第31話 わたしの声
体育祭当日。
空は快晴。風は少々に、緑に染まった木々を揺らす。普段より早めの登校時間、いつも通っている道なのにまるで景色が変わって見えた。太陽の位置も、田んぼを彩る稲穂も、聞こえてくる鳥のさえずりも、なにもかもが新鮮だった。歩幅が大きくなるのはそれによるものか、それとも背負ったカバンの中身がいつもよりも軽いからか。たぶん、どっちもだ。
普段は会うことのない犬を連れた人とたびたびすれ違った。「今日体育祭? 頑張ってね」なんて言ってくる人もいて、小学校の頃を思い出す。もうそんな歳じゃないんだけどね。
学校に着くと教室には向かわず、直接グラウンドへ足を運んだ。椅子が並び、白いテントが張られ、美術部が描いた迫力のある絵が目に入る。
白組は白虎が描かれており、今にも動き出しそうな臨場感があった。対する我ら赤組は、カニである。なんでカニ? しかもやたらとファンキーに描かれている。下手というわけじゃないけど、白組の絵に比べると緊張感に欠けるものがある。なんだかもう負けた気分だ。
人はまばらで、まだ空席のほうが多かった。
わたしは自分の椅子にカバンを置いてスマホを開く。大玉送りのシミュレーションをしてる人とか、応援歌を熱唱している人。ブルーシートの上で親と仲良く話している人と様々な中、1人スマホを弄るJK。うーん現代っ子。
赤いハチマキは後でいいやとポケットに入れて椅子にもたれる。
しばらくすると見知った顔もちらほら見えるようになり、その中にやたらおどおどした人影がいたので手招きをする。
おろ? とわたしはスマホを仕舞ってこちらへ駆けてくる結芽の後ろでぴょこぴょこと跳ねるものを見る。
「おはよう」
「おはよ。結芽、今日髪結んできたの?」
「う、うん。変、かな」
緊張した面持ちで後ろ髪を触る結芽。体育祭はまだ始まってすらいないというのに、今から緊張してどうする。
「似合ってるよ? おそろいだね」
わたしも後ろに縛った髪を持ち上げてぽふぽふと揺らして見せる。
「茶色」
「うん?」
「茶色になってる」
「あぁ、わかった? この混乱に乗じて染めちゃえばバレないかと思って」
体育祭当日は特別に生徒が髪を染めることを許可されている。その日のうちに落とすという条件付きだけど。
あちこちに白や赤に染める人がいる中、プリンみたいになった髪を染め直す程度のこと先生も気に留めないはずだし、木を隠すなら森の中というやつだ。
髪を一本つまんでふふんと鼻を鳴らす。
「なるほど」
素直に感心した様子で結芽が頷く。いや、別にツッコミ待ちってわけじゃないんだけどそんな真顔で受け取られても困る。
「お母さんとか来てる?」
「あとで来るみたい。おばあちゃん達と一緒に」
「そうなんだ」
結芽のご両親とはまだ顔を合わせていないので一度は見てみたい気もする。結芽のお母さん、どんな人なんだろう。なんとなくだけど、すごくしっかりした人で、父親のほうが天然、という感じがした。
「うちは昼頃来るらしい。陽太と栞も来るよ。結芽に会えるって昨日の夜騒いでた」
「ええ? 私?」
「うん。なんかうちのちびっ子たちに懐かれちゃったみたいだね」
結芽は自覚がないのか首を傾げて水筒の蓋を開けた。
カラン、と氷が転がる音がして空気が涼やかに感じる。
だんだんと椅子が埋まっていき、喧噪が大きくなる。先生たちもテントの中で準備を始め委員の生徒にも招集がかかる。わたしと結芽は平社員なので椅子に座りっぱなし。
得点板の下、莉音といちかがなにやら絡んでいるのが見えた。
看病の甲斐も、あったのかどうかは分からないけどいちかは昨日にはすでに学校に来ていた。莉音がちょっと嬉しそうなのは、気のせいではないんだろうなと遠巻きに見て思った。
