第12話

【第12章~7番地のカフェ】

季節は秋を迎えていた。彩り始めた街路樹の中を、私は歩いていた。六本木にある喫茶店に私は向っていた。8月中旬、友人の関取・J・真雄から都合のいい日に会えないかと聞かれて以来、なかなか都合がつかずに2か月もすぎてしまった。関取は急ぎの用事ではないのでいつでも構わないといっていたので、その言葉に私は甘えてしまっていた。


六本木の交差点付近の入り組んだ路地の中にある喫茶店「Antique Cafeteria」の中に到着して、中に入ると、店員が2人用の席に案内してくれた。関取が到着する時間まで、まだ若干余裕があったので、私はしばらく席で待つことにした。店内は、古風な雰囲気が漂っていて、古いフランス映画に出てきそうな内装だった。窓はステンドグラスのような彩色が施され、窓越しに日光が射し込んでいて、店内は暖かな光に包まれていた。床には小さなタイルが敷き詰められ、西洋漆喰の壁には風景画が飾られていた。


私が座っている向かい側の席には、若い女性がタバコを吸いながらパソコンを操作していた。彼女が吐き出す煙は、吹き抜けの天井に立ち上っていき、気ままに漂っていた。その煙は、私の憂鬱に似ていた。非正規社員の未来は煙に閉ざされている。そんな気がした。街路樹を揺らすそよ風が、この煙を払ってくれればいいのにと私は思った。


しばらく本を読みながら待っていると、関取が到着した。


関取は「お待たせ、待たせたかい?」と言いながら席に座った。


私は「ちょうど5分程前に到着したよ。この店内は落ち着いていて、喧噪にまみれた都会の中の隠れ家のような所だね。」と言った。


私は「なかなか時間が取れずに申し訳なかったね。会社の正社員が8月から9月は夏休みを取る分、俺たち契約社員の負担が増えるんだよ。正社員様は福利厚生が俺たちとは違うからね。」と言い訳をした。


関取は「何かそういうの嫌だよな。それって都合の悪いこととかを全部、非正規社員に押し付けてるみたいで。ところで、最近は彼女とはどうなんだ?」と言った。




私は「実はさ、今月の前半に彼女とディズニーランドに行ったんだよね。俺が10月に誕生日だから、当日は一緒にすごすことになって、彼女が有給を使ったくれたんだよね。平日だったから、すごく空いてたよ。」と答えた。



関取は「自分の誕生日に彼女とディズニーランドですごすなんて最高じゃないか。そんな楽しいことをしておいて、何でそんな浮かない顔してるんだよ。」と言った。


私は「ディズニーランドって、夜にキャラクターたちがパレードをするじゃん。実は、彼女と一緒にパレードを見終わった後に、結婚してみたいか聞かれたんだよね。」と答えた。


関取は「ああ、なるほどね。そりゃ困るよな。結婚するってことは雇用形態や収入がバレちゃうもんな。それで、お前は何て返事したの?」と聞いてきた。


「『いつかは結婚したいと思っているけど、数年付き合って、そこから結婚を前提にしていきたいから、今すぐにではないかな』みないに返事したよ」と私は言った。


その時、希が不貞腐れた表情をしていたことに私は気づいたので、私はそれを関取に伝えた。


関取は「彼女はお前と本気で結婚を考えていたんじゃないのか?」と言った。



私は「そうだと思うよ。彼女は以前、職場の先輩の家でパーティーをした時の写真を俺に見せてくれたんだけど、その先輩の家が南青山のタワーマンションで、すごいお洒落な家だったよ。何か本当にセレブって感じ。まあ、その旦那さんが医者だからね。帝国証券は総合職の給料は高額だけど、一般職の給料は正直言って俺とそんな変わらないからな。そのパーティーの話をしてる時、彼女はすごく楽しそうだったぜ。」と言った。


関取は「おい、それってさ、お前の彼女は確実にそのセレブみたいな結婚生活を夢見てるぜ。俺も知り合いが、前に合コンで帝国証券の一般職の女性と知り合って何回か食事してたけど、何か上昇志向が強くて、男をすごく値踏みしてくる感じだったらしいよ。まあ、お前の彼女がそういう人かまでは分からないけど。」と言った。



