7 佐嶋萌々
俺がこの学校に入ったばかりの時のこと。同じクラスで早々に形成された五、六人くらいのグループに誘われて、つるむのに慣れてきたころだった。今はもう、誰が居たのか忘れたけど。
「佐嶋あ、アイスとなんか飲み物買ってきてよ。花と、他の子の分の」
「はあ? 何で俺なんだよ」
昼休み。結構雨だっていうのに、わざわざ外のベンチにたむろしていた。ぎゅうぎゅう詰めになって、傘を分け合いながら昼飯を食べているのだ。どんな趣味で、そこまでして群れたいんだか。とても理解できないが、口には出さない。
俺の隣に座っているリーダー格の彼女は、倉本花と言ったか。甘えた調子で、俺の腕を掴んで身体を寄せてくる。上目遣いで見てくる顔は、可愛くないといえば嘘になるけど、そんな態度に騙されちゃいけない。武闘派だろうが武闘派じゃなかろうが、自分の立ち位置をちゃんと示さなくちゃ、すぐに負けてしまうから。負けることは、搾取されることを意味しているから。
「じゃあ、じゃんけんで負けた人ね」
倉本の言葉で、俺以外の人達が頷く。倉本が可愛く合図する。じゃんけんぽん。グーをだした俺は、当然のように負ける。全員パーだった。俺、そんなに分かりやすかったか?
「はい! お金はあとで返すから、さっさと行け」
「あのさ、傘は」
「うだうだ言うな。悪いのは持ってない上に負けたあんただもん」
どうしろと。まあ、仕方ねえ。ここは従っといた方が無難か。既に雨が絡みまくって気持ち悪いのに。
あーあ、ここにこのまま居たところで、良くて便利屋かパシリにしかなれねえな。どうすっかな。戦うか、逃げるか。
その時、ふと木陰に隠れた人影が目に入った。
「まあ、花は優しいので、貸してあげてもいいけどぉ」
「……悪い倉本、急用だ。他の奴をあたってくれ」
俺は倉本を振り払って、立ち上がってそっちに向かった。後ろで何か言っているが、雨音で聞こえない。すぐ近くまで来た時、隠れていたそいつは駆け寄ってきた。そして、俺は思いっきり抱きしめられた。
「モモちゃんっ……!」
モモちゃん?
そう、はっきり聞こえるくらいに叫んで。背中に手を回して、俺より低い頭を胸に押し付けている。濁った灰色の中で、軽やかな金色のポニーテールと、赤リボンが輝いて。
いや、確かに俺は佐嶋萌々って名前だけど、この状況は呑み込めない。一応横目でちらっとベンチの方を見ると、
「何あいつ。きも、帰ろ」
そんな声が耳に入った。それが倉本の声だと分かったのは、あいつがものすごく俺を睨み付けていたからだった。おお、怖。
ばらばらとベンチが空になって誰も居なくなるまで、その子はずっと俺を抱きしめていた。もう、すっかり全身濡れてしまった。
「えーっと、どうした。失恋か」
俺は切り出したが、黙って答えない。代わりに、ようやく身体を離した。ごめん、とぼそっと呟く。気まずそうなその顔を見て、確信を持つ。彼女には見覚えがあった。
「お前、三田だよな? 同じ中学だった」
彼女は息を飲んで驚く。三田のどか。中学の時、同じクラスだったことは無かったけど、何度か見たことがあった。いや違うか、一年の時同じクラスだった。話したことはないけど。
「……なんで分かったの」
やっぱりそうか。両手を背中に隠して、むっとしている。確かに、肌は焼けてるし、髪は金色だし、化粧もしてるし、学校指定の赤ジャージで、印象はまるで違うけど、大きな目とか、顔は変わってない。
「俺の名前、呼んでたし。お前だって俺のこと気付いたんだろ。用があったんなら言ってくれ」
そう答えると、三田はぷいっとした。
「昔からそんだけ派手な格好してたら、嫌でも覚えるし。いじめられてて可哀想だったから、助けてあげたんだよ」
いや、さすがにいじめられてはいなかったと思う。可哀想がられるまでに落ちたのか、俺は。あ、さっき、きもいって言われたか……。
微妙に落ち込んでいると、何か面白いことがあったのか三田が吹き出した。
「冗談だよ。佐嶋さん、なんだかんだ言って友達多かったもんね。なんでここに来たの?」
「なんだかんだってなんだよ。まあ、なりゆきってやつだよ。お前こそわざわざこんな所に来たのか?」
「なりゆきね。まあいいけど。じゃああたしもなりゆきで」
