第10話

私は電車の窓から外を眺めていた。今、電車は新宿駅周辺を通過している。鬱蒼とした木々が覆い繁る熱帯雨林のように高層ビルが立ち並んでいる。早川希と待ち合わせをしている鎌倉まではあと1時間ほどだった。私は大学時代、仏教史を専攻していたので、興味本位で鎌倉の寺院を見に行きたいと考えて、先日、希を誘ったのである。


空一面を灰色の雲が覆っている。7月中旬、関東はまだ梅雨の季節だった。


私は窓から見えるこの空と窓から入ってくる都会の空気から堕落した人間の本能的な腐敗臭を感じた。都会は人間の欲望に満ちているからだ。


人間の世界を含めた自然界の摂理が弱肉強食であるなら、あらゆる人間は愚かな妄執によって支配されている。なぜ、あらゆる人間は愚かなのか?この世界は全て「空」であるのに多くの人間はそれを理解できていないからだ。弱肉強食の生存競争という闘争本能はあらゆる人間の行動原理になっている。仏教の世界観では、全ては「空」であり、物事は全て人間の識による感覚から生じているとしている。これは唯識論と呼ばれているが、人間は自分の物とはなり得ない物に執着したり、嫉妬したりすることで、煩悩により雁字搦めになっているとされている。物は結局、物であり、人間の精神が肉体を離れてしまい、死後の世界へ旅立てば、それはその人間の物ではありえない。だから、結局、自分の物というのは精神以外は存在しえない。


自分の物でもないお金や地位、権力などに執着する愚かな人間が都会には掃いて捨てるほど満ち溢れている。十一面観音像の裏側にある顔はせせら笑いのような表情を見せている。これは煩悩によって支配さるている人間を嘲笑っているのだという説もある。


そして、仏教の目的は煩悩を断ち切り、輪廻転生の苦しみから人間を解放するところにある。仏教の開祖である釈迦が生きていた時代も人間は煩悩に悩まされてきた。そして、それは今も変わらない。


だとすると、現代社会の多くの人間は釈迦が生きていた時代と本質的には何も変わっていないのではないか。


金、地位、権力、名誉…これらを手に入れようと人間は思い悩む。手に入らないと、ある者は怒り、悲しみ、嘆く。


男は社会的地位を確立して、若くて美人な女性と結婚したいと考えるだろう。女は社会的地位のある素敵な男性と結婚したいと考えるだろう。


多くの女性が社会的地位のある男を結婚相手にしたいと考えることも、多くの男性が若い美人な女性を結婚相手にしたいと考えることも、良い子孫を残したいという人間の本能的な闘争本能なのではないか。そして、人間は理想とする恋人や結婚相手が見つからないと思い悩む。


結婚相手も子孫も、全て自分自身の物ではありえない。それにも関わらず人間はそれに執着してやまないのである。


私は、そんなことを鎌倉へ向かう電車の中で考えていた。私は、これから交際している早川希と鎌倉散策をする予定だった。彼女も煩悩によって雁字搦めにされた衆生なのであろうか?


LINEに希からのメッセージが来ていた。


「11時頃に到着しそうよ。着いたら駅の改札機の前に行くわね。早く会いたいな。」


私もそれぐらいの時間に到着すると返信した。


日本の梅雨は湿気がひどく、気温が高くなくても汗ばむ。私は鎌倉駅に到着すると制汗剤を自分自身に振りかけた。駅構内は蒸し暑さのせいか脂汗を額に浮かべた人達が行き交っていた。


