6 三田のどか

 秋になった。秋は、少し寒くて冬が近いこと以外は楽だ。

 ちょっとだけ、教室で居ても居なくても変わらないような先生の話が、長くなった気がするけど。

 お昼ご飯の時に、事件が起こった。遅れて屋上に入ってきた佐嶋が別人の姿で現れたことだ。

 まず、目がチカチカする金色と黒の逆プリン頭じゃない。ごく普通の黒髪だった。しかも肩まであったのが耳の上まで短くなった。巻いてもいないし、前髪も分けずにほとんど無いくらいに下ろしてる。

 桃色のグラサンも、よくありそうな黒縁眼鏡に変わっていた。顔もなんだか薄くなっている。ぶすっとして、成ちゃんと辻ちゃんの間に座って、不機嫌を隠さない。

「さ、佐嶋ちゃん……それ、罰ゲーム?」

 突っ込みにくい空気の中で、あたしはおそるおそる口を割った。無言。余計にまずくなったような。あたし、間違ったかな。その時、ふっ、と笑い声がした。一瞬誰のだか分からなかった。めったに笑わない辻ちゃんのだったから。

「どうしたその髪、俺の真似してんじゃねえよ」

「うっうるせーな、お前の髪型なんか今初めて見たわ! ただの気分だっつの。イメチェン、イメチェン」

「どんな気分だ」

「俺のこと馬鹿にしてんのか辻村」

「いやいやグラサンのレンズが吹っ飛んだから」

「おい、あんま調子乗んじゃねえぞ。お前こそ靴下履いとけや、臭いんだよ」

「別に必要無い」

 ……ガキかっての。

 辻ちゃんは、佐嶋相手だと、気付いているのかいないのか、口数が増えるけど、こんな冗談を言うのは初めて見た。佐嶋は真っ赤になって腕を組んだ。もう態度に棘は無くなっていて、それに安心したら、急に笑えてきた。良かった。それに、今の佐嶋の見た目も笑えて。腰を下ろした成ちゃんも、心なしかいつもより楽しそうで。

「あはは、……ん、佐嶋ちゃん?」

 その時、ふと見た佐嶋の顔が、一瞬だけ強張っていた。心臓がぎゅっとして、笑いが止まった。

「まあいいや、何か他に面白いことねえの?」

 佐嶋はそう言って溜息をついた。もう一度見ると、別に普通だった。見間違え、だったのかな。

「飯でも食ってろ」

 って言う、辻ちゃんの声が聞こえた。


 放課後、特に用事は無かったけど、なんとなく屋上に行きたいと思えなくて、グラウンドを少し走った。やっぱり、すぐに息が上がってしまう。相変わらず体力が無いな。白線一つ引かれてない、ただの土みたいなグラウンドは広かった。ただ、白線を引く器械がフェンスの傍に置いてあって、たぶん中身は空っぽなんだろうけど、このでっかい土の上にアイラブユーでも何でも書けたら、気持ちいいんだろうなあ、屋上から見えるだろうなあ、なんて思った。

 いやアイラブユーって何。誰に。考えたことないよ。

 走るのはそこそこにしておいて、あたしは鞄を背負って歩き出した。ろくに掃かれてないから、落ち葉でいっぱいだ。このまま帰ろう。明日佐嶋に会ったらなんか言おう。そう考えながら構内の道を辿っていたら、ごすっと驚くくらいの音がして、二メートルくらい前の地面に、長い棒が突き刺さっていた。びいいんと震えながら。

 見間違えるはずがない。

「あたしのカルビ海ちゃんが!」

 あたしの愛刀だ。わざわざ名前まで柄に彫ってもらって。いつからここに。いや違う、今、刺さったんだ。だから方向は。

 あたしは斜め後ろ、上を探した。夕焼けで黒くなった、木の中。

「屋上に、置いてあったから」

 成ちゃんの声だ。そう思った瞬間、太い枝の上に座っていたんだろう、成ちゃんは飛び出した。

 あたしは慌てて木刀を取りに行った。大きな靴音を聞く。下げつつ両手で握り締めて、成ちゃんに向かい合った。今の成ちゃんは普段と空気が違う。急にあたしだけ仲間外れになったみたいだ。ここから難を逃れるには。

