追憶①
少女は気だるそうにベッドから起き上がり、枕元に置いてあった手のひらサイズの鉄板のようなものを手に取った。そして、少し背伸びをし、大きなあくびをしてからそれに話しかけた。
「おはよう、エアリー」
『おはようございます。早く支度をしましょう。でないと、またあの人が喚き散らします』
「……早くやっても遅くやっても結果は同じだよ。無駄なことはしたくない」
少女は机の上にある眼鏡をかけた。少女は背が低く、見た目的には10歳になるかならないかくらいに見える。本当は可愛らしい顔をしていそうではあるが、全く手入れをしていないボサボサの黒髪の短髪で顔を隠し、身なりもみすぼらしいことで、その生来の可愛らしさは完全に見る影もない。
机には本や書類が積み重なっている。部屋、というよりも倉庫のような場所のようだ。人が住むために形作られたスペースではないように思えた。薄暗く、少し湿っぽい。机や椅子、ベッドなどは全て鉄製なのも無機質で生活感が感じられず、まるで独房のような雰囲気を醸し出していた。
彼女が部屋の扉を開けると、そこは外だった。母屋に隣接する形で建てられている倉庫なのだろう。部屋を出ると、そこには手や顔を洗うための洗面台があった。しかし、そこには私たちが見慣れているような蛇口はあるが、水量を調節するためのハンドルはなかった。その代わりに、こぶし大の青く光る宝石のようなものがつけられていた。
しかし少女はそれらには一切触れずに、手に持った鉄板に話しかける。
「エアリー、
『
そう言うと、その少女は洗面台に置いてあった木桶に手をかざした。すると手桶にどんどん水が満たされていき、すぐにいっぱいになった。彼女は眼鏡を外して洗面台の端におき、自らが作り出した水で顔を洗った。
顔を洗って家の中に入ると、テーブルの上に朝食が用意されていた。硬そうなパンと具の少ないスープ。非常に簡素なものだ。これがこの階級の家庭の一般的な食事かと言われるとわからない。しかし、育ち盛りのように見える少女にとっては少しばかりボリュームが少ないように思えた。少女が席に着くと、女性の怒鳴り声が聞こえてくる。
「水を無駄遣いしなかっただろうね!魔力がないあんたは、ただただ消費するだけの穀潰しなんだからね!食べたらとっとと仕事に行きな!」
先ほど少女を叩き起こした声と同じだ。少女は何も答えず、朝食を口に運んだ。
彼女が口にした『魔力』とは何のことだろうか。
魔力、それは『妖精を統べる力』のことである。この世界には、妖精という存在がいて、その妖精を使役する『魔法』というルールが存在している。人々は自分たちが作り出す魔力を、妖精に対価として支払うことによって魔法を行使することができる。この魔法の力によって、あらゆることを行うことができるのだ。より厳密に言うなら、魔法を行使しないと、何もできないと言う方が正しいかもしれない。魔法がなければ水を出すことも火をおこすこともできない。
彼女、すなわち、ルーシッド・リムピッドはその生きていくために必要不可欠ともいえる魔力を持っていなかった。厳密に言うと、魔力の色を持っていなかった。
魔力には様々な色があり、人それぞれ持っている魔力の色が異なっていた。魔力の色によって、答えてくれる妖精が異なり、発令できる魔法も異なる。ある人は火が使えるがある人は使えない。ある人は水が出せるがある人は使えない。お互いの利点や欠点を補い合い、助け合いながら発展してきたのだ。
ルーシッドにとっては、魔力そのものを持っていないのと、魔力の色がないことには大きな違いがあった。だが、魔法が全てのこの世界においては、それは同義であった。魔力に色が無ければ、答えてくれる妖精は存在しない。答えてくれる妖精がいないということは、魔力がないのと同じであった。そして、魔法が使えないということは、この世界において、他の人のために役立つことは何もできないということに等しい。ただただ、他の人の魔力を消費して生きながらえ、自分は他の人のためになることは何一つ行わない役立たずの存在、そう思われてもしかたがないのだった。
ルーシッドに魔力がないということが判明したのは『盟約の儀式』の時だ。
