第36話 ウェスカー肉を焼く
『あなたたち!! 私には分かっているのよ! 愛し合ってるんでしょう! 男同士! 隠さなくっていいのよ!』
俺はふむ、と首を傾げた。
「クリストファ、俺は彼女の言っていることがさっぱりわからないんだが」
「私にもよく分かりませんね。親愛を感じているという意味であれば、間違いがありません」
『やっぱり、愛……! むはーっ!』
あっ、あの魔将鼻血を吹いた。
何だろう。俺たちが何もしていないのに勝手にダメージを受けている。
「ウェスカー、彼女の動きが止まりました。今の隙に人ごみに紛れましょう。二人きりでは彼女と戦うのは厳しいでしょう」
「確かに」
相手の手の内や能力も分からないし、フォッグチル城に攻め込んだ時のような、妙なテンションの高さがあるわけでもない。
このご飯がまずい世界で、俺のテンションは大変低くなっていた。
魔将に対する怒りだけがあるが、こう、美味しいものを食べないと元気が出てこないなあ。
「こっちです!」
『手を繋いだ!! や、やっぱり……!!』
「あっ、なんか彼女悶えてるぞ」
「不思議ですが詮索している暇はありませんよ」
かくして俺たちは人ごみに紛れ込んだ。
この国は、どこに行っても人ごみがある。
みんな一様に汚れた作業服を着ていて、生気の無い顔をしている。
飯がまずいからね、そういう顔をしてても仕方ない。
そして、そんな人々でも、魔将は恐ろしいらしい。
恐怖に強張った顔をして、みんな魔将から眼が離せない。
『ああもう!! イケメンが隠れちゃったじゃない! 片方がちょっとモブっぽいのがまた味があって良かったのに……。ええい、お前たち、邪魔よ! おどき!』
どうやらプレージーナは俺たちを見失ったようだ。
腹立たしげに空中をつま先で蹴ると、翼を羽ばたかせた。
羽ばたくたびに、周囲に汚れた泥が撒き散らされる。
この河の汚れは、彼女自身から出ているようだな。
『ああ腹立たしい! 腹いせに、こいつらをまた何匹か間引こうかしら! どうせ後から後から湧いて来るものね』
魔将の独り言を聞いて、人々が恐怖でどよめいた。
逃げ出そうとするのだが、ぎゅうぎゅうに人ごみが詰まっていて、走り出すこともできないらしい。
「これはよろしくない。ちょっと攻撃してみるよ」
「人々を守ろうというのですね。ウェスカー、素晴らしい行いです。微力ながら手助けしましょう」
俺がどの魔法を使おうか考えていると、プレージーナは人ごみ目掛けて両手を伸ばした。
『“プレージーナの名に於いて命ずるわ! 汚泥よ喰らい尽くしなさい!”』
彼女の指先には、泥の色をした輝く爪がついている。
そこから、まるで奔流のように汚れた泥が流れ出した。
民衆が絶叫しながら、必死に逃れようとする。
「あっ、あれって水分じゃないかな。ちょっとやってみるわ」
俺は人々の股の間をシュシュッと機敏に這いくぐり、汚泥に接近した。
ええと、この間フォッグチルの城でやったのは、霧から生まれた氷が霧になり、それをまた氷にしたから……。
「
俺の近くに来た汚泥が、あっという間につやっつやに磨かれた泥玉になっていく。
『な、なんですって!?』
泥玉はどんどん大きくなっていき、やがて橋がみしみし言い始めた。
よし、外に押し出すぞ。
「エナジーボルト、フルパワー!」
俺は靴を脱ぎ捨て、両手両足、そして目と口からエナジーボルトを噴射した。
集中して放つと、泥玉が砕けてしまうので、広く覆うように放ったわけだ。
エナジーボルトの勢いで、徐々に泥玉が動き出す。
「ウェスカー、私の魔力を渡しましょう。“告げる。我が魔力をかの者に譲り渡す。
おおっ、なんかいつもよりもエナジーボルトの出がいいぞ。
二人がかりのエナジーボルト祭りである。
ついに泥玉は勢いを増し、橋げたからぶっ飛んだ。
『えっ、これ何!? なんでこっち来てんのよ!? きゃーっ』
泥玉が、空中のプレージーナにぶつかったらしい。
そのまま橋から落っこちていく。
どぼーんと水音。
飛沫が上がった。
「よしっ」
俺はガッツポーズをした。
「うおーっ!? な、なんだ今のはーっ」
俺が潜らせてもらっている股の主が、驚きの声をあげた。
作業着の若い娘である。
「あたいの股間から紫色の光が出たかと思った……! あんたか! すげえな!」
「凄いだろう」
俺は彼女の股の間から頭と手足を出したまま、渋く笑った。
「イカスねあんたたち! あたい、ちょうど仕事帰りなんだけど一杯おごるよ!」
「奢りだって!?」
「ありがたいですね」
ということで、俺たちは会ったばかりのこの少女に連れられて、酒場へ向かったのである。
彼女はアナベルと言い、地下にある工場で働いているそうだ。
「あのさ、あんたたちに頼みがあるんだ……! あっ、亭主、いつもの肉ね!」
「おうよ、今茹でるからな」
アナベルが注文したところで、俺はすっくと立ち上がり、テーブルを蹴って跳躍した。
「な、なにぃ!?」
店の亭主が驚愕する。
「許さん、許さんぞ!! 茹でてどうする! その煮汁をどうする!!」
「いや、茹で汁は捨てる」
「いかん!! 肉の旨味とか脂が溶け込んでるんだから勿体無い! むしろ茹でてはだめだ。任せろ……!!」
俺の挙動に、店中の注目が集まる。
ここは、美味しく肉を焼くことの価値を教えねばならん。
では何を使う?
