走れ修治
恥の多い生涯を送ってきた。
弟の人生を評するなら、あやつが遺した小説の冒頭を拝借して断ずる他ない。
彼が起こす金銭沙汰や乱痴気騒ぎは迷惑以外の何者でもなく、私が介入しなければ『太宰治』の誕生は無かったと言えるだろう。
11人兄弟の10番目という家督とは無縁の弟は、怠惰な心持ちのまま身体だけすくすくと育った。
勉学に打ち込むこともなく楽する事ばかり考え、狡い手段で大学生になったものの、自衛能力など持ち得るはずもない彼はたちまち自堕落な日々を過ごし、ついにはカフェの女給と心中を決行してしまったのだ。
カルモチンなる薬物摂取による心中を試みた弟は、自身がカルモチン常用者である事を知っていたのだろうか?
知っていながらカルモチンを摂取させた弟のことが、私にはまるで理解できなかった。
「どうしてこんな事を」
当時県議員を務めていた私にとって、自殺幇助の罪で逮捕された弟の救出は最優先課題であった。
刑事や裁判官を政治的圧力で揺さぶり、どうにか不起訴に持ち込んだものの、不出来な弟は相変わらずのケロリとした様子で言ってのけたのだった。
『本当に申し訳ない、これからは心を入れ替えて勉学に励むよ』
結局、弟はそれから数年後に大学を辞め、文学の世界に身を置くこととなった。
勿論甲斐性のない弟がまともにやっていけるはずもなく、以後も薬物などによる入退院や自殺未遂を何度も繰り返し、正直なところ、血縁者でなければ早々に縁を切っていただろう。
事態が変わったのは、第二次大戦の中頃だった。
念願だった国会議員に当選するも、直後に選挙違反が見つかり、私は逮捕された。
政治から遠ざけられ、それまでの要職を全て退き、自宅の書斎に籠る日々の私にとって、書は唯一の楽しみであった。
……本棚に収められた真新しい本に手を伸ばす。
タイトルは『走れメロス』今は太宰治と名乗る弟の新作だ。
メロスは政治が分からず、そのくせ呑気で奔放な男だった。
身勝手な感情で、セリヌンティウスという親友や妹たちに迷惑をかけ、どこまでも真っ直ぐで……最後には裸同然で親友と抱擁を交わし、王をも動かしてみせた男。
「……まるで弟の……修治の生き様そのものじゃないか」
私とは悉くソリが合わなかった弟に、ふと会いたくなった。
会って話をすれば、少しは修治のことが理解できるかもしれない。
それから暫くして、修治は東京から妻子を連れ、我が家に疎開してきた。
幾度も空襲に遭い、ボロ切れを纏い逃げてきた修治を、私はそっと抱擁するのだった。
……それからも幾多の話はあるが、今日はここまでとする。
流れ星を追いかけて 黒岩トリコ @Rico2655
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