冷やした味噌汁とマフラー

白情かな

ある日

一旦、一旦冷やしてからにしよう。

私は同居人の作ってくれたまだ湯気の立つ味噌汁を、冷ましてから冷蔵庫に入れた。

ついでに手作りのマフラーを冷蔵庫に放り込む。


明希は私より早く起きて、ご飯を準備して、私を起こして、私より早く家を出る。「すみれちゃんへ、冷めちゃってたら温めなおしてから飲んでね」とかなんとかメモを残して。


彼女は高校からの恋人で、いわゆる同棲というやつだ。

彼女は私より熱心に大学に通っている。最初の一年は朝も私と一緒に通いたいとぐちゃぐちゃ言っていたけど、私の寝起きがあまりにも悪いので二年からは何も言わなくなった。


私は食パンにジャムをつけて食べた後、冷蔵庫から取り出した冷え切った味噌汁を飲む。不味い。心がパキパキ凍っていくのを感じる。これでよかった、彼女の作るものはあったかくて、私の心を溶かそうとする。



「今日にしよう」


ふとそう思った。そろそろかなとおもっていたけど、別にいつだってよかった。それなら自分の感覚に従おう。冷たいマフラーとコートを羽織って外へ出る。とっておきの物を買って冷蔵庫に入れてから、改めて大学に向かう。



「あ! すみれちゃんだ! こっちこっち~」


明希は私が教室に入っていくと目ざとく私を見つけて声をかけてくる。笑顔で。


「おはよう」

「おはよう~」


時間遅れの挨拶が私たちの日常だ。



「それでね~先輩がさ、明希ちゃんの恋人は幸せだろうな~って言ってくるんだよ。私のこと狙ってるよね!」

「……まあ、幸せなのは確かじゃない?」

「えへへ~すみれちゃん大好き!」


明希は私と家に帰るまでの短い時間でも常に喋り続ける。外ではもっとしっかりしているのに、私の前だと幼いと感じるくらい素直で甘えた態度を取る。


「あのさ、すみれちゃ」


家に入って扉の鍵を閉めた後、私は明希の後頭部を思い切りトンカチで殴りつけた。明希は倒れて気絶した。


手足を拘束し猿轡をかまされた彼女は目をさますと、自分の状況を悟って諦めたような顔をした。刃物を首に突きつけ騒いだら殺すと脅してから喋れるようにしてあげる。


「すみれちゃん、ごめんね。これは、復讐だよね」


初めに出た言葉はそれだった。


「私わかってた、昔、小学校の時酷いいじめをしてた相手がすみれちゃんだってこと、気付いてたの。ずっと謝ろうと思ってた、でも怖くて、もしかしたらすみれちゃんが気付いていないんじゃないかと思って、それならこのままずっと幸せにしてあげたいって思ってて……」

「……」


「高校ですみれちゃんのこと見た瞬間に気付いたよ。私、私立の中学で酷いいじめにあったからすみれちゃんのことほんとに後悔してたの。だから仲良くなろうと近づいてくるすみれちゃんが死ぬほど怖かったよ」

「……」


「私が怖いって思いながらも謝れないでいるうちに、すみれちゃんは私に告白して来たよね。私ほんとは断りたかった。でもそんなの悪くてできなかったの。私がすみれちゃんの恋人になることが罪滅ぼしになるならそれでいいって思った」

「……」


「私すみれちゃんのために何でもしたよ。ご飯も作ったし、一緒にいて楽しい空気を作ろうとずっとしてたよ、マフラーも心を込めて編んだし、笑顔を絶やしたことなんてなかったし、怒ったこともなかったよ。それでも私は許されないの?」

「……」


「すみれちゃんはどうして今日まで待ってたの? 早く殺せばよかったじゃない!」

「私に必死に媚を売るのが、たまらなく面白かったから」


「……最低」

「でも私は、明希のこと好きになりそうだったよ」


「……」

「私のためになんでもしてくれてた。怖いはずなのに必死で笑顔を作ってた。怖くて仕方ないなら先に私のことを殺してしまえばよかったのに、明希はそれをしなかった。ほんの少し、愛を感じていたよ」


「……」

「明希が私と遊んだ時、見せてくれた笑顔の全てが嘘だとは思えなかった。いつかどちらからとなく謝って、仲直りしてしまう未来もあるんじゃないかと思った」


「なに言ってんのよ異常者、好きになんてなるわけないじゃない」

「……でもさ、なんだかそれじゃ救われないなって思った。あの頃何度も試みて失敗した自殺。肉体は死ななかったけど心は何回も死んでたよ。死んだ私の心達が、明希を殺せっていうんだよ」


「嫌よ、嫌……」

「ごめんね明希、私の心はとっくに死んでたんだ。殺されたっていうべきかな。ほんのかすかに生き残った私の心の搾りかすが、明希を好きにならないように必死だったよ」


「お願い、考え直して」

「明希のあったかいご飯が、あったかいマフラーが、私の心をとかそうとしてた。だから冷蔵庫に入れて冷やしてたんだ。そんな日々もそろそろ辛くなってきてた。終わりにしよう、明希」


「このクズ! あんたなんて好きじゃなかった! 一瞬だって好きじゃなかった! 殺されるから離れなかっただけだ! 死ね! あんたが死ね!」

「……うん、今まさに死んだよ」


私は明希の血が床に広がってゆくのをぼんやり眺めていた。

暖房を入れていないこの部屋は、冷蔵庫の中みたいに寒い。

ああ、ばかばかしいな、明希の思い通りに彼女のことを好きになりそうになって、一片たりとも思われていない片思いだったなんて。

明希からもらうもの全てを冷蔵庫で冷やして、心があったかくならないようにして。

全部ひとり相撲だ。

明希も意地悪だな、嫌いなら嫌いって先に言ってくれればよかったのに。

私は冷蔵庫からもしかしたらありえたかもしれない結末を夢見て、明希のために買っておいた誕生日ケーキを取り出して血まみれの床に投げつけた。


彼女好みの苺たっぷりなケーキは、真っ赤なソースがよく映えた。

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