炎の玉か。いや、あれは肉をこんがりと消し炭にしてくれるだろう。
エナジーボルトは熱が無いから肉が焼けない。
発火の魔法は薪などが必要になる。
そして、店内にある揚げ物と茹でる用の釜は、何か不思議な熱を発するものの上に載っている。
これでは肉がこんがりと焼けるイメージが湧かない。
「亭主、これはなにかね」
「ああ、こいつは工場から出る熱い排気をまわして熱してるところだよ。排気は毒だから、直に食い物を当てたらだめだけどさ」
「なるほど」
じゃあやっぱり自分でやるしかないようだな!
肉を焼くことが出来る魔法……。
この状況で焼くとすれば。
俺は、手のひらをぴったりと肉に当てた。
「ウォーム」
俺の手のひらが生暖かくなる。
肉もほんのり人肌になった。
一回だけだと、人肌になるだけである。だが、これをこう、無数に連続して掛けるイメージでいけないだろうか。
俺が泥玉を大量に作った時とは違う。
ウォームの密度を上げる感じである。
そう、それは言うなれば……。
「
その瞬間、俺の手のひらが赤く輝いて猛烈な熱を放った。
肉が、じゅうじゅうと音を立てて焼けていく。
とてもいい匂いが周囲に漂った。
「あっ」
「な、なんて美味そうな匂いだ」
「これは焼けた肉の匂いなのか……!!」
店の中で飯を食っていた労働者たちが、思わず立ち上がって駆け寄ってくる。
みんな、厨房に釘付けである。
俺はじっくりと手のひらで焼いた肉を、持ち上げると、皿に乗せた。
手の形に焦げ跡がある。
だが、なかなかの焼け具合だ。
脂がしたたり、肉の表面ではぷちぷちと弾けている。
「これが……本当の肉だ!!」
俺が皿を高らかに掲げると、店内はウォーッ! という歓声に包まれた。
「焼いた肉をくれ!」
「お、俺にも焼いた肉を!」
「うめえ! 茹で汁に旨みが逃げ出してない肉がこんなに美味かったなんて!!」
店内にいる客は、みんな労働者なんだろう。
作業服を着てくたびれた風だ。
だが、俺が焼いた肉を食うと、彼らは目を輝かせて笑顔になる。
どうだ、焼いた肉は美味しいだろう。
うおお、俺はこの瞬間から、肉を焼く職人だ。
一心不乱に肉を焼く。
「美味しいですね。ウェスカーは肉を焼く才能があるのでしょうね」
「うめえ! まさか魔法が使えるだけじゃなく、肉を焼けるなんて……! やっぱりあたい、あんたたちに賭ける事にしたよ!」
「頼みとは何かな」
俺は小休止しながら、肉汁でつやっつやになった手を舐める。
あっ、美味しい。
「ああ。あたいの兄ちゃんが、あの魔将に連れて行かれちまったんだ……! 兄ちゃんだけじゃない、町の若い男たちは、元気な奴からみんなあいつにさらわれちまってる! お陰でこの街は、女とくたびれたおっさんしかいなくなっちまった! これじゃあ、街は終わりだよ!」
「なるほど」
俺は自分用の肉を焼きながら頷いた。
街のみんなが気力が無いように見えるのは、そのせいなのか。
そのせいで、料理をする気力も無いのだな。
美味しいものが食べられない世界。そんなものはあってはならないのだ。
魔将許すまじである。
「そうだ! これだけの肉が焼けるあんたなら、魔将を倒せるかもしれねえ!」
「プレージーナを倒してくれ! このままじゃ、俺たちは一生茹で肉を食うことになっちまう!」
悲痛な叫びが店内に響く。
俺は焼きあがった肉を口いっぱいに頬張りつつ、彼らに応えた。
「わかっひゃ。ふぉれふぁまひょうをふぁおひぃふぇ、ふぉうふぉうふぉ肉を焼ける世界にしよう」
「ウェスカー、すみませんが前半聞き取れませんでした。それと……お代わり下さい」
俺は強い決意を胸に抱きつつ、また新たな肉を焼き始めるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます