ラグランジュポイント

地球は、重力に守られている。

地球は、大気の壁にも守られている。


それらは太陽風や外宇宙からの各種放射線など幾多の脅威から、地球を優しく守っている。

それと同時に、それは地球のカケラを外に出さない檻ともなる。



20世紀のうちは、それでも良かった。

二度の大戦を経てからの大国同士による争いの副産物として始まった宇宙開発競争は、月到達という目標めがけて一心不乱に突き進んでいれば良かったのだから。


21世紀になると、地球の様相は少しだけ変わった。

冷戦の延長戦として始まった、大国が介入する民族紛争・経済戦争・宗教戦争を経て、人類は少し疲れてしまったようだ。


そして22世紀を迎えた人類は。

かつての夢物語から随分回り道をしたものの、宇宙開発というフロンティア開拓への一歩を進めるべく、各国・民間企業・それらを取り纏める宗教団体らが結集し……21世紀中盤に企画凍結した軌道エレベーターの建造を再開したのだった。



「そしてオレたちの存在は、一部の愛好家を除いてすっかり忘れられましたとさ。めでたしめでたしってか?」


痩せこけた男が、エアロバイクを漕ぎながら悪態をついていた。


「ハキーム、気持ちは分かるが落ち着こう。そもそもアタシらは裏方なんだ、軌道エレベーター建造のためのな」

「そうだがアーイシャ……死地に旅立った英雄の凱旋だぜ?GESAの連中はともかく、マスコミの誰も俺たちにインタビューのひとつも寄越さないんだ?」



GESAとは、瓦解したNASAの跡を継いだ宇宙開発組織の中心部をさす名称である。


Global Evangelicalism Space Administrationという正式名称が表すとおり、今は各国・民間企業・宗教団体の複合組織として軌道エレベーター計画を主導している。



「なあアーイシャ」


アーイシャは……私は返事をしなかった。


ハキームの言いたいことも分かる。


私たちに課せられたミッションは、来るべき宇宙開発時代において避けては通れない鉱物資源問題を解決するものだった。


地球外を飛来する彗星のうち、比較的簡単に軌道修正できそうなものを捕捉し接近、地球と月の間にある引力が比較的安定したラグランジュポイントに運ぶことだった。


ミッションには、多くの犠牲が伴った。

少なくない人数の宇宙飛行士が宇宙の塵となり、どこかの星の引力に捕まらない限り、何万年も何億年も宇宙空間を漂うことになってしまった。


そうした犠牲の果てに、10年にわたる長期ミッションの果てに漸くひとつの成果を……最近マリア1225と名付けられた彗星を、ラグランジュポイントに運び終えるところだったが。



「アーイシャ……やっぱり止めようか?」

「どうしてそんな事を言うの?今さら止めたところで」

「キミの意思を尊重したいんだ」

「私の気持ちは固まってる……ハキームこそ」



ミッションをこなしている間に、地球は様変わりをしてしまった。

宗教戦争に敗れ、私たちが信仰するイスラム教は邪教として迫害対象となっていた。

人の根幹を成す宗教にメスを入れて解体された22世紀は、果たしてどのような未来を歩むのだろうか?

そこに私たちの居場所はあるのだろうか?



「よし……聖書を書き換えてやろうぜ」

「うん、私たちがアダムとイブの代わりになってやろう」


マリア1225に取り付けたブースターエンジンが、彗星の軌道を捻じ曲げる。

およそ1000万トンの質量が、ゆっくりと、しかし確実に地球に落ちていくのを、私たちはモニター越しに見届けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る