第3-1話 再会
今日は1999年の5月6日で、俺は中学1年生、中学1年生……。自分に言い聞かせるように唱えながら、目的地である学校に向けて歩みを進める。
随分と久しぶりなことなのに、「制服を着て学校に行かなければならない」という状況を用意されてしまえば、思ったよりもすんなりと従ってしまう。この姿では、他に選択肢はそう多くないということもあるけれど。
習慣というものは恐ろしいもので、使い慣れた通学路を歩き始めてみれば、その気になってくる。
考えて見れば、毎週5日か6日の登校、3年間で750日以上。幾度となく往復した道だ。いつもの信号、郵便ポスト。「シロ」と勝手に名付けて呼んでた野良猫、玄関に変な飾りをつけている一軒家。
時間の間隔があいていても、それだけ何度も繰り返したことを身体が覚えているのだろう。一度自転車の乗り方を覚えてしまえば、しばらく乗っていなくても問題なく乗れるのと同じようなものかもしれない。もっとも身体が若返ってしまったから、この場合は脳が覚えているということか。
公立の小学校に通った後、受験をするわけでもなく一番近くの中学校に入学した。小学校までの友達の半分くらいは違う中学校に行き、中学校では様々な他の小学校出身の人々と出会うことになる。
随分昔の話だったが、まさかまた、この学校に通うことになるとは。
登校中に不意打ちで誰かに会うのは嫌な気がして、随分早くに家を出ていた。何年も会っていない当時の友達、クラスメイトといきなり自然な会話ができる気がしなかった。
「――クドいようだが、もう一度言っておく。周りに人の気配があるときは『いい』って言うまで喋るなよ。頼むから」
カバンに入れているゲーム機、リオンに話しかけた。
「分かっておる」
外でなら誤魔化せるかもしれないが、学校でリオンが喋るのを見られてはマズい。
歩きながら、昨日の出来事を思い返す。商店街の玩具屋「おもちゃのポニー」の前で、このゲーム機――リオンに何をすればいいのか、聞き出した時のことを。
リオンいわく「玩具屋を危機から救うためにするべきことは色々あるが、まずは1999年5月当時の生活をしろ」ということだった。ただし、どこに行くにもリオンを持ち歩けとも言われた。勝手が分からないし、1人(1匹?)にしておいたら何をするか分からないので、お互いを監視するという点でも目的が一致した。1999年以前の携帯ゲーム機ということで、多少かさばるのが難点だが仕方ない。学校にゲーム機の持ち込みなんて当然認められていなかったが、勝手に喋らないように言っておけば、なんとかなるだろう。特別厳しい校風ではなく、抜き打ちの荷物検査みたいなこともなかったような気がするし。
1999年といえば、俺は中学1年生だった。今日の日付が5月6日、新しい生活にちょっとずつ慣れてくるものの、積もる疲れもあって連休が身にしみる時期。そして休み明け、学校に行くのがちょっと面倒くさくなる、そんな日に戻ってきた。当時と状況は違うものの、足取りの重さは通じるものがある。
「過去に戻ることができたら」という漫画やドラマを見ると、その時やることの定番といえば金稼ぎだろう。でも今回の場合はその必要はないし、過度な出来事の改変は何が起こるか分からないから、そういう行動は慎め、とのことだ。
金はあるに越したことはないだろうとは思うものの、元いた時代から試合の結果を記録した「スポーツ年鑑」のような物を持ってきているわけではなかった。リオンに呼ばれこの時代に来る前にどんな格好をしていたかは覚えていないが、この時代まで持ち越しできていそうな荷物は全くなかった。あるのは記憶だけ、それも直前に記憶はあやふやだ。残念ながら、そういう便利さは期待してはいけないようだ。結果を知っていれば手軽で確実に稼げるような、競馬の結果も覚えていない。株の値上がりも長期的なことだろう。そんなわけで、リオンの指示に従い、現状に慣れる方を先決とした。
昨日の会話を思い返して状況を確認し終わる頃、クリーム色の校舎が見えてきた。茶色のレンガに挟まれた門が開いている。
「着いたのう」
「ああ……、着いたな」
