第9話 ウェスカー、魔導書を読む
「入りたまえ。ここが私の部屋だ」
ゼロイドに促されて入っては見たが、一歩踏み込むと物凄い臭いがした。
鼻をつんと刺激する臭いで、鼻水と涙が出てくる。
そして視界はピンク色の煙が漂っており、隣にいるゼロイドの姿も曖昧だ。
「ウェーッ! ゲッホゲホッ! な、なんじゃこりゃあ」
俺が思わずしゃがみ込んで、顔を涙と鼻水とよだれでべしょべしょにしながらのた打ち回っていると、ゼロイドがハッとしたような口調で言った。
「おっと、これはうっかりしていた。今は弟子が魔法薬を作っていてな。これを飲みたまえ。中和剤だ」
差し出された包みを、開くと、どうも粉薬のようだ。
俺の鼻水が垂れて、何か粘度のある薬になってしまった。
「ぐっと飲みたまえ」
「でも俺の鼻水が落ちた」
「替えは無いので飲みたまえ」
「ぐえー」
俺は悲しいうめき声をあげながら、薬を飲み干した。
幸い、鼻水で粘度が上がっていたせいか、水が無くても喉に引っ掛からない。全然嬉しくないが。
飲み込んだ途端、喉の奥から何やらスーッと爽やかな香りが上がってきた。
それが鼻を通り、涙腺を刺激し、急に目鼻が楽になる。
「おお、凄い効果だ」
「ハーブの類を煎じたものだよ。これが発する香りが、魔法薬の臭気を体内から迎え撃ち、拮抗している間は体に臭いが届かない。そうしているうちに、体内に魔法薬の臭気に対する耐性が生まれるようになっている」
「なるほど」
何を言っているのかよく分からなかったが、いい匂いがする薬であることだけは分かった。
心なしか、薬が効いた後だと、視界も晴れ渡って見える。
「ウェスカー、だったね。紹介しよう。私の弟子のイチイバとニルイダだ」
ゼロイドは先に歩いていくと、立ち上がってこちらを向いた二人の男を指し示した。
あ、いや一人は女だな。化粧をしていなくて、髪を短く刈っているだけだ。
「イチイバだ。師匠、こいつはなんなんですか?」
「私たちは薬を調合している最中なんですが」
「まあ話を聞きなさい。彼もまた、魔法使いなのだ。しかも、私が見たことも無い方法で魔法を行使する」
「師匠が見たことも無い方法!?」
「どういうことですか!?」
ゼロイドの弟子たちが食いついてきた。
知的好奇心というやつが旺盛な連中だ。だからこそ、魔法使いなんぞやってるんだろうが。
ちなみに、国に存在を認定された魔法使いを魔導師と呼ぶ。
魔法使いのままなら傭兵とか戦士と同じで、魔導師になったら騎士、みたいな感じだ。
身分証も発行されるから、怪しげな魔法使いと言うのではなく、魔導師という役職についた偉い人になるのだ。
ここにいる弟子たちは、まだ魔法使いのようだった。
「ウェスカー、また見せてもらっていいかな」
「良いよ。ほうら、エナジーボルトだ」
「うわああああ目が光ったああああ」
「人間じゃないいいいいい」
みんな同じ反応をしやがる。
とにかく、納得してもらえた。
イチイバもニルイダも俺を興味津々という目で見てくる。
さっきまでやっていた魔法薬の作業なんて、ほったらかしである。
「さて、ウェスカーはどうやら、正式に魔法を習ったことがないようだ。私としては、君が魔導師に師事していたらどれほどの魔法使いになったのか、残念でならない。だが、人間には遅すぎるということはないのだ。今からでも、学んでいくといい」
ゼロイドが壁際に行くと、そこは本が大量に並んでいた。
俺の家には数冊くらいしか無かったのに、ここは壁の端から橋までが本棚になっており、そこに本がみっしりと詰め込まれているのだ。
聞いた話では、本一冊で荷馬一頭よりも高い場合もあるとか。
「ひょえーっ、読んでいいのか?」
「構わないとも。だが、君がもし魔法の初心者なら、読む順番がある。簡単に講義をさせてもらっていいかな?」
「いいですよ」
イチイバが俺の椅子を用意してくれた。
そして、二人の弟子が俺の後ろに座る。
目の前では、ゼロイドがすっかり物を教える体勢だ。
「まず、基礎の基礎から。魔法は、体内の魔力と、体外の魔力を使うんだ。体内の魔力をオド、体外の魔力をマナと言う」
「なるほど」
俺は聞き流した。
あまり興味が無かったからだ。なんか使えてるわけだし、呼び名はどうでもいいじゃないか。
「次に魔法の系統。これは大きく分けて、オドを使う
「あっ、師匠、こいつ寝そうです」
イチイバが俺がうとうとしていたのを密告した。
何て奴だ、血も涙もない。
ゼロイドは苦笑して、
