第20話 道は明るいか
今日ほど授業の内容が頭に入らなかった日は無いだろう。それは罪の意識か、この先を憂いてか、はたまた緊張のせいか。何にせよ今の自分に今日のデート以外のことを考える余裕など無かった。
チャイムが終礼を告げ、痛みの残る腹を押さえながら席を立つ。このまま先輩の家に行きたいところだが、先程から眼差しを向ける友人を無視するわけにもいかない。
と言っても、これから話す内容は彼の期待を裏切るものになるのだから、別の意味で腹が痛む。
「花田」
「お、どうした〜?」
素知らぬ顔で話してはいるが、その表面からは隠しきれない期待が見て取れる。
「この前の話しなんだけど」
「ああ、うん。それでどうだった?」
期待と不安が入り混じって、声を低くしている。勢いで事実を告げてしまいたかったが、その様子に喉から声が出なくなる。それでも、友人として約束の責務を果たさなければならない。
「簡潔に言うと、可能性は0に近い」
「あっ」
その報告に開いた口を閉められず、喉からスーッと空気の漏れ出る音が聞こえる。
「……あ~、あ、そっかぁ。そうかそうか」
「ほんとに申し訳ない」
「や、いいよ。そもそも友人経由じゃなくて、自分からアプローチすべきだったんだよ。なあ、一つ聞いていいか?」
「ああ」
「俺の何が気に入らないとかって聞いてたりする?」
「あー」
「いや、やっぱいいや! あんまり聞いてこれ以上落ち込んでもあれだし」
「と言うか、まぁその、相手から直接聞いたわけじゃないんだ」
「へ?」
話している意味がわからないというように、目を細めてこちらを見る。
「なんて言うか、喧嘩したと言うかですね。とりあえず、仲がすこぶる悪くなりまして聞くに聞けない状態なんだよ」
「えっとつまり」
花田は少し頭を捻り、突然立ち上がった。
「じゃあ、別に俺が嫌われてる訳じゃないんだな!」
喜びを表現するように一つ手を叩くと、沈んだ顔から一転して目を輝かせる。
「だけど、もう僕はコンタクト取れないよ。どうするつもり」
「そんなもん、同じ学校の生徒なんだからどこかしらで会うだろ。それに、部室には来るんだろ」
「それは、今日の頑張り次第と言うか」
とりあえず、伝えることを伝え花田も気を落としていないようなので、教室に残る理由もない。上機嫌な友人に別れを告げ、足早に家へと向かう。
ただ、生まれてこの方女子を遊びに誘ったこともなければ、二人で何処かに出掛けることも無かった。
服装に自信があるわけでも無いので、こういう時制服の利便性が身にしみる。制服が免罪符になるので、この際洒落っ気は置いておくとして、経験の無さはどうカバーしたら良いだろうか。
家につくと、昨日の今日なので割とすんなり家に上げてもらえた。母親は昨日久しぶりに娘が部屋から出てきたと喜んでいた。
話をそこそこに切り上げ、二階に上がってドアをノックする。
「先輩、僕です」
「いいよ、入って」
ゆっくりとノブを捻り、そっとドア開ける。先輩は特に示し合わせた訳でもないのに、制服を着てベッドに座っていた。
「制服なんですね」
「いや、ほら。制服て多少無理に動いても良いように丈夫に出来てるでしょ。だから」
この時、僕の提案がどれだけ考えなしのものか思い知らされた。謎の力が遊び盛りの学生からお洒落まで奪い取ってしまったことを、浮き彫りにさせてしまったのだから。
「制服姿、久しぶりに見ましたよ」
「行って、ないからね」
「それじゃあ、行きましょうか。暗くなっちゃいますし」
すると、先輩が顔を下に向けた。
「やっぱり、私出掛けるのやめようかな」
その悲痛な姿に、行動の正しさを疑いそうになるが、僕まで弱気になってしまっては他に誰が手を差し伸べると言うのか。
「何言ってんですか。ほら」
先輩の不安を払拭するため、あえて手を掴んだ。
「ちょ、危ないって!」
