第8話 アクシデント
最初、茉央本人は気づかなかった。前の方の客が、チラチラした光を
(ラメでも入ってるのかな?)
と眺めていたのだが、やがて、悲鳴と共に叫んだ。
「まおちゃん、火が!」
叫び声を聞いて、笑顔を振りまいていた茉央は、
(え?)
と、なんのことか分からず、不安な顔で舞台袖の司会を見た。しかし司会の
「まおちゃん、スカートが燃えてる!」
切羽詰まった大声に、茉央はギョッとして自分のスカートを見下ろした。
え、どこ?、と分からず、泣きそうな顔で指摘する観客の指さす場所を探す。
茉央のピンクベージュのプリーツスカートが、
(こんなに濃い色だったかな?)
と思ったら、夕日に照らされたように赤く染まっていき、
ぼっ、
と、赤い炎が立ち上がった。
まっすぐ伸びたたくさんの折り返しが、ふわっと広がり、メラメラと燃え上がった。
「きゃあっ」
茉央は悲鳴を上げて、燃え上がる炎を叩き落とそうとした。
悲鳴は会場中から上がった。
茉央のロングスカートは、軽やかな生地が真っ赤に燃えて膨れ上がり、叩き落そうと必死の腕を包み込んだ。
燃え上がる茉央に、横に並んだモデルたちは悲鳴を上げて離れ、それでも大事なまおを見捨てるわけにはいかず、あたふたしながら見守った。
唯一、隣りに立っていた宇賀神だけが、腰を屈め、炎を切り取るように、パンパン、両手で挟んで外へ払った。
しかし炎は、茉央のワインレッドのブラウスに燃え上がり、頭のヘッドドレスまで、ボオッと、炎を噴き上げた。
舞台も客席もきゃーきゃーパニックだった。
「きゃあああああああっ」
茉央は悲惨な悲鳴を上げ、ふっ……と、神に召される殉教者のように立ち尽くした。
宇賀神は茉央の頭からヘッドドレスをもぎ取って投げ捨てると、炎を上げる体を自分の胸と腕で抱きしめた。酸素を絶って炎を
しかし炎は無情にも、宇賀神にも燃え移り、メラメラとエメラルドブルーのロングスカートを、コーラルイエローのブラウスを、燃え上がらせた。
「どいて!」
客席後方から全体を監視していた芙蓉が、隅に設置してあった消火器を手に、猛然と駆け下りてきて、舞台に飛び上がった。
ホースの先を二人に向け、レバーを握った。
プシューッ、と勢いよく白い薬剤が噴出し、二人を包み込んだ。
煙の中、千切れたオレンジ色の火が舞い上がり、本体は鎮火した。
「大丈夫!?」
拡散して薄れていく煙の中、白い粉を被り、宇賀神ががっくり脱力した茉央を抱いて立っていた。芙蓉は、
「救急車を」
と、呆然としている花衣に指示し、花衣は、
「分かった」
と、その場で携帯電話を取り出し119番した。
「取りあえず横になって」
「いいえ」
気絶した様子の茉央を引き取ろうと手を差し出した芙蓉を拒否して、宇賀神は言った。
「楽屋へ運んでちょうだい」
「楽屋?」
動かさずにこの場で処置した方がよいのでは?と芙蓉は思ったのだが。
「この恰好のわたしたちをさらし者にしておく気?」
と言われてみれば、確かに、二人とも服はぼろぼろで、すすけた肌がかなり露出してしまっている。
「分かった」
芙蓉が了承すると宇賀神は茉央を預けた。
芙蓉は茉央を颯爽とお姫さまだっこし、舞台袖へ大股で向かった。宇賀神も続く。
歩きながら、芙蓉はちらっと天井へ目を向けた。
ステージ照明のぶら下がった高い天井に、スプリンクラーのシャワーヘッドが見える。
何故、作動しなかったのだろう?
天井が高くて、熱を感知しなかったのか?
疑問だったが、一瞬思っただけで、意識を二人の治療に向けた。
「どうしたの!?」
里子が驚きに目を見張って芙蓉と宇賀神に訊いた。
静かな廊下の奥で大事な電話をしていたが、伝わってくる会場の騒ぎに気が気でなく、いったん電話を待ってもらい、駆けつけてきたところだった。
宇賀神が先に言った。
「里子さんは舞台の手伝いをお願い。わたしたちのことはいいから」
「いいからって、」
とても放っておける状態には見えない。
「救急車は呼んであるから、ね?」
「そう?」
里子は芙蓉を見て、
「急ぎますので」
と言われ、うなずいた。
「じゃあお願い」
急ぎ足で去って行く二人の後ろ姿に疑問を感じながら、電話で先様に平謝りし、状況を知る為にも里子は舞台に急いだ。
楽屋……大部屋のメーキャップルームと、ソリスト用の控え室がある内、茉央の使っていたソリスト部屋に入った。
簡易ベッドにも使えるベンチソファーに茉央を寝かせた。
芙蓉は険しい表情で宇賀神に訊いた。
「それで、医者も呼ばずに、どうするの?」
宇賀神は……、舞台からこっち、人目には傷を負って弱った姿を見せていたが、今は普通に立って、妖しい笑みを浮かべていた。
「彼女はわたしに任せて、あなたもどうぞ、会場整理に戻りなさい。ああ、里子さんに、わたしたちは大丈夫だからあんまり大騒ぎにしないように言ってちょうだい。……ま、難しいでしょうけど」
芙蓉も言いたいことはあったのだが、
「あなたに任せて、本当に大丈夫なのね?」
と念を押すように訊いた。
「ええ。だから、あなたも早く消えて」
芙蓉は無言で出口へ向かった。
普通ならあり得ない、炎に包まれ、大やけどを負っているかも知れない若い女性を、医務室でもない、医療の専門家でもない一般の女子に任せて放置するなど。
しかし。
白い粉を被り、すすに汚れていた肌が、いつの間にか洗い流されたようにすすが消え、白くつやつやと輝き、バサバサになっていた髪が、これまたつややかな張りを取り戻して波打っている。
(化け物だ)
と芙蓉は思った。
宇賀神妙子は、蛇の神に取り憑かれ、普通ではない力を身につけている。
色々怪しい事だらけだが、今は彼女に任せた方が、茉央の為なのだろう…………
パタン、と、
邪魔な芙蓉が出て行くと、宇賀神は茉央を見つめ、ニンマリ、笑った。
「さあ、茉央ちゃん。楽しいお医者さんごっこを始めましょうか」
そうして、焼けてぼろぼろになった布を取り払っていき、自分もぼろぼろの服を脱ぎ捨てた。
そうして、舌なめずりすると、茉央に体を重ねていった…………
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