第9話 インテリお化け
「さて、そろそろお前もスポンジにしてやるか…。念のために聞いておくが、お前は、本当は病気の母親の薬代を稼ぐために仕方なく冒険者をしているわけじゃないよな?」
「・・・はい。実はそうなんです」
「そうか、でも死ね」
アリスが剣を引き抜こうとしたその時だった。
地震が来た。
最初、シグルドはそのように思った。
でも違った。
その辺の岩や、死体がけたたましい音を立てて震えているのに、不思議なことに地面それ自体は動いていないのだった。
(何事だ?)
岩や死体はただ振動するのみではなかった。蠢き、飛び跳ね、挙句の果てに宙へと舞い上がった。
空飛ぶ死体と岩石がシグルドたちの周囲をめぐり、辺りは異様なポルターガイストの様相を呈していた。
シグルドはもちろん動揺していた。しかし表情筋が感情に追い付かずに、ただただ呆けた面をさらすばかりであった。
むしろ分かりやすく狼狽していたのは、二人の獣帯士の方である。
彼らは身を寄せ合い、半べそ状態で喚いていた。
「どどどどうしよう。アリス。まさか、またあのお(・)化(・)け(・)が」
「お、お、落ち着くんだウルカ。お化けなんているわけないだろう。これは私たちの良心の呵責が生み出した幻(げん)か…ひゃう!」
そのときパチンとラップ音が鳴った。
アリスの目から大粒の涙がこぼれた。
「うぇぇぇん。もうやだよぉぉぉ」
恐怖にかられたアリスが駆け出そうとして瞬間。
―ぶわっ。
頭上で閃光が弾け、その一片が稲妻のようにアリスを打った。
そして、アリスは壊れたのである。
「あばばばばばばば」
アリスの体が神聖病のように痙攣し始めた。
奇声を上げながら、バネのように体をびたんびたんさせ、口の端からはクリーミーなきめ細かい泡をあふれさせていた。
シグルドは、もちろん驚いたが、より驚愕しているのはウルカ少年の方であった。
「どうしたの。しっかりしてよアリス」
ウルカは必至でアリスに追い縋った。
しかしアリスは、ウルカを一瞥(いちべつ)すると、彼を振り払い、手にした剣の柄で少年の脳天をどつき倒した。
「きゅううぅ」
少年はそのまま失神した。
アリスは、倒れた仲間を気にかける様子もなく、今度はシグルドの方を睨みつけた。
しかしその眼には光がなかった。
正気を失った少女騎士は、ゆっくりと頭上を指さした。
アリスが示す先には、おぞましい塊が浮かんでいた。
ごみの中でどろどろに溶け合った野菜くずの成れの果てのようなそれは汚らしい茶色をしており、所々に病気の穀物のような黒いシミが散っている。
不定形のそれは、アメーバのように蠢きながら頭上に揺蕩い、そのたびに放屁のような下品な音が鳴った。
その異形は、形を変えながら必死に何者かになろうとしていた。
やがて、シグルドはそれがかろうじて人の顔と呼べる形に近づいていることに気づいた。
宙に浮かぶ一つの巨大な顔。
焼けただれたように崩壊したかんばせに、微かな陰影として目や口や鼻が生じていた。
やがてその巨大な顔の口の部分がもごもごと動き始めた。
「我らは怨霊なり」
低く重々しいその声は、醜悪な見た目に反して威厳に満ちていた。
「されどインテリなり」
怨霊が続けて言った。
「インテリ?」
シグルドは、ようやくそれだけ言うことが出来た。
シグルドの問いに、自称インテリの自称怨霊は、よくぞ聞いてくれたとばかりに、重々しい声を弾ませながら自らの生い立ち、否、死に立ちを語り始めた。
「然り。我らは低級霊なれど意識は高いなり。抑々我らは、汝と同じ勇者オタクにして、ここなる骸(むくろ)たちの精神なり。たらちねの母が胎(たい)をいでしよりこのかた、ただ冒険のすさびにのみ憂き身をやつし、ついにこの洞内に迷いて、あたら生命を喪えり。
されど、あまりにむごたらしく殺されたので成仏しきれず化けて出たなり。
この血が黄色くなってしまった少女たちに嫌がらせをせんとてなり、しばらくは、地縛霊となりてこの洞窟にポルターガイストなどせんずるに、ふと土星の光(かげ)ひたひたと地中に染み渡りて我らを照らすに心づきたり。古来土星は「哲学の星」と称せられ、思慮分別を司れば、我ら俄(にわ)かに志学の情起こりてすなわちもろ共に語らい、地縛霊から浮遊霊となりて王都に遊学(あそ)びたり。もぐりにて最高学府パーデンネン大学の授業を聴講し、竟(つい)に学成りて自由七科(リベラルアーツ)の蘊奥(うんのう)を究むることを得たり。然り、我らは既にしてこの世界で五指に入るほどの巨人的知性体となり了んぬ。その後は、星辰界に赴き、しばし目の当たりに星の世界を探求し居りしが、今再びここに戻りたるは、ポルターガイストの些事(さじ)のためにはさらにあらず、即ち汝(なれ)に見(まみ)えんがためなり。今こそ告げん、我らが星を読み知りたる汝の運命を。そもさんせっぱ。」
怨霊たちの声は、自らの知識をひけらかしたくてたまらないといわんばかりに早口になっていた。
「俺の運命?」
聞き捨てならぬ一言にシグルドは思わず聴き返した。
「然り、汝にはこの世界でなすべき使命があるなり」
「つまり、俺は勇者になれるのか?」
「…うん、まあ、遠からずというか…だいたいそんな感じなり」
「おい、どうしてそんなに歯切れが悪い。一体俺は、何をすればいいんだ?」
「ががが…ああ、通信が途切れてしまう。兎も角、最後にこれだけは伝えておこう。汝の揺籃(ようらん)の地へ向かうのだ。揺籃とは故郷という意味だ。そこに汝のなすべきことがある。我ら汝を導かん。ゆめ忘れるな。スポンジあるところに我らあり。」
そういうと、怨霊はひしゃげるように潰れ砕け散った。
降り注ぐその破片は、しかし地面に触れる前に煙のように掻き消えてしまった。唯一その場に残された残骸は、役目を終えて再び失神しているアリスだけだった。
それからのことはよく覚えていない。
鉛で馬鹿になった体を引きずって、這う這うの体で逃げ帰って来た。
洞窟を出ると、エステルがそこに居た。
心配した彼女が迎えに来てくれていたのだ。
彼女の姿を見た瞬間、その場に倒れ伏した。
エステルは慌てて駆け寄り、シグルドを抱きかかえた。
彼女の胸に抱かれながら、声を出して泣いたのだけはなんとなく覚えていた。
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