3分ほど改札機の前で待機していると希がやってきた。


希は「お待たせ!最初、出口が分からなくて少し迷っちゃったわ。手繋ぎたいな」と言った。


希は笑顔で手を差し出したので、私は彼女の手を握った。


付き合い始めたばかりなのに、なぜか自然に手を繋いだまま歩くことができた。ぎこちなさは感じられなかった。


小町通りを歩きながら希は「ねえ、何か気づいた?」と私に聞いてきた。


私は「何かあったの?」と言った。


希は「酷いわ、私、昨日、髪の毛を少し染めてきたのに。でも、黒に近い色だから気づきにくいよね。」と言った。


私は「ああ、ごめんごめん。確かに色が少し変わったね。すごく似合っているよ?」と言って、その場を取り繕った。


鶴岡八幡宮へ向かう途中で、私たちは昼食のため洋食屋でカレーを食べた。


昼食を食べながら、希は会社で受けなければならない資格試験の話をしていた。私は株や証券などの金融商品の知識はあまり理解できなかったが、どうやら筆記試験で覚えなくてはならないことが、たくさんあるようだった。


希は、「私は、中学受験で慶應義塾を受けて以来、受験の経験がないの。だから、暗記しなきゃいけない科目は苦手で。でも逆に小論文やレポートみたいなのは得意なの。」と言った。


私は「確かに、大学受験は日本史みたいに暗記科目があるからね。俺は日本史が得意だったけど、国語は苦手だったな。」と言った。


私は学生時代、読書の習慣がなく、文章読解が苦手で、国語の成績が悪かった。しかし、格差社会に興味を持ち、個人的に研究するようになってからは、頻繁に読書するようになった。


希は「でも、偏差値の低い大学出身の人は大学受験を経験していても、あまり勉強をする習慣はないみたいで、こういう試験では苦戦しているみたいよ」と言った。


私はこの発言に不快感を覚えた。彼女に悪気はないのだろう。しかし、上からの物言いで「偏差値の低い大学の人は苦戦している」という言い方に、ある種のエリート気質を感じた。大学院を出ている私自身も人から見たらエリートかもしれない。しかし、非正規社員となってしまった今では非エリートの人たちの気持ちも理解できる。だから、エリートの立場から無邪気に人を見下すような発言は一瞬だけ疑問に思った。


とはいえ、付き合い始めたばかりでもあったので、その時は大して気にもとめなかった。


昼食を終えると、私たちは鶴岡八幡宮に向かった。鶴岡八幡宮は、平安時代末期、前九年の役の後、源頼義が石清水八幡宮を鎌倉に勧請したことに始まる。その後、源氏の守護神として信仰されてきた。


現在では、鎌倉を代表する観光地になっていて、世界中から観光客が訪れている。


私は史学科出身だったが、鶴岡八幡宮に来るのは初めてで、教科書でしか見たことのない景色を見て、正直、感動した。


写真を撮影したり、参拝したりした後、私たちは北鎌倉に向かった。


あじさい寺として知られている明月院に行くためである。


明月院はJR横須賀線の北鎌倉駅から徒歩10分ほどの距離である。周囲は木々に囲まれ、観光客が多く行き交う鎌倉駅周辺とは雰囲気が異なり落ち着きがあった。


周辺には円覚寺や建長寺などの鎌倉五山の禅寺があり、人気の観光地であった。


明月院は臨済宗建長寺派に属していて、平安時代末期に首藤刑部太夫・山ノ内経俊が平治の乱で戦死した父親の菩提供養として創建した明月庵に由来する。


6月になると境内は紫陽花に彩られ、観光客で埋め尽くされるというが、この日は若干シーズンを過ぎていたため、観光客の姿はまばらだった。


希は「小町通りは、あんなに人がたくさんいたのに、ここは空いてるわね。紫陽花の季節が過ぎてしまったからかしら。でも落ち着きのある素敵な場所ね。」と言った。


シーズンが少し過ぎていたとはいえ、境内には紫陽花の花がまだ若干、咲いていた。所々に咲いている紫陽花の花は、少し離れた場所から眺めると、緑色の世界にポツんと佇む青い手鞠のように見えた。


希が紫陽花の花を近くで見ようと近づいて行った。その光景は、一面に覆い繁る緑の世界の中に迷い込んだ子どもが、転がって行った青い手鞠を拾うために必死になって向かっていく様子に似ていた。


