第9話 濡れた抱擁
里子のアドバイスで花衣が、
「建物に火事の危険はありませんので」
と客を落ち着かせ、しかしながらショーは中止にし、お客さんには係員の誘導で退出してもらうことになった。
観客の多くの女子から茉央の状態を心配する質問が上がり、里子は、
「今、応急処置をして、間もなく救急車が来るはずです。心配ですが、専門家にお任せしましょう」
と答えた。多少嘘が混じっているが、ファンの子たちを納得させる為に仕方がない。
そこへ、芙蓉が舞台袖に帰ってきた。里子はたまらず駆け寄って、訊いた。
「二人はどうしたの? 誰がお世話してるの?」
「宇賀神さんに任せてきました。彼女が上手くやるはずです」
「妙子が? 上手くやるって、どういうこと?」
芙蓉は自分の言ってることに確信があるようにまっすぐ里子を見つめていたが、里子はその視線にかえって不安になった。
(この子は、おかしい)
里子はあまり「心霊」というものを信じていなかった。まるっきりの否定派ではなかったが、さも本当らしく得意になってあれこれ解説するような「霊能者」はうさん臭く思って、信用していなかった。
「どこにいるの?」
絶対退かない勢いで訊くと、芙蓉はあっさり部屋を教えた。
駆けていく里子の後ろ姿を、
(ま、彼女のマネージャーなんだから、いっか)
と芙蓉は傍観した。
里子が控え室に来てドアを開けようとすると、ドアノブが回らなかった。
ノックし、
「わたしよ。開けてちょうだい」
と呼びかけた。すると、カチャッ、と鍵の開く音がした。
「入るわよ」
声をかけてドアを開くと、そこに予想していた妙子の姿はなかった。
(あら? 鍵、かかってたわよね?)
不思議ではあったが、今はそれどころではなく、
「妙子、いるの?」
呼びかけて奥へ進んだ。この部屋にはトイレと洗面所がある。その壁を巡ってL字型にメイクの鏡台と、奥にくつろぎ空間がある。
奥へ進んだ里子は、そこに展開する光景に息をのんで立ち尽くした。
妙子と茉央が裸で抱き合っている。
いや、ベッド状のソファーの上、裸で寝る茉央の上に、裸の妙子が横から被いかぶさり、腕と脚で抱き絡めている。
「妙子、何してるの!」
里子は妙子に同性愛のけがあるのは承知していた。それが真性のものか、女の子ファンを意識したキャラ作りか判断がつかなかったが。
どうやら真性であったらしい。
それはともかく、茉央は炎に包まれ、大やけどを負ってるかも知れない。そんな状態の彼女にこんなことをして、これは、犯罪行為じゃないか! それも、嫌悪感を催す、変態行為だ!
「馬鹿なことしてるんじゃないの! あなたはどうなの? ケガしてないの?」
里子は強行的にもただちに破廉恥な犯罪行為をやめさせようと近づいた。
宇賀神妙子は、淫猥な笑みを浮かべた顔を上げると、フッ、と息を吐いた。
ムッとした臭気が顔に吹き付け、
(うっ……)
その途端、
軽く
「あなたもわたしのマネージャーなんだから、身も心もわたしに捧げてくれていいわよね? でも、今は」
淫らな顔を茉央に向ける。
茉央は薄くまぶたを開いて宇賀神を見ていた。
「火、怖かったわね?」
茉央の体がビクッと硬直した。
「体、熱い? 服、みんな燃えちゃった。あ、わたしは自分で脱いだの。露出狂なんだ。フフフ。あなたは……、まだ残ってる。取れないの」
宇賀神が腹の辺りを指で撫でると、ガサガサした感触があり、
「かわいそう…………」
同情たっぷりに言われて、茉央は一瞬目を見開くと、涙をあふれさせた。
「ああん、泣かないで。…………綺麗な体に、戻りたい?」
茉央は恨みがましい目で宇賀神を見つめた。変な期待をして裏切られるのを警戒した。ただ単に哀れな自分を嘲笑ってやろうと言うだけのことかも知れない。
自分が嫌っていることを、彼女も分かっているはずだ。
・・・・・・
なんでこの女は裸で自分に寄り添っているのだろう?
