第38話 今が良ければそれでいい
「・・・・・・! ・・・・・・・・・!」
なんで分かったの!? と言いたいのに口の中で舌が転がって声にできない。詰め寄るわたしの顔がよほど真に迫っていたのか佐藤さんは体を丸めて萎縮してしまう。
「わ、わわ! ごめんなさい私っ! いきなり変なこと言って! 違いますよね! 本当にごめんなさいっ!」
ぺこぺこと頭を下げる佐藤さんの頭頂部を見ながら私はパニックに陥っていた。
私が日菜のことが好きだなんてそんなこと百も承知だ。だけどそれを他人から指摘されるのなんて初めてで、思いも寄らなくて、脳が沸騰してぐつぐつと煮えたぎるのを抑えられない。
友達として好きというニュアンスならわざわざ佐藤さんも口にしないしそもそも夜が明けるまで悩むというのも不自然だ。つまり佐藤さんが言う好きは正真正銘私が抱いている好きに相違はないはずで。
「わ、私すごく失礼なこと言いましたよねっ。わ、忘れてください!」
「あの、えっと。どうしてそう思ったの?」
「さっきも言ったとおりです。その、桜川さんと日菜ちゃんって仲がすごくいいじゃないですか。それで最初は親友みたいなものなのかなって思ってたんですけど、桜川さんが日菜ちゃんを見るときの、視線が――」
「し、視線!?」
私、まさか変態みたいな目で日菜を見ていたのだろうか。そりゃ日菜は可愛くて、胸も大きくて、お尻も、太ももも・・・・・・確かに私は変態らしい。だけどそれを表に出していたなんて。
「日菜ちゃんを見る桜川さんの視線が、目が、とても思い悩んでいるようなもので。それでもしかしたらって、思ったんです」
「あ、ああーなるほどはい」
安心したやら、そうじゃないやら。複雑な気持ちだった。
「そう。確かに最近は悩んでたこともあったけど、でもそういうんじゃないから」
一度息を落ち着かせて、冷静になる
所詮人の予想や推理など、証拠、もしくは肉声がないと空想の作り物でしかない。私がイエスと言わない限りそれは永遠に事実にはなり得ない。
「そ、そうですか」
「うん。だから、あんまり、変なことは言わないで」
吐き捨てて、歩く速度をあげる。
階段を1段飛ばして昇って、佐藤さんから逃げるように歩いた、
「あ、あのっ。桜川さんっ、はぁ、はぁっ。ひぃ、ひぃ。ふえ」
情けない声をあげながら階段を昇る佐藤さん。体力では、やはり私のほうに軍配があがるらしい。・・・・・・どんぐりの背比べである。
「桜川さんがどう考えているかまでは私には分かりませんけど、でも」
背後で聞こえる切れた息に、私は振り向くことはせず。
「その気持ちは、間違いなんかじゃないと思いますっ」
だけど、足は止めた。
「きっとその気持ちは、普通の人が抱く健全な感情なんだと、はぁっ、私は思いますっ」
間違いじゃない。最近、どこかで同じフレーズを聞いた。あぁそう。確か駅前の本屋で、彼女に言われた、あれだ。
流行っているのだろうか。ドラマかなにかのセリフ? まさかこの短期間で二度も同じ指摘を受けるなんて。それほどにそのドラマの影響力が強いのか、それとも。私が、そこまで脆く見えているのか。
けど、どちらにしたって私に続く言葉はない。
間違いじゃないとか、そういう悟ったような詭弁は私には残念ながら効果がない。どんな憶測も経験に勝るものなどないのだから。
「間違いだよ。全部」
あの時私が選択を間違えたから、彼女と疎遠になり、クラスで孤立した。隔てられた世界で生きてきた私は見事このざま、あれが間違いであり過ちであったことは言うまでもない。
境界線は、越えてはいけない。だからこそ境界線なのだ。その先に踏み出すことは決して許されることじゃない。
今度こそ、私は佐藤さんを振りきろうと駆けようとする。
「桜川さんっ!」
「わぁっ!」
腰に佐藤さんがいきなりしがみついてきて、私は躓いた拍子に床に突っ伏してしまう。鼻をすりむいて、痛い。追い打ちのように背中に佐藤さんが覆い被さってきて、苦しい。頭上で「ふぇぇ」と声が聞こえ、白いタイルに移った自分の顔を見ながら言った。
「なに」
「ううううごめんなさいごめんなさい!」
「急にタックルしてこないで」
「えっと、あのっ」
佐藤ざんが喋るたびにパタパタと手を慌ただしく振るものだから、バランスを保っていられなくなり2人そろって横に倒れ込んだ。
「もう、ホームルーム始まるから」
付き合ってられない。この人は、私に負けず劣らずの変人だ。よく考えればあの東光寺とうこうじさんと連んでいるような人なんだから当然といえば当然なのかもしれない。
床に手をついたままの佐藤さんを一瞥し、私は教室へ向かう。
「でもそれじゃあ、前に進めませんっ」
「前に?」
「はい。恐れて、足をすくませてばかりいると、前には進めません。気付いたときにはもう手遅れで、きっと、きっと後悔します!」
佐藤さんの瞳が揺れた。足は震えて、拳を握りしめる。演技なんかじゃない。佐藤さんは私に、本気で言い聞かせている。寝不足なこともあり、私の胸には苛立ちという感情が沸いていた。
朝っぱらから、どういうつもりなんだろうか。私と佐藤さんの間にこれほど真剣な話をできるほどの絆はあっただろうか。私から言わせて貰えば、ない。佐藤さんはあくまで友達の友達。よほどの理由がなければ関わる必要性も感じられないそんな存在だ。
私の視線に敵意が混じっていることを感じ取ったのか、佐藤さんは明らかに動揺した様子で言葉をまごつかせる。けど、やはり彼女は顔を赤くしながら私に言う。
「桜川さんは似てるんです」
「似てる?」
「好きな人がいて、だけど想いを伝えられない。伝えてはいけないと自分で自分を抑えつけている。その結果、もう取り返しのつかないところへ来てしまって、もう二度と自分の望んだ未来は訪れない・・・・・・」
視線を落とし、悲しげに表情を歪ませる佐藤さんの瞳には、誰が映っているのだろう。かすかに栗色に反射した網膜に、私は答えを探す。
「私はもうそれでいいんです。今の関係も、とっても楽しいですから。ですけど桜川さん。桜川さんは、今のままでいいんですか」
どれだけ振りほどこうにも佐藤さんは食い下がらない。気は弱いくせに、強い芯を持っている。その強固な神経に反吐が出そうだった。余計なお世話だ。
「ちょっと、意味が分からないんだけど。もう、教室戻るから」
「あっ、桜川さんっ!」
今のままでいいんですか? そんなの、いいに決まっている。
前に進めない? いいよ、別に。
私と日菜の関係はずっと円満だ。前に進む必要なんてない。足踏を続けて、最も恐れる結末だけを避け続けて、妥協という打開策で自分の感情を処理していく。それが私が負ってしまった罪の制裁。だけどそれは苦難と言えるほど大それたものでもなく、2人で並んで歩いて行ければそれでいい。高望みをして自滅するなんて結末死んでもごめんだ。
そうだよね、日菜。前に進む必要なんて。ないんだよね。今が楽しければそれで。
私は今すぐにでも日菜の声を聞きたくて、佐藤さんを置き去りに教室へと走った。
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