3年間通った学び舎。いい思い出も、そうでないことも、たくさんある場所。
少し緊張しつつ門をくぐる。別に悪いことをしようとしてるんじゃないんだ、ただの通学なんだからと自分に言い聞かせつつ、下駄箱で靴と上履きを履き替える。
「あー……思い出した。1年の教室は一番上なんだよなぁ」
校舎は4階建て。1年生の教室は4階にある。2年、3年と学年が上がるごとにフロアの階数は下がる。1階は職員室や保健室、多目的教室などがあった。
「正直、キツいんですけど。この階段」
「肉体は中学生なんだから、問題はないはずじゃが」
「まあ、そうかもしれないけどさ……」必死に足を前に出しながら答える。
「――置き勉が制限されていて、無駄に荷物が多い状態で……っ、3フロア分の縦移動は……当時からしんどかったぞ……っ」
小学校のときは低学年が1階で、進級するごとに上の階になっていった記憶があるが、中学と高校はその逆だったっけ。
小学校の場合、低学年はまだまだ心配だから上下移動が少なくて済むように1階、中高では受験生に少しでも余計な負担を掛けないように高学年ほど下の階、ということなんだろうか。
「1階から2階に行くとかなら階段を使うけどさ、基本的にずっとエスカレーターかエレベーター頼りだったからなあ。いつ以来だろう、こんなに階段使うの」
そんな文句を言いながら、登っていく。
不安と少々の面倒さを感じつつ、無事たどり着いた。階段を登り終えて左手に曲がると、順に1組、2組の教室が続く。遠近法のお手本みたいな光景の廊下をゆっくり進む。「1-3」と書かれた部屋の前で足が止まった。
廊下の壁にぶら下げられた案内札に書かれた数字に、はっきりと見覚えがあった。入学してクラスが分かった時、「中学生になったけど、クラスは『さわやか3組』だな」とか思った記憶が蘇る。そういう名前の小学生向けの教育番組があった。学校を休んだ日とか、道徳の授業の時にたまに見るやつ。
「1-3」、こうやってまじまじと見ると、ゲームのステージ表記みたいだ。
1面の3番目。これからの一日をうまくクリアできることを祈りながら、ドアに手をかける。少し滑りの悪いドアが鈍い音を立てた。
時刻は予鈴の30分前で、幸い教室には誰もいなかった。
人間のいない教室で、机だけが行儀よく列を作っている。連休前に大掃除をしたのだろうか、床に塗られたワックスの匂いをわずかに感じた。
辺りを一瞥してから、ハッとする。
「やべっ、席分かんねえ……」
流石に当時の座席までは覚えていなかった。
5月だから入学当時のまま、「あいうえお」の名前順だろうか?しかし、結構早く席替えしていたかもしれない。そもそも名前順だとしても、クラスメイトの名前を全員分なんて覚えていない。
とりあえずテキトーな場所にいて誤魔化しておいて、空いたままの席から検討をつけるか……?と考えながらウロウロして教室前方を通りかかった時、教卓に何かのファイルが置いてあることに気付く。
しめた。座席表があった。考えてみれば、1学期始まったばかりでは先生もまだ名前と顔が一致してなくてもおかしくないな。助かった。
自分の名前、「遠野カケル」の文字を探す。場所は教卓から見て右側、窓際の一番後ろ……ということはなく、窓際の前方だった。後ろ側だと周りの様子が見やすいし、色々と楽なんだが、贅沢は言えないか。
席に着き、今後のことを考える。
予習は……元からしない派だったし、さすがに中学レベルならその場でなんとかはず。宿題は……あったらあったで仕方ない。叱られようが、別に後に響くことでもないだろうし、と開き直る。
「さて……」
リオンとは別にもう1つ玩具の持ち込みをしてた。朝からポケットに入れていた、「それ」を取り出す。丸く手に馴染む、楕円形の卵型の玩具。昨日、なりゆきで買うことになったその玩具をじっと眺め、ため息をつく。
「まずはこいつが頼りか……」
再び、昨日のやり取りを思い返す。
「それで、基本的には普通の生活をしろってことは分かった。でも、それだけじゃ問題は解決しないよな?」
依然、玩具屋の前でゲーム機越しの会話は続く。
「そうじゃな。いきなり全部教えても覚えきれんだろうから、まずは今必要なことは教えておこうかの」