考えてみれば異常な状態で、日頃毛嫌いしている女への嫌悪感が身悶えしたいほど溢れてきた。……体が動かない。そんなに自分の状態はひどいのかと、ゾッとし、悲嘆の涙がまた溢れてきた。
人の
(この、変態レズ女……)
宇賀神は茉央の肩を抱いて、ぴったり、肌を重ねてきた。
ビクッとした茉央は、
(冷たいっ)
と驚いた。
宇賀神の体は、雪の中に埋まっていたように冷たかった。
「わたし、特殊体質で、うんと体温を下げることが出来るの」
茉央に頬をくっつけ、
「あんまり下げ過ぎると冬眠しちゃうんだけど」
と、自分のギャグにウケて笑った。
「特殊体質はそれだけじゃないのよ?」
密着した肌が、冷たく濡れてきた。
「汗もいっぱいかいちゃうの」
密着した肌から、ドプリ、と大量に溢れて茉央の乾いた肌に流れ落ちた。
茉央はおぞましさ、むず痒さに震え上がった。
宇賀神の汗は臭いがきつかった。
ツーン、と独特の臭いだった。
ああ、嫌だ、と逃れたかったが。
「わたしの汗には体にいい成分がたっぷり入ってるの。これを全身くまなく擦り込めば、出来たばかりの火傷なんて、すっかり、きれいに、治るわよ?」
宇賀神は茉央の脚を抱え込んで内股をこすりつけた。
ヌルン、ヌルン、と、肌が滑り、脂肪と筋肉が踊った。
「治してあげるわよ?」
宇賀神は至近距離で熱っぽく茉央を見つめ、茉央は顔を逸らそうとしながらその大きく黒い瞳から逃れられず、すーっと意識を吸い込まれる思いがした。
人の汗で傷が治るなど、普段なら何を馬鹿なと頭から否定するところだが、宇賀神の汗の臭いは病院の消毒アルコールを思い出させた。いや、それよりもっと複雑な、様々な成分がブレンドされた…………ひんやりした…………
(森の匂い……)
樹齢何百年という大木が立ち並ぶ森の空気のような清涼感。それに、
(甘み……)
うっ、とした最初の拒否感を捨ててしまえば、なんとも言えない、心とろける甘みを感じる。
茉央は思わず小鼻をうごめかせて臭いを吸い込んだ。
鼻腔奥深く、脳内に、浸透する。
ドキドキした妖しい胸騒ぎと、火照りを感じ、
(ズキュン)
と、体の芯が反応した。
(お酒……)
ワインとかウイスキーとかの洋酒じゃなく、日本酒、ふくいくたる香りの上質な清酒だ。
宇賀神は茉央の体に上から被いかぶさり、大量の汗を滴らせながら全身を遠慮なくこすりつけていた。顔も額から頬、顎まで、まんべんなくこすりつける。
ぬめった腕で髪の毛まで撫でてやる。地肌に浸透するアロマを茉央は喜んだ。彼女の心と体から宇賀神に対する抵抗はすっかり消えていた。
宇賀神が少し体を離すと、不満そうに追いかけようとさえした。
「茉央。キスしていい?」
「いいわ」
して、と自分から唇を膨らませて突き出した。宇賀神は自分も丸く膨らませてくっつけ、弾力を楽しみ、挟み込んで柔らかさを楽しみ、粘膜のこすれる感触を楽しんだ。茉央の唇が開いたので、息を吸い込んで味わい、鼻から息を吐き出すと、舌を伸ばし、差し入れた。
茉央は奥まで伸びた宇賀神の舌の長さに驚いた。しかしすぐに自分から舌を動かして受け入れた。宇賀神の舌はしなやかに動き回った。唾液が大量に溢れ、茉央はゴクリと飲み込んだ。胸いっぱいに甘美な喜びが広がっていった。
茉央はすっかり酔っていた。
宇賀神の特異体質の汗に含まれるアルコールに酔ったのか?
それもあるかも知れないが、熱っぽく、とろんとして、肉体の快楽を求めながら、どこかふわふわ雲の上を漂っているように頼りない感じは、アルコールよりもっと深く神経の中枢に働きかけるものを思わせる。
宇賀神の汗には、麻薬のような成分が含まれているのではないだろうか?
宇賀神は存分に茉央の体を味わい、茉央もすっかりそれを受け入れ、喜んでいた。
茉央にひどい火傷の痛みは、全くなかった。
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