希は「ねえ、写真を撮ってよ。」と言った。


希は紫陽花の花の横に立った。私は笑顔でカメラに顔を向ける彼女の写真を撮った。


私たちは、山門を通りすぎ、本堂へ向かった。


本堂には、本尊の聖観音菩薩像が祀られていて、丸く形どられた月のような円窓からは後庭を垣間見ることができる。後庭は花菖蒲が植えられていて、6月と12月に公開される他は非公開となっている。


本堂の正面にみえる枯山水庭園は整然とした佇まいで、何組かの外国人観光客が写真を撮影していた。


私は、周囲を眺めると本堂の向かって左の方角に六地蔵を発見した。


私は、ハッとした。


「希は、恐らく、私が非正規社員と知ったら受け入れてくれないだろう。それは他の多くの女性も同じではないか?だとしたら、私は生涯未婚で、孤独死して、無縁仏となるだろう。希に嘘を付いて付き合っているという罪業で地獄に落ちるかもしれない。」


私は六地蔵を見た瞬間にそのように感じた。


地蔵菩薩は釈迦入滅から弥勒菩薩が現れるまでの間、天道、人間道、修羅道、餓鬼道、畜生道、地獄道の六道を行き来して、あまねく衆生を救済する仏である。


特に、12世紀に成立した今昔物語集には地獄道へ落ちた罪深い人間を救済する姿は印象的である。


仏教の世界で愚痴、妄言、怒りは三毒と言われているが、私はまちがいなく妄言という三毒の罪を侵している。


いや、それだけでなく、格差社会への怒り、愚痴を、この「非正規社員という身分を隠して高スペック街コンに参加したら彼女ができるか」という実験を通して、侵してしまっている。あらゆる人間は煩悩により支配されている愚かな存在としながらも、私自身がその愚かな人間そのものだったのだ。私は死後、六道のいずれに行くのだろうか。


修羅道は自分の正直な思いとは裏腹な結果を招いてしまう者が行く場所で、畜生道は自分が何のために人間として生まれてきたのかまるで分かっていない者が行く場所とされている。そして、地獄道は最も罪深い者が行く場所だ。私は孤独死の果てに地獄道へ落ちるのだろうか。


しかし、地蔵菩薩は地獄道へ行った者も可能な限り救済してくれるという。


私は、心の中で六地蔵に手を合わせて、自分の罪を悔いた。そして、格差社会を乗り越え、弱者であっても、生きやすい社会が実現されることも同時に祈った。


いじめ、孤独死、自殺…人間の社会は今も昔も苦悩に満ちている。私より大変な思いをしている人はたくさんいる。そういう人まで救われますように…そう願った。


明月院を出るころには、夕方になっていた。


私たちは、北鎌倉駅の近くにあるカフェでかき氷を食べた。


スーパーなどで買うかき氷は、ザクザクした食感だが、ここで食べるかき氷はフワフワした食感だった。


他愛ない話をしながらも、私は上の空だった。


希は、まだ何も知らないのだ。私が非正規社員だということも。付き合い始めたばかりの頃というのは、相手をもっと知りたいという思いが強く、その分、胸のトキメキは最も高い時期にある。


希は、私と一緒にいる時間、胸の高鳴りを覚えているのだろうか?


一方の私は、罪悪感に苛まれている。


しかし、希の表情からは、そんなことは少しも感じられなかった。


あるいは、罪悪感に苛まれている私の表情を、胸が高鳴り、緊張しているものと誤解をしているのかもしれなかった。


カフェを出ると、あたりは暗くなってきていた。希と手を繋いで北鎌倉駅へ向かう道を歩いていると、後ろから大きなトラックが走ってきた。私は希をかばうように道路側から路肩側へエスコートした。


トラックは轟音を立てながら、走り去っていった。


希は「ありがとう。」と言った。


私は希と少し見つめ合いなが、彼女を抱きしめて接吻した。


そして、強く彼女を抱きしめた。


いつかは終わりが来る関係だった。しかし、抱きしめた希からは胸の高鳴りが伝わってきた。


私たちは、次はどこに行くかを話ながら、帰路についた。

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