一方的な契約をすることになったことから、まだ重要なことを隠しているんじゃないかという疑念は消えないが、ひとまず話を聞く。
「わしの……ゲーム機のAボタンを押してみるのじゃ」
言われる通り本体の右側にあるボタンに触る。するとそれまで猫又のグラフィックが表示されていた画面から切り替わり、何やら文字が表示された。
「それが現在の状況を示す、指標となる数値じゃな」
ひらがなで「たいりょく・まりょく」とあり、その隣に丸いマークがある。体力・魔力ともに黒丸が1つと白丸が4つ並んでいる。
たいりょく ●○○○○
まりょく ●○○○○
文字情報でも表せるくらいシンプルな内容。
「ふーん、体力に魔力ね……ん?『魔力』ってどういうこと?もしかして俺が何か使えるって話?」
「いや、それはわしが持つ付喪神の力を数値化して、状況を把握しやすくしただけじゃ。お前に特別な力などない」
言い終わるより早く、きっぱり断言される。
「あっ、ハイ。そうですか」
超常的な現象にあったわけだし、それに付随して便利な力が使えるようになったりしないかと少し期待をしてしまった。
「黒い丸が現在の状態を示しておる。白い丸で表示されている部分が本来の上限値。さきほど言った通り魔力は1999年5月に戻るためにほとんど使い切ってしまって、本来の力を発揮できんのじゃ。数字で言えば今の魔力は「1/5」ということじゃな。お前の使命は、この店にある玩具を通して力を集め、わしの魔力をフルパワーにすることじゃ」
「なるほど、だんだん分かってきた。リオンだけじゃできないことを手伝えばいいんだな」
リオンには付喪神の力があり、その力を使うためには魔力が必要になる。魔力は玩具から取り込むことができるが、それにはゲーム機を操作する人間が必要になる、と。
「そうじゃ。自分だけで動き回ることができれば、わざわざ他人に頼る必要はないんじゃがな……。説明も面倒じゃし」
リオンは随分と不満げだ。自分一人で出来るなら、こんな回りくどいことをしなくて済むのだからと暗に責めているようだ。何にせよ、手助けをして魔力の数値を上げていけばいいわけだ。
となると、もう一つのステータスも何かしら必要性があるんだろうと想像がつく。
「……それなら、『たいりょく』の方も何かあるんだろ?そのままの意味で考えたら生命エネルギーとか……それが今、黒丸が1つだけなのはあまり良くなさそうな気はするけれど」
「そうじゃの。見たまんま『たいりょく』は体力じゃ。魔力を蓄える必要があるが、それ以前に体力が尽きたらそれでおしまいじゃからの」
「ふーん。そりゃ大変だ」
「体力の数値は、この『ゲーム機本体』のエネルギー残量といってもいい。本来は電池で動くゲーム機じゃが、電池の代わりに魔力を応用した物をエネルギー源として動いておる。故に、本体の電池の入れ替えは不要じゃ」
電池の交換か。携帯ゲーム機はバッテリー充電がメインになって久しい。
「そりゃ助かるな。昔の携帯ゲームって使い捨て電池を使ってて、意外と費用が馬鹿にならなかったからなあ」
ゲームや四駆レースで家の常備品の電池を使いまくって怒られたことを思い出す。あ、でも充電式の電池はもう1999年にあったかな……なんて思考で横道にそれかける。
「付喪神の力で他の物から得たエネルギーは、状況に合わせて、適切に振り分けてそれぞれのステータスに加算される。体力がなくなっては元も子もないから、それが少ないときは優先に、といった具合じゃな」
「なるほど」
頭の中で情報を整理する。重要なのは体力の残数、と。一般的なRPGのHPとMPの関係みたいなもんだろうか。体力がなくならないように気を付けつつ、リオンの特別な力が使えるようにするための魔力を増やしていけばいいわけだ。
そうすれば……。ゲーム機から顔を話し、店の外から店内の様子を覗く。この店、「おもちゃのポニー」の危機を回避できる。それがこの時代に連れてこられた理由なら、やり遂げるしかない。
「ちなみに『体力』のゲージに関してはお前の命と連動しているから、そのつもりでの」
「うん。……うん?」
今なんと?
