LAP182 森のS字〜ユノ・ディエール区間

12時間が経過しようとしていた。

1日の半分にあたる時間を、後ろから迫る追跡者とのバトルに費やしてきた。


前方に街灯などの灯りはなく、男が操縦する車体のライトが視界の全てと言っても過言では無かった。


「なんてしつこい奴だ、けどそれでこそ」


男は『フォレのS字』と呼ばれるコーナー群を抜け、そのままの勢いで『赤のテルトルルージュ』へと流れこむ。



『赤のテルトルルージュ』は、それ単体では特徴のない中速コーナーである。

登り坂の頂点に配置されたコーナーは、ハンドリングの基本さえ誤らなければ事故も皆無であったはずだ。


だが『赤のテルトルルージュ』の先には、2つのシケイン(マシンの減速のため設置された低速コーナーを意味する)と全長6kmにも及ぶ長大なストレートを冠する、コース最大の勝負どころ『ユノ・ディエール』が控えているのだ。



故に『赤のテルトルルージュ』を抜ける際には、コーナーのライン取りだけでなく細密なスピードマネジメントが必須なのだ。


(ギュギュアアァァ……ヒュイイィィィン!)


必要最低限の減速で、限界ギリギリのラインを攻めなければ、ここだけで何秒も失うことになってしまう。




……こうまでして男が急いでいるのは、男が犯罪行為をしたわけでは勿論ない。

追跡者もギャングや警察官の類ではなく、彼らが走っているのも(厳密には)公道ではない。


フランスはル・マン市郊外に特設された、世界三大レースが一つ『ル・マン24時間耐久レース』の舞台であるサルトサーキットである。


同じ世界三大レースの名を冠するF1モナコGPやインディ500と比べても、このレースの走行距離は飛び抜けている。


3人のドライバーと1台のマシンで24時間もの長丁場を走り抜けるという、あらゆる意味で過酷なレースだ。




ゼッケン6番、トヨタのマシンを駆る男は、この周回の『赤のテルトルルージュ』でも彼なりのベストを尽くした。

だがゼッケン2番、ポルシェのマシンは……男のベストを越えていく。


(ギャギャイイイイイイイイン!!)


ポルシェ919ハイブリッドのエンジンパワーは、トヨタのエンジンと比較してパワーに勝る。

結果として、長大な直線『ユノ・ディエール』に差し掛かるところでポルシェはトヨタに肉薄し、数メートル後ろにピタリと張りついた。


「クソ…舐めるんじゃねえ!」


男は敢えて理想的なラインから外れ、ポルシェの風除けにされるのを防ぐ。

ポルシェも負けじとトヨタと同じラインを取る。


(ギュイイイゥィィィイイアアン!)

(ギャアアァァアアアアンンッ!!)


トヨタとポルシェ2台のエンジンは、ありったけの空気を内燃機関に注ぎ、大会規定のバイオマス燃料を燃焼させ、さながら砲弾の如き爆発的なエネルギーを出力し、タイヤに、ステアリングに、ハイブリッドシステムに供給する。


それでもトヨタに比べ、ポルシェのエンジンは出力に勝る。やがてポルシェはトヨタの右側に並ぶが、トヨタ車を駆る男はそれも想定済みだった。


「かかったな!次のシケインは右から左へのコーナリングが要求される!お前の位置ではシケインの立ち上がりが遅れ、次の直線では俺を抜くことなど不可能!」



男の言うとおり、シケインはまず右に曲がり、間髪入れず左に曲がる構造となっている。

出力で劣るもライン取りに勝ったトヨタの、実質勝ちと言えただろう……何もなければ。



「しまった、周回遅れの車がちょうどシケインに!」


男はたまらず、理想的なタイミングより早めにブレーキを踏む。

時速320kmからのフルブレーキング、おかしなハンドリングをすれば大事故に繋がる。

クラッシュを避けるため、トヨタは勝負から降りたのだ。



シケインを脱出し、トヨタを先行するポルシェ。

だが男は焦らない。


「ポルシェは最後のピットインから13周目、この周回でピットに入る…無理して追いかけるよりベストラップを刻もう」


そう、トヨタのエンジンは出力こそポルシェに負けるが、トヨタのエンジンは1度のピットインで14周走れる。


トヨタは前周に、13回目のピットインを済ませたばかり。

一方ポルシェは、これで14回目のピットイン。



レース開始から12時間と少しが経過し、トップグループは182周の工程を終えていた。






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