小説を読むことを楽しむために、あえて自分で書いてみる

大幸望

小説を書くことで読者として成長できるのかも。

なぜ、カクヨムはカクヨムなのか。なぜ、書くと読むが繋がっているのか。

私はこれまで完全に読むこと専門だったけど、カクヨムに登録して初めて小説を書いた。

なぜ人は書くのか。これまで小説を読むだけだった私が書いてみて感じたことを少しだけ。


書いてみてどうだったか。

確かに楽しい。

自分のくだらない頭の中の世界をどんどん広げて、文字を書く。途中で止まることもあるけど、文字で残っているから、少し戻ってまた広げられる。

自分が一瞬“面白い”と頭の中で思ったものが広がっていく。

もし、つまらない結果がその先にあったら、その部分を消して少し戻り、“面白い”と思う部分をつなげていけばいい。

楽しい。時間がいつの間にか数時間経っている。

これは素晴らしい体験だ。



そして、下手だ。

何が下手かって、自分自身が文字にしたモノには、ほとんど会話がない。だって会話の様子が文字にできないからね。


その原因は日常生活。昔から会話をするのは苦手だった。カクヨムで書いてみて、改めて苦手だと思った。と同時に、自分の書く会話とうまい人の書く会話の間に、会話が苦手な理由があるのではないか、と思った。

そして、当たり前のことに気づく。

会話のシーンを描くには、登場人物の様子を書いて、登場人物の動きと絡めて会話を書いていかないといけないんだ。背景があって、登場人物の動きがあって、その上に言葉があるんだ。


まあ、多分わたしにはかけない。

そもそも、日常生活の会話で、話し相手の動きを気にしたことがないから。というか、気にする余裕が全くないから。頭の回転が遅すぎて。



小説を書くことは、楽しい。純粋に楽しい。

そして、小説を書くことは、これまでと違うことを小説から感じ取れる読者になるための寄り道でもある。

誰でも書ける時代の先で、たくさんたくさんある小説からより多くのものを感じるための、たくさんの価値を感じるための、寄り道。

もし私が時々投稿していたら、それは、楽しくて有意義な寄り道を楽しんでいるということなのだろう。

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小説を読むことを楽しむために、あえて自分で書いてみる 大幸望 @Non-Oosachi

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