「まあ、まともな学び舎などに通った事もないようだから、いきなりこれはきつかったのかも知れないな。ウェスカー。君が使っているのは、生命魔法だ。弱体化、鋭角化も生命魔法の範疇に入る。今から君が知るべきは、自分の外の世界の力を借り、そしてより強大な力を行使できる元素魔法だろう」
そう言って、ゼロイドが取り出してきたのは一冊の薄っぺらな魔導書だった。
表紙には、
『はじめてのげんそまほう』
と書かれている。とても読みやすい文字だ。
「子供向けの魔導書だ。基礎教育課程と一緒に、幼い魔法使いに読ませる本だね」
「なるほど」
イチイバとニルイダは、明らかに子供向けの魔導書を受け取った俺を見て、クスクス笑っている。
何を笑っておるのか。
子供向けと言っても立派に本なんだぞ。
俺は割りと、読書なんかも好きなのだ。
「魔導書には詠唱の仕方も書かれている。詠唱とは、先人たちが作り上げてきた、魔法を簡略化するシステムだ。この通りに唱えれば、魔法は発動し、攻撃するための魔法なら相手に向かっていく。回復するための魔法なら、傷口に向かっていくわけだ」
「あー、なるほどー」
ゼロイドの説明を聞いて、納得した。
俺が放ったエナジーボルトが、どうして勝手に発射されなかったのか。
俺が、撃ち出すとか放り投げるとかイメージしなければいけなかったのか。これは全部、詠唱をしてなかったせいなんだな。
だが、いちいち詠唱を覚えるのが大変面倒くさい。
「説明は苦手だろう? ではまず、何かを使ってみたまえ」
「へいよ。えーと、これか。あっためる魔法? 火属性なんだな。詠唱は……くそ、めんどうだな。いきなり使っちまえ“ウォーム”」
魔法の名を呼ぶと、俺の手のひらがじんわりと暖かくなった。
それだけである。
試しに、近くにいたイチイバに触ってみた。
「うわあ、生暖かい! ……どういうことだ? ウォームが標的まで飛ばずに、手のひらに宿っている……。これは生命魔法の、
「これが涼しくなる魔法か。“クール”」
今度は、ぺたりとニルイダに触ってみた。
フフフ、役得役得。ローブの上からでも分かる感触……感……女性に大事なのは中身だよな。うん。
「きゃあ、冷たい!!」
クールは、風属性に属するらしい。詳しくは、風属性と水属性が合わさっているそうなんだが、その説明は難しいせいか、この魔導書には書いてない。
他に書いてある魔法と言えば、泥団子を作る土属性の
俺はこの四つを、魔導書を斜め読みしてマスターした。
なんというかあれだな。魔導書にはエンターテイメント精神が無いな。読んでてつまらん。
俺が僅かな時間で、初級魔法を使えるようになったので、ゼロイドはひどく驚いたらしい。
フフフ、俺の記憶力を見たか。
「全く驚いた……! ウェスカー、君は、詠唱を通して魔力を行使するのではなく、魔法の本質を即座に見抜き、純粋な魔法の性質のみを発現させることができるのか! ……反面、詠唱はからっきしのようだが……これはとんでもない才能が現われたぞ……!」
明後日の方向を褒められたぞ。
俺がちんぷんかんぷんな顔をしていたら、ニルイダが説明してくれた。
「いい? 魔法の本質って言うけれど、それは本来、呪文詠唱が生まれる以前の大魔法帝国時代の大魔導師でもなければ分からないものなの。それくらい難解なの。力を見出して、力を取り出して、使えるように加工して、力に方向性を持たせて、これを暴走しないように常にコントロールして使う。こんなの、まともな頭じゃやり切れるわけ無いわ。これを全部肩代わりしてくれるのが魔法の詠唱なのよ」
「なるほどー」
「こいつなるほどしか言わないな」
あっ、イチイバが俺の本質を見抜き始めている。
だが、色々なことがよく分かったぞ。
つまり、俺は色々と変なのだ。だが、一種の天才的なものであることは確か、と。
気分が良くなった俺は、次なる魔導書を見せてくれるように、ゼロイドにせがむことにした。
そこへ、扉をノックする者がいる。
ああ、誰なのかは分かる。
あの苛立たしげに、今にも扉を打ち破りそうなノックはだな。
「レヴィア様が痺れを切らしたか……。ウェスカー。君はよく、あのじゃじゃ馬……おっと失礼。気性の激しい女豪傑……じゃない、姫騎士と一緒で無事でいられたね」
「まあ、なんか気が合うんですよ」
さて、扉が壊されないうちに、出て行かねばならないようだ。
その前に、魔導書を一冊くらい借りられないかな。
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