#21

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 揺籃の三代目国王、現帝ヴァラント。

 祖父父帝の建国し、父先帝の保守したこの国を、切り崩し、革新していく風雲児。

 例えば、西岸地域に重商政策を打ち出し商人を優遇、数多の貴族の没落を促した。ミュロが実家を追い出された遠因は、現帝にあると言える。また、東部干戈地域に於ける軍備強化のために重ねた税制も国民の不満の種であり、それが今回の争議をあらぬ方向へ傾けるエネルギーに繋がったのだろう。

 とはいえ、群青は揺籃の国の重要な機関部。そこに問題が出たとなれば直ちに修繕に向かう、統治者として申し分のない行動である。

 今、現帝は群青の町の西部に野営しており、虎視眈々とこちらを睨んでいる状態らしい。トラーネは不安さの滲んだ口調で言う。

「今のところ、群衆は兵団の威圧に驚いて睨み合ってるだけだけど、そのうち打倒現帝への勢いが高まってみんな熱狂していくよ。そういう空気が蟠ってる。そうなったら……現帝は鎮圧の断行に絶好の口実を手に入れるよね」

 今の群青は煮沸した鍋のようなものだ。人は群れると、その群れの大きさを自らの輪郭のそれと錯覚するが、非日常的な高揚にこの錯覚は振幅させられて、やがて実態以上の想像へと自己拡張していく。

 つまり、「損をさせられている者」同士の共同体感情は、やがてある種の万能感を生むに違いない、ということだ。それは現帝に対して反旗を翻すという、勇気、或いは無謀に民衆を奮い立たせるだろう。

「王直属の兵団は、烏合の衆で太刀打ちできるほど甘くはない。群青の地形を利用すれば、百人隊一つで町の暴動など簡単に制圧できる」

 アルガの冷静な指摘は、この町の行く末を予見させた。

 ロエルはトラーネを見て、

「師匠の暗殺計画はまだ生きてるのか」

「うん。地下エルデにとっては現帝の出現なんてどうでもいいことだから」

 トラーネの聞き及んだ、地下エルデの計画は単純なものだった。

 現在、行方をくらませているホメロをおびき寄せるには、心臓クールを破壊するという勧告をするだけで良い。例の巨大なガラスの円筒さえ破壊してしまえば、群青の町のエネルギー事情は窮地に陥る。それを阻止するために、ホメロは心臓クールに姿を見せなければならない。

 そうしたら、集う群衆を金で煽ってなだれ込み、そのどさくさに紛れて命を奪う、と。

「ホメロの暗殺が現帝の動く切欠になったら……最悪だな」

 アルガが強張った面持ちでホメロを見据えた。心臓クールを人質にとられると聞いたホメロも口を固く結んでいる。

 ホメロの死は大衆の望むことだ。鬼の首を取った彼ら彼女らは、勝利に乗じて現帝の軍をも打ち破ろうとするだろう。それを鎮圧されてしまえば、町はこれだけの騒動を引き起こしておきながら、たた自らの心臓を握りつぶしただけという結果だけが残る。

 しかし……と、ロエルは歯噛みする。

 最悪のシナリオは回避するよう努力するとしても、この騒擾がどこに着陸するべきなのかが、全く見えなかった。

 例えば、ホメロと心臓クールを守り抜き、迫害してくる群衆を王の放った尖兵に排除してもらう。それで良いのかもしれないが、けれども、その先のこの町の人々の暮らしはどうなる? 現帝は同じようなことが起きないよう、群青の住民に対して圧力を強くするだろうし、ホメロも町を支えるべく居残り続けなければならない。ホメロはその身に大衆の恨み辛みを受け続けることになるだろう。

 それでは、何も変わらないではないか。

 でも、それなら他、どこへ辿り着くのが良いのだろうか。どう解決させたら良いのだろうか。最早、誰にもわからないのだろう。現帝すら、知らないのだろう。わからないから、壊すしかない。押し潰すしかない。殺すしかない。それが楽だ。

