第15話 好き焼き

「うめちゃんは大学生らけ?」

「いえ、今年で高校2年生になりました」

「さぁ~落ち着きあるすけ大人っぽく見えるんらな」

「そんなことないですよ」


 茶を煮出した急須を持って行き、置かれた椀に注いでいく。


 普段使わない客間だけど、月曜に限ってお婆ちゃんの友達が集まって裁縫教室みたいなのを開く。家が普段とは違う香りに包まれる中、私は申し訳程度のおもてなしをしていた。


 お菓子も配って、頭を下げて客間を出る。お盆を台所に片付けて、自分の部屋に戻る。


 落ち着きがある。大人っぽい。それは一応褒め言葉なんだろうけど、私は素直に受け取ることができなかった。


「んぐおおおおおおお」


 布団に顔を埋めて、獣のようなうめき声をあげ足を水泳のように動かす。体を捩らせて何度も襖に激突して部屋を揺らした。


「あっ、あっ、あぁぁぁぁ~~~~」


 頭を枕に打ち付けたせいで埃が舞い、くしゃみを盛大にかますと鼻水が垂れて布団に落ちた。


 ――あの日の夜以来、私はずっとこんな感じだ。


 まともに思考が回らずに、風が唇を撫でていくだけで背を張ってしまう有様。今日の授業の内容も、自分が何をしていたかも覚えていない。一度も日菜と会話もできなかったし目もあった瞬間に耐えられず逸らしてしまった。


 それも全部、口の先に残るリアルな感触のせいだ。異物感がずっとあって、温もりが仄かに残って、思い出すたびに顔が熱くなる。


 キス。キスだ。


 キスといえば塩焼き。違う。


 私は日菜とキスをした。唇と唇を合わせて互いの唾液を交換した。生々しいその行為は私には初めての経験で、あまりにも突然で甘美なものだったから日常生活に支障をきたすまでに及んでいたのである。


「あああなんでなんで、あうあうあう」 


 乱れた毛布を体に巻き付けてチョココロネみたいになる。


 意味が分からない。日菜はなんであんなことをしたの?


 もしかして私のことが好き? 好きだからキスをしたの? 私は懸命に自制を効かせて、まっとうであろうとしたのに。日菜は思いのままに、マイノリティな行為であることを自覚したうえで私と交わったの?


 思考の回路が蝶結びになりやがて断線する。漏れ出した電流は私の体を流れて指先をビリビリと痺れさせた。


「まってまって、でもまって」


 自分に言い聞かせるために声に出す。


 勘違いをしてはいけない。恋愛っていうのはいつだって片思い側の暴走で複雑化するものだ。


 落ち着いて考えよう。よし、うん。例えば、日菜がアメリカ人のハーフだったとする。あちらの国では挨拶代わりにキスをすることだってある。あるよね? 偏見かもしれない。


 ともかくあのタイミングだ。日菜はおやすみのキスを私にしたのではないだろうか。向こうに住んでいたときの癖でついやってしまったのだ。だから日菜が私をラブで、ラブ故のキスという公式は破綻する。あぁ、きっとそうだ。ていうか日菜ってハーフなの? 違うに決まっている。


「じゃあなんなの・・・・・・」


 日菜があの日使ったドライヤー、化粧水。あと64のコントローラーを目の前に並べて頭を抱える。まるで何かの儀式を始める前のようだ。


 悶々と唸り散らして、やがて自重を制御できなくなった私はベッドから転げ落ちて逆さまのまま10分ほど呆けた。


 だからクッションの上でスマホが鳴ってもすぐ起きることができずに、だらしのない前転をナマケモノのような速度で行ったあとようやくスマホに手を伸ばせた。


 プッシュ通知の内容はメッセージアプリのものだった。登録している「ともだち」は家族と日菜。あとは一昔前に流行ったゲームの攻略サイトだけ。だからメッセージが来るとしたらだいたい家族か日菜。そして家族はまだ仕事中のはずだから・・・・・・。


 はっとしてすぐにスマホのロックを解くとそこには「おひな」という名前と共に、


『好きだよ』


 というメッセージが表示されていた。


「あ、あわわわわわ」


 自分でも分かるくらいにテンパってしまう。平静を繕おうとすればするほど不審な挙動になってしまう。


「な、な、なんのつもりなの日菜は」


 キス。そして告白みたいなメッセージ。


 もうダメ、私その気になっちゃうよこんなの。私は日菜が好きなのだ。好きだけど、好きではいられないから友達であろうとしたのに。


「んむー」


 下唇を噛んでしまっているのに気付かないまま息を吐いたので変な声が出てしまう。


「わ、私も好き!」


 送ったメッセージを音読する。


 このあと、一体どんな答えが日菜から返ってくるんだろう。わくわくと不安の入り交じった目で画面を睨みつける。


『ごめん、友達が勝手に送っただけだから気にしないで』


「しょ、しょんな」


 自分でも分かるくらいに落胆する。呂律もうまく回らない。私は今どういう感情なんだろう。分からない。


「私のこと、好きじゃないの?」


 縋るように呟いた独り言がそのままメッセージになって日菜へ届く。そうして送ったあとに気付く。これめんどくさい女って思われないかなぁ!


 わあああやってしまったやってしまった絶対ドン引きしてる。ほら既読はついたのになにも反応がない。これはどう考えても返答に困って悩んでるときの間だよ!


「んんんんんん~~~!」


 額にスマホを押しつけるという謎の行動をとって、やっぱり今のは無しと送ってしまおうかと考える。


 スマホが震えた気がした! いや、震えてなかった。音が鳴った気がした! 台所の炊飯器の音だった。


 そんな地獄のような時間に終止符を打ったのは日菜の返信。


『すき』


『やき』


『食べたいなー!』


 最初の単語に勘違いする暇も与えないほどの速度で連発されたメッセージを1分ほど凝視して、スマホを投げて天井を見上げた。


「本当に、どういうことなの? 日菜」


 古びた天井の木版が、焼き豆腐に見えた。

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