魔法使いの子供たちは、3歳になると全員自分たちが住む共同体の長のところに行き、魔力の測定をしてもらい『盟約の指輪』をもらう。盟約の指輪とは魔法使いと妖精たちの間で結ばれた『魔法に関する盟約』の証のことで、いわば魔法使いの身分証明のようなものである。この指輪自体に何か特別な働きや力があって魔法を発令しているとかそういう意味ではなく、別にこの指輪が無くても何の問題もなく魔法を発令すること自体はできる。しかし、全ての魔法使いは、基本的には目には見えない妖精たちと自分たちが特別なつながりがあるということの証として、肌身離さずこの指輪を身に着けているのだ。この指輪を何かで失くしてしまったり、奪われたりすることは魔法使いにとって最も不名誉なことだと考えられていた。
この人生初の魔力測定と盟約の指輪を授与する儀式のことを『盟約の儀式』と言った。
魔力を測定するためには、鑑定の水晶という魔法具が使用されるのだが、当然のことながら、測定するためにはまずは意識的に魔力を生み出す必要がある。魔力は体の中に貯蔵器官のようなものがあって、そこから魔法を発令するたびに消費され、時間が経過すると補充されるというものではない。
魔力は生み出そうと意識して初めて体内から生成されるものである。それゆえに、この世界における魔力の強さとは、保有している魔力量や回復量のことではない。
いかに早く魔力を生成することができるか、一度にどれだけの量を生成することができるか、再度生成するまでにどれくらいの間隔が必要かということである。
これを測定するのが魔力測定である。それゆえに、魔力と言う存在を認識し、それを意識的に生み出すことができる適齢期にならないと、この盟約の儀式を行うことができないのだ。
ちなみに、地方の小さな村などの共同体には、簡易的な測定しかできない水晶しかなく、色と光の強さによってその人が持つ魔力の色と大雑把な魔力の強さしかわからないことが多い。光が普通の人より強く、素質がありそうな子供がいた場合には、より専門的な機関(たいていの場合には領主である)に赴いて、より正確な魔力を測定してもらうことになる。
ルーシッドも3歳となり、その盟約の儀式を行うために、他の子どもやその親たちと共に集会所に集まっていた。ルーシッドが魔力測定を行った後、会場はどよめいていた。しかし、それは魔力の高さに驚いてのどよめきではなかった。
「村長!何かの間違いです!もう一度、もう一度測ってください!」
「リムピッドさん……気持ちはわかるが、もうすでに3回目だ。何度測っても同じだよ…」
「そんな……じゃあうちの子は?うちの子は何だって言うんですか?」
「あぁ…私もこんな事初めてで、いまだに信じられんが…おたくの子、ルーシッドには魔力が一切ない。水晶が何の反応も示さない。こんな事があるものか……」
「何という事だ…
「忌み子だ…」
「何かの天罰では…」
「村に災いを招かないといいが…」
周りからはそんなささやき声が聞こえてくる。ルーシッドの母親は声が聞こえてきた方をものすごい形相で睨みつけた。すると、噂話はぴたりと止んだ。
「……お母さん?」
不安そうにそう言ったルーシッドを見返した母親の目は、あまりにも残酷な事実をルーシッドに突き付けた。
それはもうわが子を見る母親の目ではなかった。いや、正確には人間を見る目ではなかった。この世のものではない、この世にいてはいけないおぞましい存在を見るかのような、あまりにも冷酷な目だった。ルーシッドは目が合って、息ができなくなった。
「では、次の子、前に」
「ちょっ、ちょっと待ってください、村長!こっ、この子をどうすれば良いというのですか?」
「どうすれば…とは…?」
「魔法が使えない子を育てることに何の価値があるんですか!」
「ではどうすると言うのだね?」
「………」
母親は押し黙った。最悪の行動すら考えていたのかも知れない。
「リムピッドさん、これは誰が悪いという話ではない。たまたまその子に魔法の才能が与えられなかっただけの話だ。諦めなさい。次の子」
「え、あ、あの、ちょっと!指輪は、指輪はくださらないのですか?」
「……魔力が無いものに『盟約の指輪』を渡すことはできん。その子は妖精から嫌われておる。そんな者に妖精との『盟約』の証は渡すことはできん」
「そっ、そんな!あんまりです!指輪を持たない者がこれからどうやって生きていけと言うんですか!お願いします、せめて指輪だけでもください!」
「ならぬ。それはならぬ」
「そんな…そんな……こっ……このっ、この子さえ!この子さえ生まれてこなければぁあぁぁぁ!!」
この時から、ルーシッドの悪夢のような子供時代が始まったのだった。
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