「体力ゲージが……何だって?」
「体力はゲーム機の残りエネルギーであると同時に、お前の生命力でもある。全て無くなったらお前の命も終わりだから、そのつもりでな」
「いやいや、聞いてないよ!そんなの」
ゲーム機を握りしめながら、画面の中のリオンに叫ぶ。
「人間一人を過去の世界に連れて行くんじゃ、増大な魔力の消費だけじゃなく、それくらいの制約が必要になってくる。その条件込みで、もう最初に契約を交わしてしまったんじゃ。諦めい」
「いや、それにしたって……んな無茶な」
「魔力については一度貯めたものは、使わぬ限り自然に消耗することはない。が、体力は時間経過で勝手に減っていくから、そのつもりで頼むぞい」
体力はだんだん減っていき、完全になくなった時、それは他ならぬ自分の死をも意味する。
「なんだよ、それじゃ常時、毒状態みたいなもんじゃん!」
むしろ呪いかもしれない。
「ひとまず、必要な説明をしたぞ。それじゃ実際に……」
突然、ゲーム機から音がなった。ピコーン、ピコーンと警告音のような、緊迫感のある効果音。
「丁度いいタイミングじゃな。もう一度ステータス画面を見てみい」
状況が掴めないまま、ボタンを押す。すると、さきほどの「たいりょく」の1つだけの黒丸が点滅していることに気付く。
「体力が残りわずかになった合図じゃ」
「えっ、それってかなりヤバいんじゃ」
「うむ」
「体力ゲージは、0になる直前にアラーム音とゲーム機本体のランプが点滅して知らせる機能があるから、ステータス画面を見てないときでも見落とさずにすむぞい」
「便利っちゃ便利だけど、そんなこと言ってる場合じゃねえから!」
そう言ってる間も、ゲーム機はランプの点滅とともに音をあげている。よくあるゲーム機の電池が切れるときのアクションそのものだ。でも、こうやってわざわざ音を鳴らしたりランプをチカチカさせるのって、余計に電力を使ってやしないか?最後の最後、残りわずかなエネルギーが無駄に消費されていて、それがなければ後少しゲームの電池がもつんじゃないか――そんな疑問が浮かんでから、はっと我に返る。そんな考えが、生前最後の記憶になってはたまらない。
「それで、なんだっけ、どうすりゃいいんだ!?」
「今この場で、何かの玩具から力を吸収するしかないの」
焦る俺に対し、リオンのペースは変わらない。
「でっ、やり方は!?」
「ゲームのセレクトボタンを押すと、『赤外線通信モード』になる。そして対象とする玩具のバーコード部分をスキャンするんじゃ。バーコードが汚れていたり、曲面になってるとスキャンが成功し辛いから、注意するんじゃぞ」
「なんかアナログだな付喪神の力っ!」
いや、今はそんなことは置いておこう。急いで手近にある玩具を手に取る。
「ただし、力を吸収できるのはその玩具が売れた、つまり店の物から他人の物となった瞬間じゃ。玩具の本分は『誰かの物になる』ことにあるからの」
「つまり?」
「今どうにかするなら、お前が金を払って、所有者になる必要があるわけじゃ」
「わかった、とにかくなんか買えばいんだな!えっとカバンは……」
と、それまで持っていると思っていた手荷物が消えていることに気付く。そして自分の身体に手をあて、服装も中学生の姿に戻っていたことを思い出す。急いでポケットをまさぐると、幸い財布の感触があった。
「よしっ、財布はあった!助かった」
と勢いよく取り出すと、そこには真っ赤な財布が現れた。マジックテープで開くやつ。
「そういやそんなの使ってたわ……いや、でもいいんだ、とにかく財布があるなら」
バリバリと派手な音を響かせながら財布を開けると、紙幣入れは空っぽ、小銭入れをあけるとかろうじて500円玉が1枚と1円玉が数枚あるのみ。
「500円しかねぇーッ!!」
崩れ落ちる。子供の時の自分よ、もっとお金を持ち歩いていてくれ。あるいはこのタイミングでほとんど使い切ったところだったのか……。
「500円だろうと金には変わりないじゃろうが。さっさとそれを使えばいいのじゃ」
リオンの声で我に返り、気を取り直す。そうだ、玩具屋なら500円で買えるものだっていくらでもあるはずだ。店に入ろうとドアに手をかけた時、店の外にダンボールが置かれていることに気付いた。見ると「セール品」の文字がある。店の外に乱雑に置かれているくらいだから、かなりの安売りが予想される。
そうこうしている間も、ゲーム機からアラーム音は鳴り続け、焦燥感に駆られる。急いで箱に近付く。色んな玩具が混じった箱から当てずっぽうで手に取り、値札を確認する。
「ちょうど500円、これでいいや!リオン、こいつをスキャンすればいいんだな!?」
「そうじゃ。まず金を払ってこい。それくらいの時間はまだあるじゃろう。たぶん」
「たぶん!?」
言いながら店のドアを開け、レジに向かい玩具と500円玉を差し出し、精算の手順を待たず急いで外に出る。ゲーム機のセレクトボタンを押して、スキャンモードに。赤い光が漏れる。今買った玩具のバーコード面をあてる……焦りで手が震える。数秒後、「ピッ」という音がして、同時にさきほどまで鳴っていたアラーム音が止まった。もう一度ゲーム機を操作する。
ステータス画面を見ると、現在の体力値を表す黒丸は2つに増えていた。ゲージの黒丸も点滅はしてない。ひとまず、転移1日目にして死んでしまう結果は免れることができたようだ。
現在のステータス
たいりょく ●●○○○
まりょく ●○○○○
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