 そして、この先に待ち受ける破壊と凋落こそが、蜃体師を含めた、全ての人々の敗北の代償なのではないか。

 或いはこの先に訪れる、得体の知れない暗黒の時代の始まりなのではないか。

 ロエルの心の内奥に、忸怩たる思いが沸々とその頭をもたげてくる。

 自分は特権的な立ち位置にいられるから、大蜃体師として重用されるから、この恥辱を免れる、と考えることは嫌だった。それこそ恥ずべきことだった。

 この事件を通り過ぎて、我々の段階もある過程を通り過ぎなくてはいけないのじゃないか

 つまり……

「師匠と心臓クールを守りながら、現帝のこれ以上の圧政を止める」

 ロエルが試みに言うと、アルガが机の表面を小指で叩き、

「ふん、本気でそうしたいというなら、もう現帝に直談判するしかないだろう。当初、町長に向けた出したはずの要求を、現帝が受け入れれば丸く収まる話だ」

「いやー、どうだろう……」

 トラーネが難しい顔をする。

「そもそもの話、これは蜃体師の話だったんでしょ? 町長が怠慢して、全部ホメロさんに任せときゃいいやってなって、その軋轢が蜃体師を怒らせて争議に発展した。でも、普通の人たちはそれに変な風に共感して、自分のことのように怒り出して今に至ってる。今更、町長とか現帝がごめんなさい、って謝っても、その先、ホメロさんが心臓クールに君臨する限り、憎しみはなくならないんじゃないかな」

 もはや怒りの主体は蜃体師だけではなくなってきているし、彼ら彼女らの激憤し、怒りをぶつける国の象徴も、町長クラムからホメロへとすり替わっている。何故なら、国に派遣されてきた町長が独断で独占して雇用契約を結んだからであり、町長の次に群青から出る甘い汁を啜っているように見えるからだ(それはとんでもない大間違いなのだが)。

 トラーネの話を受けてロエルがそこまで考えた時――ロエルの脳裏に、何か到来の予感があった。

「なら……師匠の雇い主を変えれば良い話なんじゃないのか。国から任命された町長、じゃなくなれば、人々が師匠を打倒する意味がなくなる」

 ホメロは目を見開いて、ロエルのことを見やる。

「……誰に、ですか?」

「それは」

 ロエルは言った。

「我々です」


  7(Skip 6)


 日が傾いでいた。

 現帝軍による急ごしらえの拠点には、組織として特有の緊張感には満ちていたが、表面的にはある種の気楽さが感じられた。所詮は市民の暴動、こちら側の誰が死ぬというわけでもないだろう、とでも言うような。かといって弛緩しているわけでもない。ある意味で、この事態は内紛とも言えるものなのだから。

 ロエルはデグマを返した状態――要は親光子状態で、群青の西部に築かれた野営地を歩いていた。

 時間の流れが遅いとはいっても、それはロエルの体感でのこと。止まっていると思えるほどに、究極に遅滞した人と人の間にも気分や感情の交流は存在し、むしろ通常の時間感覚よりも濃く感じられる。それぞれの身体から流れ出す精神的な徴候の粘度が増している、というか。

 これが干戈地域であったら、こんな悠長に考えている余裕などないだろうな、と思いながら、空間が伸縮しないよう、少しずつ歩を進めて行く。

 ロエルは現帝への直談判という、泥臭い役目を負っていた。正式な手続きで現帝に謁見する時間的な余裕が、ロエル達にはなかったからだ。群衆の匙加減に、残された時間は前後する。

 分の悪い賭けかも知れない。しかし、現帝は群青の町を支える大蜃体師ホメロのを知っているなら、その第二号となる予定のロエルの存在も知っているはず。堅強なはずの陣営を易々抜けてくる存在が突然目の前に現れたら、その器を見定めようとするのではないか。

 ロエル一人だけなら、時間はいくらでもあった。狭くはない敷地を歩き回り、あちこちの天幕を覗き込んでいく。

 現帝の居場所は仮設の長屋で、陣地の中央辺りに設けられていた。王直属の軍隊で王がいる部屋ということは、そこは総司令部と言うわけだ。扉の隙間から漏れる光に乗じてか細い筋になり、忍び込む。