信じられないという様に、声を荒げ手を抜こうとするが、離しはしない。
「危なくないですよ。ほら、僕一応男ですし」
「そう言う問題じゃなくて!」
そのまま手をグッと引っ張り先輩を立ち上がらせる。その時、風に乗って石鹸の香りがした。
「なんだ。そんなこと言って出掛ける気満々じゃないですか」
「な、君今私の匂い嗅いだでしょ!」
「鼻に入ってきたんだから不可抗力ですよ。さ、いつまで引きこもってるつもりですか」
「や、ちょっと!」
有無を言わさず部屋から連れ出し、玄関へ向かう。
「あら、どうしたの手なんか繋いじゃって」
「あ、すみませんお母さん。先輩少し借りていきますね」
「借りるって人をモノみたいに」
「え? え?」
母親は事態が飲み込めないのか、間の抜けた顔で僕達を見送った。
ただ、強引に行動できるのもここまでだ。家を出てすぐに壁にぶつかった。先輩が玄関先から動けなくなってしまったのだ。
「先輩」
「ごめん」
「謝らないでくださいよ」
冷や汗を流し、先輩の呼吸が徐々に荒くなる。だから、今度は手を掴むのでは無く差し出した。
「ホントに無理なら、僕は諦めます」
「む、無理に決まってるじゃん。こんな、こんなんで出掛けて誰かを傷つけたら」
「そしたら、その前に僕が全部受け止めますから」
「それじゃ君が傷つくだけで何も変わらないじゃん!」
「大丈夫ですよ。ほら、僕一応男ですし」
「また言う」
先輩から少し笑みが溢れる。
「でも、ちょっとは楽になったでしょ」
その隙間につけ込むように、笑顔でそう答える。すると、先輩の呼吸が段々とゆっくりになり、顔色も良くなっていく。そして、僕の手を取った。
「そこまで言うなら、付き合ってあげてもいい」
「流石先輩、そうこなくっちゃ」
僕と先輩は手を繋ぎながら駅へ向かった。道中何人もの通行人に出くわし、狭い道など先輩を後につかせたりしたが、ほとんどの人は手を繋いでいる男女を前に道を譲ってくれた。
先輩の緊張を手に受けながら駅につくと、いつもの調子で改札を潜ろうとする。
「あ、切符買わないと」
「カード無いんですか?」
「いや、久しぶりに外に出たから」
券売機の前に行くと、先輩は買えと言わんばかりに横に立った。
「自分の切符なんだから自分で買ってくださいよ」
「だ、だって、それで壊したりしたら」
「そのときは走って逃げればいいんですよ」
切符一つ自分で買うことができないなら、以前と同様に生活することなど夢のまた夢だろう。
先輩は恐る恐るパネルに触れると、倍の時間をかけて切符を買った。
「か、買えた」
「ほら、行きますよ」
こんなことでいちいち驚かれていては時間がいくらあっても足りない。先輩にはまだまだ見てもらうものがあるのだから。
駅のホームは、それまでの道と違って人で混雑していた。と言っても、普通の人なら行き交うスペースがある時点で混雑とは捉えないだろうが、今の僕達を怖じ気づかせるのに十分すぎる人数である。
手を離さないようにしっかりと握り、人の少ない方へ方へ歩いていく。手に伝わる恐怖は勢いを増し、先輩の心情が文字通り手に取るように分かる。
「ねぇ、どこに行くの」
電車を待っている間、先輩がそう聞いてきた。
「そうですね。なにせ初デートですから、普通は買い物とかに行くんですかね」
「どうだろ。そうなんじゃない?」
「どうだろって、先輩の方が経験豊富でしょ」
「そうだよ。だけど、こういうのって男子がエスコートするものでしょ。今回なら尚更」
「じゃ、まあ都心まで行ってそれから考えましょう」
「都心て、人多くない?」
「そのためのデートですから」
正直僕も不安でしかないが、顔には出さず先輩を引いて電車に乗った。
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