#22
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ロエルは、我々で、ホメロを雇うと言った。それは即ち国でなしに、群青の町の人々の総意として、ホメロを中央のエネルギー技師に据えるということだ。
「……建国の祖、父帝が王法を作った時、その多くを海の向こうの学問の国、掌天の国の法に多く拠った。だけど、中央集権的な制度を確立したかった父帝は、ある項を意図的に省いた」
「……地方自治法?」
その説明を聞いたトラーネが、目を見開いた。ロエルは深く頷いて、
「そうだ。自治法を成立させて、長を選ぶ責任を国から町民に移譲させればいい。王から与えられた人物ならば従う他ないが、人々で選んだのであれば、クラムのような下手な人物が成り上がってもすぐに引きずり下ろせる」
「それに、私達の選んだ長を中心に町が運営されていけば、それだけ国の影響力は薄くなっていく……つまり、群青の町が独立したひとつの自治体になるっていうこと」
「町の住民が蜃体師に共感を抱いたのは、国や雇用者に苦しめられる自分達の立場と重ね合わせたからだが、その抑圧の片方はある程度解消される。国でなしに、自分達で町の自治権を掴み取ったという誇りを持てるからな」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ……」
次々に展望を口にするロエルとトラーネに、ミュロが両腕を伸ばして待ったをかけた。
「現帝がそれを受け入れるかどうかはともかくとしてさ、それでどうして町の人たちがホメロさんを襲わないことになるのさ?」
「自治法が擁立されれば、群青の町が国の支配から外れることで、強制的に官吏である町長との独占契約が破棄され、師匠は実質的に解雇される。結果的に、師匠を貶めようと汲々としていた町全体の本意は遂げられる」
ロエルの説明をトラーネが引き継いで、
「後に町民の選んだ長が、ホメロさんを始めとした蜃体師と公正な契約を交わして、正しく運営することを約束できれば……、今回のような過ちはもう起こらないようにできるよね」
次々と言い寄せられる解説に、ミュロは余裕なさそうに目を泳がせていたが、やがて無理くり合点がいったような表情をして、
「わかった、つまり自治法……が、成り立てば、全部スッキリ解決するってわけだね?」
「……そのはずだ」
「す、すごいじゃないか! それで……その法律は、どうやって成立させるの……?」
ミュロの恐る恐るといった質問に、一同は沈黙した。
現帝は王法の象徴として、揺籃の国に君臨している。つまり、王法の改正は現帝に直接提起する必要があり、そして当の本人は現在、町の西方に軍を構えているところである。
「確かに、今は丁度良い状況ではあるけどさ……現帝からしてみたら、群青の町を手放すってことだよ? そんな交渉を受けてくれるとは思えないんだ……けど……」
ミュロは自信なさそうに言うが、確かにその通り。ロエルはそのことは百も承知だった。負け戦の終盤で打つ大博打という側面が強い。
やもすると、悲観に傾きかけた場だったが、これに答えたのはホメロだった。
「保守的な先帝時代ならともかく、今は先進的な現帝の治世です。自治法を改革の一要素として受け入れてくれる可能性は、少なくともゼロではないと思います」
「つまり、現帝を……信じようってこと、ですか?」
ミュロは怯えたような視線で、ホメロに問う。ホメロは即答した。
「はい。逼塞した状況で身動きを取るには、何かを信じなくてはいけませんから」
「……そうですよね、これ以外にできること、ないですもんね」
なおも不安そうだったが、ミュロは覚悟を決めたようだった。
「まぁ……俺も、現帝に掛け合うほかないだろうと思う。でも、交渉以前の問題がある」
と、あくまで平静なアルガは眉をひそめてロエルを見た。
「草稿はどうするんだ。提案するなら、法の原案が必要になるだろう。時間の限られている中、資料もなしに、どうやって揺籃の国に適合する法文を書くんだ? まさか、ここにモデルとなった掌天の国の自治法を丸暗記してるなんていう、都合の良い奴はいないだろ?」
「いや……それが、いちゃうんですよ……」
「え……」
その、まさかのまさかだ。ロエルですら笑ってしまうくらい都合の良いことに、法律を学問の初歩と思い込んで掌天の国の法文を暗誦してしまう、締め出された学者がここにいるのだ。
ロエルの逸した視線の先には――自分の顔を指差すトラーネがいた。
「私……だよね」
「……は?」
アルガは最大限の間の抜けた表情を見せてくれた。
8
「これは誰がしたためたものだ」
ふいに、現帝は訊ねた。ロエルにはその問いが来るまでの間が、途方もなく長く感じられた。背中に冷や汗が伝う。