私は「その可能性はあるな。ところで、関取は最近はどうなんだ?」と言った。


関取は「俺は、会社を辞めて、実家の会社を手伝おうかと考えている。」と言った。


関取の実家は岩手県にあり、彼の祖父が創立した製造業の会社を現在は父親が社長として引き継いでいる。「関取電器産業株式会社」という会社で、ワイヤーハーネスの製造と販売を主な事業として営んでいる。ワイヤーハーネスとは電気製品に使用されている部品で、切断機で電線を切断し、特殊なアプリケーターを使用して端子を圧着して製造する。さらに、物によってはハウジングやチューブを被せることもある。関取電器産業で製造されているワイヤーハーネスは主にエアコン配線用や産業機械用のリード線などに用いられている。設立されたのは1960年代。当時の日本は高度経済成長期で、業績も右肩上がりだった。しかし、1990年代以降、国内の主な産業が製造業からサービス業へと転換していく中で、工場は中国や東南アジアへと移転していき、産業の空洞化が進展していった。人件費が相対的に安い国で製造された部品が国内へと流入して、熾烈な価格競争が行われる中で、関取電器産業でも非正規という働き方がブルーカラー労働者を中心に広がっていった。従業員の人件費を抑えることにより、価格競争を生き残ろうとしたのである。

 ところが、2008年にリーマンショックの影響を受けて、ブルーカラー労働者の全員をパート労働者に切り替え、一部の従業員の解雇を行わなければならない状況まで業績が悪化した。これにより、ブルーカラー労働者のほとんどが管理職を除き、家庭を持ち子育てをする女性か、定年退職後も働いている女性に切り替わった。このように従業員の人件費削減を徹底することで、業績は回復するかに見えたが、2011年に東日本大震災が東北地方を襲った。津波の被害により、岩手県の沿岸部は壊滅的な打撃を受け、関取電器産業と取引のあった会社の多くが被害を受けた。

 現在、関取電器産業は事業を縮小しながらも存続しているが、震災で受けた苦境から立ち直り切れていないのだ。関取は、この事態をどうにかしたいと考え、営業職で培ったスキルで実家の会社を救いたいと考えているのだ。そのため、来年までには今の会社を辞めて、実家に帰ろうと考えているのだという。


衰退していく国内の製造業、非情とも言える時代の流れ、追い打ちをかけるように襲い掛かる自然災害、私たち人間はその中で翻弄されながら生きていくしかないのか・・・・・


一方で、都心の高層マンションに住み、巨万の富を築き上げる富裕層がいることも確かなのだ。


関取やその家族、従業員は必死で会社を守ろうともがき苦しんでいる。そんな人たちが報われる日が来てほしいと私は思わずにはいられなかった。


私は「でも、俺たち、頑張ってるよな?」と言った。


関取は「ああ、頑張ってるよ。でも、帝国証券の一般職の女性から見たら、俺たちってさ、相手にする価値もないんじゃないかな。」と答えた。


私は「何か、それ悲しいよな。そういう女性に限って『私は恋人や結婚相手を中身で選びます』なんてテンプレみたいな決まり文句を言うんだよな。」と言った。


私たちは2人で笑い声を上げた。


「本当だよ、そんなことを言う奴に限って男を経済力でしか見てないよな。でも、親の苦労ってさ、学生時代には全然分からなかったけど、社会人になってみると分かるよな。だって、俺、奨学金でパチンコとかやってたじゃん。あれ、実家の会社の状況がどんな感じだったかとか当時は全く考えてなかったんだよな。今、思うと本当に申し訳ないもん。」と関取は言った。


「でも、今はそれが分かって、実家をどうにかしようと考えているんだから、それでいいんじゃないの?たまには東京に来いよ。一緒に飲みに行こうぜ。俺、パラサイトシングルだからさ、その時は俺がおごるぜ。」と、私は冗談交じりに言った。


その後、私たちは喫茶店を出て、近くにある串カツ屋へ行き、終電まで話していた。




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