三田は軽く答えた。やっぱり、大人しくて不良って感じは全然なかったし、こんな所に来るようなやつには見えなかったなあ。俺の方は、実際ここに行くことになった経緯を思うと、今でもがっかりする。うっかり血迷って揉め事に首突っ込んだせいで、陸上部の推薦までドブに捨ててしまって。
なんて考えていたら、目の前の三田は、少し気まずそうに黙っていた。
「……あー、じゃあ、三田も元気でな」
「……佐嶋さんっ、あたしと仲良くならない?」
ほぼ同時だった。息を荒くして、俺を見つめている。一瞬呑み込めなくて、ぽかんとして、それから納得した。
友達が欲しいんだろ、お前は。助けてあげたとか、悪ぶってまどろっこしいことしてないで、最初からはっきり言えばいいんだ。
「いや、それは全然大丈夫だし、うん、呼び捨てでいいよ。モモちゃん、でも別にいいけどな」
正直調子に乗って言い出すと、三田は明らかにげんなりした顔をしてから、にやっと笑った。
「……呼んでほしいの? モモちゃんって。モモちゃん」
「うわっ! いややめろよ、今のは無しだぞ」
「冗談だし。間とって佐嶋ちゃんって呼ばせてもらうわ」
「……お前、やっぱ不良だな」
そのガングロに金髪、正直似合ってねえなと思ってたけど。ああ、ずぶ濡れだ。しかも一向に止む気のしない、曇り空で。仰ぎながら、息を吸った。
それが俺の高校生の、始まりだったような気がする。
俺の運動神経は良い方だった。背丈にもまあ恵まれている方だし、何より器用なことには自信があった。一応、今の得物はヌンチャクだが、大して使っていなかった。映画で見て、格好良かったからやり始めた。そんだけの理由で、自己流で、しかも始めたのが中三の夏ぐらいからだから、暇潰しにしかならないし、正直役に立っていない。
三田は木刀。剣道をやっていたからだろう。俺には良く分からないが、木刀を持った姿はかなり様になっていると思う。彫ってある文字が変だけど。
辻村と成海は基本的に素手だ。メリケンサックも好きじゃないらしい。辻村は強いが、俺が勝てないとまでは思わない。成海はもちろん強かった。
そう言えば、何で俺は成海と付き合いはじめたんだっけ。倉本のグループを抜けてから、後ろ盾が欲しかったという気持ちも、正直何ミリかはあった。あと、噂を聞くにつけて、それから辻村の顔を見て少し話して、信用できる連中だと思った。だけど、それらは些細な後押しに過ぎないことで、大部分の理由は別にあったはずだ。
ああ思い出した。三田と仲良くなってから、すぐに、二人で居るよりも三人、四人の方が、きっと俺達にとって良くなると思ったからだ。三田と上手くいってないわけじゃなく、三田のためなわけでもない。倉本達についていったのも、単に俺の方が寂しかっただけなんだろう。付き合いが良いと言われたこともあるが、単に愛想を振りまいているだけの自分は好きじゃなかった。だから、三田が嫌なら、俺は止めるつもりだった。そんなことは無くて、良かった、と思っているけど。
三田は愛嬌があって、よく笑って、よく怒る。腹黒い所もあるけど、気持ちのいい奴だった。辻村は大体スカしてて、そういう時はイラッとするし、口数もそんなないしであんま面白くはない奴だけど、稀に可愛げがあるし、肝が据わっている。成海はそんなに悪い奴じゃない。俺は素直だから言うけど毎日一緒に昼飯を食ってもいいって位には、あいつらのことが好きだった。
今更そんなことを振り返るのは、俺があいつらから離れることにしたからだ。
このままじっとしてても、俺に未来は無い。
夏休みになって、教室に持ち込んだラジオで野球中継を聞いていた時に、急に思った。俺に何ができる? ヌンチャク、ピッキング、天国回り……はあ、何の役に立つんだよ。もう走ってもねえし――。
熱を持て余したのかと思って、誰かの持ち込んだサンドバッグにあたってみた。学校を出てから喧嘩を売ってみた。けど、気分は大して晴れなかった。ずいぶん慣れたもんだった。あの時自分は怖れていたんだと、後で気付いた。
本屋に行くと、漫画が置いてあったはずの場所が難しいやつで埋め尽くされていた。よく聞く大学の名前が並んでいる。元々勉強はできる方だった。中三の夏にはやめていたけど。それはあと一年でどうにかなることでもないし、俺はやりたくなかった。