「日菜、ハチマキしないの?」
「え、まだいいよ。結芽は・・・・・・準備万端みたいだね」
すでに結芽の額には赤い布が巻かれていた。強張った表情も、緊張するのも、体育祭にかける熱意が多少はあることの現れだろうか。
思えば練習でも、遅いなりにも一生懸命走っていたみたいだし、こういう行事には意外と積極的に参加するほうなのかもしれない。
ズボンを握りしめて口を真一文字に結ぶ姿が、どうにも幼く見えて仕方が無い。
「あ、あー。あーあー」
「えっ、なになに」
いきなり結芽が母音を連発しはじめたのでついにおかしくなったのかと心配して顔を覗き込む。目の焦点は合っている。顔は、ちょっと赤い。
「声、ちゃんと出てるかなって」
「そういうこと。大丈夫、いつも通りかわいらしい声が出てるよ」
「かわっ」
プス、と湯気が出たような気がした。結芽の両手は自分自身の顔を指していて、変なポーズになっている。
「ひ、日菜のほうが可愛い、と思う」
「ほう」
褒めたら褒め返されてしまった。いや別に見返り目的で褒めたんじゃないんだけどね。
結芽の声は、なんていうか自然にかわいい。アニメ声とか、そういうんじゃなくって、鼻を通らずに、喉からのみ出た声と言えばいいんだろうか。いつもぼそぼそと話すから、声を作ることにまで気が回っていないだけかもしれないけど、そんなメイドイン結芽の地声がわたしは好きだった。特にテンパってるときのふにゃふにゃした震え声を聞くとつい笑ってしまう。
逆に、わたしの声ってどんな声なんだろう。自分ではそこまでいい声には聞こえない。ありがちな、普通の声のように思える。
「どんなとこがかわいい?」
「えっと、え」
ちょっとした悪戯も含めて、結芽に聞いてみる。
案の定、結芽は頬を朱に染めてふにゃふにゃとした声をこれでもかと震わせる。
「言わなきゃだめ?」
「うん。言ってよ。自分の声って自分じゃわからないしさ」
「わ、わかった。えっと。まず、通りがいい」
「それって、かわいいの?」
「かわいい、っていうか。どこにいても、私を呼ぶ日菜の声が聞こえてくるから、安心できるし。あと、や、たまに優しくなるっ。声が優しくなって、私の頭撫でてくれるから、あと笑った時も、私まで嬉しくなるというか」
そこまで言って、結芽は口を閉じる。かわいいという単語が一度も出ていないことに気付いたのだろう。
「いいよ結芽、ムリしていいとこ見つけなくても。しょせんわたしはドナルドダッグみたいな声ですよ」
おどけて、ガァガァとダミ声を出してみる。小学生の時のわたしの持ちネタである。今やると、喉がちょっと痛い。
「ちがちが。えっと、そう、好き!」
後ろの木陰で騒いでる男子にも負けないくらいの、大きな声だった。
「日菜の声、私は好き、だよ!?」
ぽかんと、結芽の顔を見つめてしまう。目が合って、結芽があうあうと口を開閉する。
頭を左右に振って、ピンと背を張る結芽。足が伸びて、前の椅子を蹴った。
「なるほど、好きときたかぁ」
声を好きなんて生まれてはじめて言われたものだから、ちょっと嬉しい自分がいた。それならば多少なりとも自信がつくというもので、わたしはお腹の奥に力を入れて、鼻に空気を通して口を開けた。
「やぁ~ん、どうもありがとぉ~」
わたしなりの、最高にかわいい声を出してみる。自分の耳に入る音は意外にも悪くない。これは結芽を虜にしてしまったかな。やぁ~ん。
「・・・・・・それは、好きじゃない」
「・・・・・・・・・・・・」
「日菜は日菜のままでいて」
「・・・・・・・・・・・・」
そのあとわたしはふてくされて、開会式までだんまりを決め込んだ。
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