第17話 束の間の並走

 体育祭を来週に控えた私たちは昼休みが終わってすぐの五限目にグラウンドをせっせと周回していた。


 張り切って汗を流す者と談笑しながらマイペースに走る者。体育祭という行事に対する熱量が人によって違うのは一目瞭然で、その中で私は汗を流す方の人種に属していた。


 とは言っても張り切っているというわけではない。体力がないのだ。たいした速度で走っていないはずなのにすでに肩で息をして膝はガクガク。今すぐにでも倒れ込みたかった。


 対して私の隣で並走する日菜は涼しい顔をしていた。


 体操服の上からでも分かる私と日菜の胸部の発達具合。やっぱり豆乳とか飲んでるのかな。マッサージなんかも効果があるって聞く。


 私の視線に気付いたのか日菜がこちらを向く素振りを見せたので額に張り付いた前髪を拭って胸を見ていたのを誤魔化す。


「結芽、大丈夫?」

「う、うん」

「もうちょいペース落としていいんじゃない? 今日の先生そこまで厳しくないよ」


 返事をする余力がなく、代わりにこくりと頷く。


 日菜の様子は今朝に比べるとだいぶ元に戻ったように見える。たまに何か言いたげな顔をして挙動不審になることもあるけど。


「日菜は、体力あるよね」


 前にも私の家まで自転車で来たことがあった。いたいけな女子高生の体力ではない。


「わたしね、中学のとき陸上部だったんだ」

「へぇ」


 それは意外だった。日菜ってどうしても帰宅部のイメージが強いから、放課後に走り込んでいる姿は想像できない。


「運動好きなの?」

「うーん? どうだろ。ただ昔から足だけは速かったから自分の得意な部活に入ったっていう感じかなぁ」


 軽快な足さばきと引いた顎。張った背中に腕の振り方は確かに様になっていた。それを見てつい笑ってしまう。


「なんで笑うのさ」

「やっぱりギャルっぽくないなって」


 言うと、日菜は眉を八の字に曲げて難しい顔をした。自覚がないらしい。


「ほげ」

「って結芽、大丈夫?」

「笑うのにエネルギーを割いたから力尽きた」


 その場でへたり込む私を見て日菜も足を止めて駆け寄ってくれる。もう鼻と口どっちで息をしているのかも分からなかった。1回止まってしまえば立ち上がる気力などどこかへ消えてしまい足が震えるのも手伝ってギブアップの意思を日菜に伝える。


「せんせー、結芽が死にそうなんで木陰で休んできまーす」

「ん? あぁ、水分もしっかり取れよー」


 私の肩を掴んで「いこ」と日菜が誘導する。なんだか日菜の背中がとても頼もしく見えた。可愛くて、優しい。気配りもできるこんな子をどうして振ったんだろうと日菜の元彼氏に今ごろになって腹が立ってくる。


「ありがとう」

「わたしもサボりたかったし」


 笑って、日菜が先に座る。続けて私も石段に腰をかけると思ったよりも冷たくて一瞬跳ねてしまう。


「ね? あの先生優しかったでしょ?」

「うん」


 照りつける太陽の下で走るクラスメイトを見ながら、私は息を整える。去年はここまでへなちょこじゃなかったはずなんだけど、ここ1年でだいぶ筋肉が削ぎ落とされてしまったらしい。


 チラ、と日菜の足を見る。ムキムキマッチョマン、なわけではない。私よりもほんの少しだけ肉のついた細い足。


「これ使って」


 日菜が尻尾みたいにお尻から出していた黄色のタオルを引っこ抜いて渡してくる。受け取って、汗を拭った。内心ドキドキしっぱなしだったけど、落ち着いて、落ち着いて。ちょっと匂いを嗅ぐ程度に抑えた。うん、上出来。


「日菜はもう陸上はやらないの?」


 先ほどの話がまだ頭にちらついていて、気になった私は暇そうにグラウンドを見つめる日菜に聞いてみることにした。


「そうだねぇ、やらないかな。家のこともあるし」

「あ、そっか。大変なんだよね」

「そこまで大げさなもんじゃないけどね、昔からだし。でもまぁ、帰り遅くなると陽太ようたたち寂しがるから」


 優しく微笑む日菜の顔は立派なお姉ちゃんのもので、きっと仲がいいんだろうというのが窺えた。私も日菜の妹に生まれたかったな。そうすれば毎日頭撫でて貰い放題なのに。


「それに陸上、というかレースがねぇ。苦手なんだよね」

「そうなの?」


「陸上やってた頃さ、たいしたことない地区予選だったんだけど、ゴール前で思いっきり転んじゃったんだよね。まぁ個人戦だったからわたしが1人恥かいただけなんだけど、それが結構トラウマ気味で今もあんまり本気で走ることしたくないんだよね」


 思っていたよりも事情の深い話が飛び出てきて、無言のまま日菜の顔をじぃっと見てしまう。日菜はあまり自分のことは話さない。特に過去のことは。だからこうして自虐的な失敗談を語るのは珍しくて、やはり今日の日菜はいつもと違った。


 私がよほど重苦しい顔をしていたのか、日菜は破顔して私の頭にそっと触れた。


「それに、本気で走るとせっかくセットした髪が崩れちゃうでしょ?」


 後頭部をなぞる感触がくすぐったい。心地よさに目を細めながら日菜に体を預け・・・・・・っといけない。落ち着け私。別にこれは、そう。きっと弟や妹にやるようなもので日菜にそれ以上の感情などない。あ、でも触れられるとやっぱりどうにかなっちゃいそう。


「あ」


 私が完全にトリップ状態になってあと少しで天に昇ってしまいますというところで、日菜が声をあげて私から手を離した。


「ご、ごめん。また撫でちゃった」

「え、ううん。むしろ撫でてほし・・・・・・」


 と、危ない発言を寸でのところで止めるもギリギリアウトだったかもしれない。やば、どうしよう。


「あ、う、えと、さ。わっ・・・・・・えっ?」


 しかしどうしたことか、日菜は私よりも慌てた様子。座りながら上体だけで盆踊りをしている。


「あ、ううん! なんでもないっ! なんでもないや!」

「ひ、日菜・・・・・・?」

「わたしちょっと水飲んでこよっと!」

「あ、それなら私も」


 日菜の後に続いて私もよいしょと立ち上がる、のとほぼ同時に、日菜が宙を舞っていた。後ろに結んだ髪が流星のような軌跡を描き地表に着陸。音を立ててずっこけていた。


「大丈夫?」


 すぐに駆け寄って声をかけると、額に土をつけた日菜が目を回していた。


 日菜、本当にどうしちゃったんだろう・・・・・・。

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