二年近く使っていたグラサンが壊れた。寝て起きたらフレームが真っ二つに割れていた。ピンクの景色が無色になった。結構気に入ってたけど、買い替えた。黒縁眼鏡を選んだ理由は今でも分からない。眼鏡に合うように黒く短く髪を切った。辻村と被っていることに気が付いたのはもっと後だったが。なくなった金髪と茶髪、ああ、ずいぶん長いこと世話していた。少し後悔した。グラサンが壊れなければ、あれを選ばなければ、俺は何も変わらなかったんだろうか。関係ない。外見なんて心には何も関係ない。そう思っておきたかった。
とにかく何か、俺の隙間を埋めてくれ。あいつらの空気が、急に空しく感じた。つるみに行かないことが増えていった。未来がないから、隙間がどうしても埋まらねえ。
誤魔化すな。こいつらと居ても、時間の無駄だ。そう思うと急に馬鹿らしくなった。喧嘩も駄弁りも何もかも。
「俺、もうここに来ねえわ」
十二月の初めだった。成海達に、そう挨拶した。薄い雪が降っていた。俺は黒のネックウォーマーを巻いていた。制服も元に戻して、この髪型にも薄い視界にも、とっくに慣れた。
「ちょっと、佐嶋ちゃんっ」
それだけ言って立ち去る俺を、三田が追いかけてきた。なんとなく分かっていた。追いかけてくる奴が居るとするなら、お前だけだって。
三田は階段に降りてから、後ろ手に扉を閉めた。
「佐嶋ちゃん、何かあったの?」
「何もねえよ。お前らとつるむのやめるって言ってんだよ」
「やめて何すんの。だって佐嶋ちゃん、もう友達なんて居ないじゃん」
「遊びは終わりだよ、三田。いい加減気付けよ。お前だってこのままじゃ未来が無いだろうが!」
「なんで! 分かるように言ってよ、ちゃんと相談してよ」
「……いつまでもベタベタしてられると思うなよ!」
俺は捨てた。
出て行ったんだ。成海からも辻村からも、三田からも。三田の傲慢。辻村の同情。成海の無表情。怒りが湧く。お前ら全員に。
三田は震えていた。
「……悪い」
俺はそれしか言えなかった。
三田が猛スピードで俺の横を通り過ぎていった。それから、頭に何かが当たる。針金だった。俺のじゃない。ピッキングでもない。桃みたいな形に曲がっていた。振り返ると、もう三田は居なかった。
次の日、教室で倉本が話しかけてきた。同じクラスだったことを今更思い出して、懐かしくなった。それだけ久しぶりだったと思うと、胸に隙間風が吹く心地がした。
「佐嶋あ、何やってんの?」
「おい、覗くなよ」
倉本は堂々と顔を近づけてきた。どれだけ長い間、顔を見て居なかったんだろう。倉本の見た目は、一年の頃とは変わっていた。赤いハートのヘアピンで止めた前髪。肩までストレートに伸ばした、赤みがかった茶髪。天然パーマのおかっぱで、染めてなくて、少しだけ垢抜けなかった一年の頃の方が好みだった、なんて言わない。きっと俺が言う権利は無い。
だけどそんな期間なんて全くおかまいなしという風に、倉本は頬を膨らませてにやにやしていた。
「なになに? もしかして勉強ってやつ?」
「白々しいなお前。文句あっか」
俺は折れ曲がった数学の教科書とノートを開いていた。
「いやいや、ほら、最近死神のご機嫌取りもしてないみたいだし? てか、今更頑張っちゃってどーすんの? あんたみたいな馬鹿がさあ」
「……はいはい、馬鹿ですよ、俺は」
まあ馬鹿ですよ。でもお前も人のこと言ってて大丈夫か? どのみち、俺には関係ないけど。
その時、ふと頭を過ぎったことがあった。大分前に、倉本に聞こうと思っていたことがあった気がした。思い出せない。思い出せないということは、大したことじゃない。少なくとも今の俺には必要ないことのはずだ。
「へ? え、ひょっとしてマジなの? ウケんだけど!」
俺が考えている間に、言うだけ言って倉本はどっかに行った。と思うと教室の隅で、別の奴に話しかけながら俺を指さしてきた。
「ねえ、あいつ、お・べ・ん・きょーしてるってさー!」
倉本は大声で言った。シャーペンの芯が折れた。俺は机に前のめりになって下を向いた。集中しろ。雑音だ。雑音だ。
ただ、呟くような声が、やけに大きく耳に入った。
……たぶん一生、好き嫌いとか関係なく、倉本と俺が仲良くなることはないんだろう。そういう種類だという気がした。
「――何、ちょっとはキレろよ。つまんね」
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