 入ってすぐの場所は会議室のようで、大きな卓が設けられており、一人の軍人の男が群青の地図を見つめていた。それを跨いだ先に厳かな装飾の扉があって、そこに現帝が詰めている。

 ロエルは少し考えてから、一人いるその軍人の前で、ひっくり返した感覚を元に戻した。

「……すみません、少しよろしいですか」

「! ……何だ、貴様は」

 軍人はびくりと身を震わせ、顔だけこちらに向けて問うた。

「詳しい話は後に……今は、現帝に取り次いで頂けませんか。私は、茫洋のロエルと申します。雋永のホメロの弟子です。名を王に告げてもらえれば、通りがいいかと」

「……王の密使か?」

「そんなところかも知れません」

 ロエルはとりあえず頷いておく。軍人は、湧いたように現れた侵入者に対し警戒の面持ちを崩すことなく、現帝のいる間に入っていった。

 デグマが群青の町の地図の上を歩きながら、

『クッションを挟んだのか』

「突然、虚空から湧くのも変かと思ったんだが」

『お前の名前に意味がなければ、応援を呼ばれるんじゃないか』

「その時は現帝だけ攫ってどこかへ行くさ」

 やがて、軍人がしかつめらしい顔をして出てくる。

「……入れ、とのことだ」

「ありがとうございます」

 恭しく礼を告げて、ロエルは軍人とすれ違い、王の間に入った。

「失礼します」

 頭を下げつつ入室し、顔を上げて真っ先に目についたのは、山とある本だった。野営地にふさわしからぬ大きな本棚、それにすら入りきらず、床にまで積まれている。およそ、戦のために設けられた陣地とは思えないような光景だった。

 現帝は椅子に深く腰を下ろし、机に頬杖をついて本を読んでいる。ロエルの声を聞き、視線だけでこちらを見やる。大柄な体躯で、身長は座っている状態でも立っているロエルより少し低い程度だ。長く伸ばした髪と若い眼光が、どこか風雲児めいた印象を与える。

戎狄じゅうてきの国の詩集だ」

「……戎狄の国、異教国の向こう側の国、ですか」

「その通りだ。この国で、どれほどの民がその名と位置、その言語を知っているかな」

 現帝は恐ろしく低い、響くような声で話す。ロエルが立ち竦んでいると、本をぱたりと閉じて机に投げ出し、居住まいを正して口を開いた。

「茫洋のロエル、か。ぬしは不良に不良を重ねた蜃体師と聞き及んでいるが」

「はい……ですが、此度、ようやく蜃体の本懐を発揮することができました」

「それを存分に使って余の前に現れたと……用向きは何だ」

「……群青の町を代表して、交渉に」

 代表など、できることなら口にしたくないところだが、ここはそう言っておかなくてはならない。

「あの町に、代表を寄越して交渉するだけの理知が残っているのか」

 現帝は見透かすように言う。

「余としては、ぬしらが余らの軍勢に驚き竦み、下らない抗議を自ずからやめてくれればそれでいいのだが」

「その場合、被害は最小で済みますが、その後の制裁は容赦されないでしょう」

「制裁は役人が勝手にするだろう……余に嗜虐趣味はないのでな」

 煙を巻くような物言いの、その真意は読み切れない。

「現帝にとってはそうでしょうけども、我々にとっては重要な問題です。なので、先だって我々は不当な弾圧をこれ以上受けぬよう、一つの案を提出します。民衆の暴動を抑えつつ……我々の矜持を守るための要請です」

「……どういうつもりだ」

 現帝は隙のない眼差しで、ロエルを見据えた。

もはや、ここまで来てしまった、という感懐で、ロエルは懐に忍ばせていた紙束を差し出し、言った。

「王法を改正して頂きたいのです。これが、我々の準備した草案です」

「……」

 瞬間、王の表情に凄みが帯び、ロエルの差し出した紙束を受け取る。それから、食い入るようにその文面に目を走らせていった。

 想像以上の食いつきだったが――それがこの手を離れた以上、ロエルにはもう祈ることしかできなかった。

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