「えーっと、お昼だよね、何で置き忘れてたんだろう」

「僕に見せてくれたから、じゃないかな。ごめんね、のどか。今のは少し、乱暴だった」

「あ、いや謝ることないよ、置いてくのが悪いんだし。返しに来てくれて助かった……」

 あたしの言葉はそこで止まってしまった。予感した通り、成ちゃんは笑って、

「今、やらない」

 と、無邪気なくらいに言った。いつか言われてもおかしくない、とは思っていたんだ。辻ちゃんも一週間成ちゃんと戦ったらしいし、腕相撲だけど佐嶋も戦った。でもあたしはそんなに強くないし、負けたくないし、痛い思いも好きなわけじゃない。あんな冬みたいな思いはできればもう沢山だ。腕相撲……? そこであたしは思いついた。佐嶋がやったみたいに、パンと手を叩いてお願いする。

「あ、そーだ! 成ちゃん、ゲーセン行かない?」

 もちろん苦し紛れだ。両手を後ろに隠して近づいてくる成ちゃんは、足取りが軽い。それから少し見上げるように屈んで、笑って言った。

「ゲームセンターのこと?」

 学校からすぐ傍の商店街にあるゲーセンは、古臭いけど種類だけはあって、それなりに人も居る。溜まり場になってるとも言うけど。

「そ、そうだよっ。ゲームセンター、ゲームセンター。商店街の所の。格闘ゲームもあるし、面白いからさ!」

「行くよ」

「あ、やっぱり無……んん、行くの?」

 成ちゃんは不思議そうに笑って頷く。

「うん」

 

 皆がなんでこの学校に来たのかを、たまに考える。

 佐嶋は良い奴で馬鹿だから、友達のために不良になれる。なってしまった、かもしれない。本人には言わないけど、あいつは優しい。それが羨ましくて、あたしもそうなりたいって、ちょっとだけ思っていた。

 辻ちゃんはたぶん、喧嘩が強くなりたいんだと思う。十分強いけど。だから辻ちゃんも、少しひねくれてるけど、真っ直ぐだ。

 成ちゃんは、ここに居るということが、似合いすぎていた。

 あたしだけが違った。単に、落ちこぼれなだけ。


 自動ドアが閉まると、人と機械の発する音だけでいっぱいになった。ああ、来てしまった。いろんな人が居る。小学生も中学生も高校生も、働いている人も働いていない人も、良い人も悪い人も、優しい人も優しくない人も。死んでいて、生きているようなこの空気が、私はずっと好きだ。似合わないかもしれないけど。

 このゲームセンター自体は昔から何度も行っていたけど、今更こんな風に放課後に誰かと遊びに行くなんて信じられなかった。しかも相手が成ちゃんで、短い距離を一緒に歩いて。友達になったみたいだ。成ちゃんはふわふわしていて、いつの間にか「死神」なんて呼ばれていて、暴力とアイスの当たり外れにしか興味が無いと思ってたから。

「のどかはこの辺に住んでるの」

「あーうん、まあね。成ちゃんはここ、来たことある?」

「ううん。今日が最初」

「じゃあ、こういうゲームは?」

「昔、何回かやったことあったと思う。覚えてるよ」

 こんな風に普通の高校生みたいな会話をすることなんて、高校三年間で絶対無いと思っていた。

 あたしは成ちゃんのことを知らない。心のどこかで、佐嶋や辻ちゃん……みんなも成ちゃんのことなんてそんなに知らないだろうと思ってた。分からないし、知る必要なんてないだろうって。それにあたしは最初から佐嶋の行く場所を追いかけていただけで、あたしも、それ以外に興味なんて無かった。

 だから、成ちゃんのことはただ、怖くて自由で、変な子で、死神だとしか思ってなかった。でもこうやって、何もなくても、普通に笑うんだな。もっとちゃんと話してたら、あたしは成ちゃんと友達になれていたんだろうか。

「見て回ろっか。やりたいやつあったら、一緒にやろうよ」

 あたしは言った。

「じゃあ、あれがしたい」

 即答で、成ちゃんがすぐに指をさしたのは、UFOキャッチャーだった。

「……対戦はできないよ?」

「欲しいものが、あるから」

 欲しいもの?