「我々です」
「……そうか」
現帝は小さく言って、紙をめくる。
法文は匿名に決まっていた。認めたのはトラーネだが、蔚藍のトラーネという名は揺籃の国で得た偽名だし、そもそも彼女は不法入国者である。といって、他の者の名前を借りるのも、変な感じがする。
だから、我々、と、ベールを被せた。それに、あながち間違いではない。ロエルが発案し、紙はミュロが周囲の家から集めてきたものを寄せ集め、ペンはアルガの持つ高級品を使い、トラーネが本文を書き、王法に馴染みあるホメロが
文句なしに我々の創作物である。
ロエルはそのことに支えられながら、その場に立ち続けた。冷や汗が皮膚から染み出し、玉となり、背筋を撫でていく。眩暈がするほど、長い時間が経ったように感じた。
やがて――現帝が不意に笑い始めた。高らかな哄笑だった。
「ははははははは……、もし祖父が地方自治法を書いていたとしたら、このような文面だったに違いない……そして、書き上げた後になって、完膚無きまでのビリビリに破き棄てていただろうな」
それは最高級の賞賛とも罵倒とも受け取れた。ロエルは慎重に訊ねる。
「……その孫である現帝も、それを破かれますか」
「破くものか。使う」
現帝は短く言い置くと、荒く音を立てて机に法文を叩きつけた。あまりにも呆気ない承認に、ロエルはからかわれているのかと思うほどだった。
「あ、ありがとうございます。ですが、こうもあっさりと、本当に良いのですか……」
「クク、仮に同じような状況に父が立ち会ったとしたら、祖父と同じようにこの法文を散り散りに破っていたことだろう」
「……現帝だからこそ、受け入れられたと」
現帝は厳しく頷き、言った。
「現法を続投していけば必ず揺籃は滅びる。余はそう予見し、ちょうど新たな法の枠組みを構想していたのだ」
「……新たな法」
力強い断言に、ロエルはかろうじて平静を保った。
新たな法の構想。それは、祖父と父が造り、守ってきた揺籃の国を破壊し、作り直すという強い意志の表れだ。提出した自治法は改革の嚆矢となるどころか、王の腹案していた新法に取り込まれる形になる。
現帝は話を続ける。
「今回の件はいずれ起こると余は予見していた。何故なら、揺籃の国の王法は奥底に脆さを孕んでいるからだ」
「脆さ……ですか」
「揺籃の国王法の特徴である蜃体法、その基本原理は『蜃体を暴力の用に付してはならない』だ。これは子どもでも知っているな」
濫りな使用により国が傾くのを恐れた父帝が誂えた最大の枷。この原則を元に蜃体学校が作られ、蜃体技術の秘密化が徹底された。
「だが少し考えるだけでここには矛盾があるだろう……蜃体師につける標付、これには追跡機能がついていて、蜃体師が逃げ出してもすぐに特定できるようになっている。徹底した監視システムというわけだ――さて、これは暴力ではないのか?」
「……暴力?」
論理の飛躍を感じた。現帝はそんな反応など意に介した様子も見せず、
「蜃体師の身体を著しく拘束する用途に蜃体が付されているな。人を縄で縛り付ける行為は暴力だが、蜃体で縛り付ける行為は暴力ではないのか? 同じ理由で、蜃体学校は暴力的で野蛮な学校ではないか? 蜃体師を不当に下等の職と藐視するよう促す世の風潮は?」
「そ、そんなことを言ったら、この世の中は暴力でできていると解釈できるようになってしまうのではないですか?」
ロエルが思わず言うと、現帝は首を振った。
「屁理屈ではない。これはまさに解釈の話……法の解釈が暴力の範囲を規定するのだ。この世界では、蜃体の発する熱エネルギーを利用して人を殺すことは暴力にあたるが、蜃体師を蜃体で縛る行為は暴力として問われない。蜃体に携わるというだけで蔑まれることも暴力ではない。労働力として不当に扱うことも、云々」
ロエルの耳は静かに現帝の声を聞く。
「お陰で貧しく行き場のない人々が蜃体学校に詰め込まれ、揺籃の国の燃料として燃やされ、尚、国民は見て見ぬふりができる。王法は、基本原則のたった一文でそんな制度をデザインしてしまった。更に奇特なのは、蜃体を『神の賜り物』と公に宣言し、異教国の怒りを買った点だ」
「――外敵を作ることで、大っぴらに軍隊を保持できる、からですか」
「いや、もっと単純だ。経済を回す人の流れを作るためだ」
軍は基本東部の国境付近に駐屯し、攻撃があったら迎え撃てる体勢を常時整えている。するとそこへは、かかる物資や、任期交代の兵士、彼らの財布目当ての商隊がやってきて、循環する……。
「戦争は人も金もよく回す。侵略を防ぐためと重税を課す口実にもなり、難民が出ても蜃体学校に入って国の燃料になってくれればよし、彼らへの不満感情は風評が抑制してくれる……これまた、たった一文でこれだけの状況がデザインされるのだ。だが、致命的な欠陥があった。誰も想定できないような欠陥だ」
