移し変えていたあるものを探る。
石鹸である。
「
『ぬおおおお!? 人肌ほどの生暖かい水が!!』
「石鹸イン! 名づけてシャボンスプラッシュ!!」
生暖かい水が、あっという間に石鹸を削り取っていく。
石鹸成分を含有した温水が、泥の巨人を取り巻き、その肉体を洗い流していくのだ。
『ぐうおおおお!? せ、清潔になるぅぅぅぅぅ!!』
泥は、黒い渦巻きの彼方まで押し流されていった。
後に残ったのは、人間大のつるっつるの人形である。
「ウグワー、泥のよろいがー」
つるつるの人形は床の上でじたばたとのた打ち回った。
駆け寄るおばちゃんたち。
手に手にモップやら棒を持って、人形を叩く叩く。
「ウグワー! やめろウグワー!」
あわや、おばちゃんたちによって魔将の手下が倒されるかと言う間際である。
そこにイケメンが降臨した。
「お待ちなさい皆さん。無力になった魔将の手下をいじめてはいけません」
クリストファがやって来ると、おばちゃんたちはスーッと静かになり、道をあけた。
「ううっ、危うくモップで叩き殺されるところだった……! あ、あんたは」
「私はクリストファ。例え悪しき者とは言え、無抵抗なあなたがやられてしまうことは、見過ごせませんでした。なに、お礼はいりません。その代わりに魔将の手下よ。魔将のところに案内して下さい」
「は、はい」
魔将の手下は、頬を赤らめながら頷くのだった。
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