 UFOキャッチャーのところまで行った。自分の小銭入れを覗く。一回百円だから、……五回か。

 成ちゃんは、うさぎのぬいぐるみを狙っているらしい。可愛い、かもしれないけど何でなんだろう、と思ったけど、それは言わない。ざっと見ると、黒と白と桃色と青と緑と、虎みたいな黄色と黒のボーダー。どれでもいいなら狙える数は少なくないけど、大きさが片手で掴めるくらいに小さくて、難易度は高そうだった。

「できそうかな。てかやったことは」

「ない。できるかどうかは、分からない」

「うー、あたしも自信ないけど、一回やってみるよ」

 成ちゃんは頷いた。ゲームはやっていても、得意なわけじゃない。何より佐嶋みたいに器用じゃない。

「よしっ」

 一回目。硬貨一枚。あっさり、空振りだった。

「ごめんなさい……」

「次、やるね」

 あたしが頷いて、夏目に替わった。

 夏目がやった二回目は、掴むところまではいった。色は白。だけど、途中で落ちてしまった。

「交代でやろう」

 そういうことになって、次はあたしがやった。

 だけど結局、三回目も四回目も五回目も、何も手に入らなかった。

「本当ごめんっ」

「ううん、ありがとう」

 成海はそんなには落ち込んでなさそうだったけど、キャッチャーのでかい箱の中から目を離さずにのぞき込んでいた。その時、胸の携帯電話が震えた。

「電話だ、ちょっと待ってて」

 電話の主は父ちゃんだった。

「あれどうかしたの。は、焼肉? 何で。あ、いや行くよ絶対食べるよ! ……あ、まあ。うん今から帰る。じゃまたね!」

 電話を切った後、成ちゃんの顔を見た。

 その用件はあたしにはすごく、大事な用事だった。焼肉なんて、もうずっと食べに行っていない。前行ったのは、あたしがブロック予選で良い所まで行ったお祝いだった。剣道をやめる前の、中学の頃の話だ。だから急に焼肉なんて言い出して、何があったっていうんだろう。そんなに良いことがあったのかな。宝くじが当たったとか。そんなわけないか。

 少しの罪悪感を仕舞い込んで、成ちゃんに切り出す。

「ごめん、あたしもうそろ帰らないと」

「うん」

 成ちゃんはなんでもないように笑った。でもあたしが鞄を背負い直しても、成ちゃんは身動きしなかった。

「あれ、成ちゃんは?」

「うん。僕はもう少し、やってみようかなと思って」

 そんなに、やりたかったんだ。

「……ねっ、楽しかったんならさ、また、皆で行こうよ。今度は」

 言いながらも、少し不安になる。最初は喧嘩しようって感じだったのに、結局こんな風で、本当によかったのかな。あたしのこと、成ちゃんは友達だって思ってくれてるのかな。あたしは成ちゃんのこと、友達だって思ってもいいのかな。

 でも成ちゃんは手を振った。

「また明日」

「じゃ、じゃあっ、またね!」

 少しほっとして、手を振り返す。あたしだけがゲームセンターを出て、人の居るはずの商店街がやけに静かに聞こえる。帰ってきた現実が、ふと思い出される。まだやっていくって、成ちゃん、お金持ってたんだ……。考えてみれば当たり前なことなんだけど、当たり前のことをあの学校の中では忘れていたから。

 そういえばもう、あと一年と少ししかないんだ。そう思うと、少し背中が凍えた。

 それを振り払うように、身体を温めるように、あたしは走り出した。帰らなくちゃいけない場所まで。

 あたしも、頑張ろう。

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