「欠陥……」
「蜃体の脅威を抑えつつ利用するためには、国は蜃体師を敢えて貶めなければならなかった。だが、まがりなりにも蜃体を基調に発展する国だから、蜃体師はそれなりに生かさなければならない。しかし、それが死んでも構わないになったらどうなるか。例えば、たった一人の蜃体師が全てのエネルギー産出を賄うから、君達は不要だ、という話になったら、どうなる」
「……」
その末路をロエルは一通り見てきたばかりだった。
仕事を続けなければ死んでしまう、という状況は裏を返せば、仕事を続けていれば生きていられる、ということだ。ところが、仕事を続けても死んでしまう、となったらどうか。仕事には何の意味もない、となったらどうか。
彼ら彼女らは、反抗する。反抗するしかない。
「その瞬間、内破を運命づけられていたのだ、この王法は」
王は厳かに言った。全てを見通す俊英な眼差しを持った余裕を以って。
ロエルはやもすると、その滔々とした語り口に呑まれて、何も言えなくなるところだった。
「だから、作り変える……と」
「飽き飽きではないかね。ままごとの戦争ごっこを続け、帳簿の数字を増やすことだけに齷齪とし、民を困窮させながら栄盛を吹聴する。そうして永らえた国の命に余は魅力を覚えない。故に……今回の擾乱を改革の糸口とするつもりだった」
「そこに我々の法案が都合良くやってきたと……」
「都合良く等とは思っていない……ぬしらにとって、この草稿を持ち込むことは大きな賭けだったのではないか? 余にとっては、町の争議がどのような終わり方をしたところで、興味はない。しかし、禍根を最小に押しとどめようとする、その努力、勇気に報いる気持ちも多分にあると……一応、言っておこう」
本物の気遣いか、政治的な手回しか。奇妙なことだが、この王の口から発せられると、そのどちらでもない、もっと大きな含みがあるような気がしてしまう。
しかし、現帝はもう既にこの手製の自治法を是としている。本意は達成されたのだ。
これは、もう自分の仕事は達成されたのか……と、ロエルが訝しみながらも、恐々と、安堵をしようとしたその時。
「ただし、この法案の施行には条件がある」
ぴしゃりと言いつけられて、背筋が改まった。
「それは……どのような」
「これはぬしらの矜持を保つため、と言う名目で提出されたな。だが、偶然にも、余も似たような矜持を背負わされている。わかるな」
それはミュロも指摘し、危惧していたことだった。
「はい……単純化してみれば、この法案の通過は、現帝の屈服と取られてもおかしくないでしょう」
「こんな大所帯でやってきて、自治権をまんまと認めてさっさと帰ったりしてみれば、王としての面子は立つまい。民も味をしめて我儘が通るものと思い込むだろう」
「法の成立には根拠が必要……ですが、このままでは民の暴動、暴力が、その根拠ということになってしまう、と」
「その通り……そして、それでは余の今後の改革に支障をきたすであろう。余の威厳はそのままに保たなければならない。成立の条件は、この法の成立の根源を暴力に求めないようにすることだ」
「……」
その要求のあまりの困難さを直感して、ロエルは押し黙った。
もとを質せば、父帝による揺籃の国建国だって、諸小国を武力で制圧して統一した結果に立っている。父帝の偉大さは、暴力に裏付けされていると言ってしまえるし、同じ論理で現行の王法も暴力に起源を持つと言ってしまうことができる。
ここでは、暴力という言葉の用法に危うさがあるようにも思える。だが、これは無限に拡大できてしまうような、だらしのない理屈ではなく――まさに現帝による解釈の問題なのだ。
現帝はこれを暴力と解釈、規定し、法の領域から排除しようとしている。
暴力で裏付けられた法を、非暴力に裏付けられた法に上書きしようとしている。
それが、現帝の目論む革命の本懐なのではない、か――。
その先鋒の大役を、現帝はあっさりとロエルに委ねた。不良に不良を重ねた不良蜃体師の自分に。
試されている。ここにこそ、自分の生きてきた意義が試されているのだ。
一人の人がその一生の内で何ができるのか、それは死ぬその最後の瞬間までわからない。
――ここまできて退けるわけがない。やるしかないだろう。
「わかりました。考えは……あります。それには、現帝の力添えが必要となりますが……」
「当然、協力しよう。実現の見込みがあるというのなら、な……」
現帝は品定めをするように、目を細めた。
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