第19話 作戦開始
カショッ。
ビールの缶から空気の抜ける音が軽快に響いた。女はそれを一口含み、喉に流し込む。
「こっちの飲み物も悪くないよ」
台所から缶を振って男に話しかける。
「おい、好奇心に任せて知らないものをこちらの物を口にするな。摂取するなら一度検査してから」
「硬いこと言うなよ〜。毒なんて入ってるわけないだろ」
「毒ではなくて、混合されている物質が、体にどんな影響を及ぼすか」
「大丈夫だって。見てくれは一緒だし、血の色だってさっき見ただろ」
「まあいい。だが、作戦に支障だけはきたすなよ」
「分かってる分かってる」
その時、玄関で鍵を開ける音が聞こえ、二人は咄嗟に腰の銃に手を掛ける。
「パパが帰ったよ〜! めぐみちゃんは良い子にしてたかなぁ?」
陽気な声で入ってきた男は、妻子に向って話しかける。しかし、廊下の先に待っていたのは愛すべき家族の姿ではなく、暗い服に身を包んだ女であった。
「えーと、なんだっけこういう時は」
銃口を男に向ける。
「ああ、『さよなら』だ」
鈍い音と共にスーツを着た男の頭に穴が開く。そして、男は絶命した。
「何故すぐに撃たなかった」
「そりゃ別れの挨拶があった方がいいからさ」
「もし、ここで叫ぶか暴れられたら面倒なことになっていたかもしれないんだぞ」
男が語気を強め女に詰め寄る。女はそれを無視して、倒れている男のポケットに手を入れ、スマホを手に取ると、死体の指を使ってロックを解いた。
「そうならなかったんだからいいでしょ。ほら」
スマホを男に投げ渡すと、鼻歌混じりに男の体を引きずり、浴室まで運ぶ。その浴槽には既に、女性と小さな少女の体が収められている。その上に強引に男の体を載せた。
「たく、面倒くさい」
死体の上に液体を掛け始め、ボトルの中身が無くなると、蛇口を捻って水を入れ始めた。
「ねぁ、これどの位入れればいいんだっけ」
「大体半分より上くらいだ!」
リビングから男の声が飛んでくる。女はそれを聞くと、また鼻歌を歌いながら注がれる水を眺める。
「よっし、こんなもんか」
浴槽は赤く染まり、死体からは細かな気泡が出始める。女がリビングに向かうと、男はスマホに入っている写真を見ていた。
「どう? あれで最後だった?」
「写真で確認したが、まずあの三人以外家族は居ないだろう」
それを聞いて、女が鼻で笑う。
「なぜ笑う」
「いや、ただ『人』で数えなくてもなぁって」
「と、言うと」
「いやほら、アタシ達別に同族を殺しに来たわけじゃないのに、そうやって人扱いしてると、気が滅入るて言うか」
「罪悪感が湧くと」
「まさか。ただ、中途半端な心持ちの奴がいるのが嫌なんだよ」
「確かに、お前の話は一理あるな。分かった、私もより相応しい表現をするよう心掛ける」
「そうしてくれ」
女は冷蔵庫を開けると、二本目のビールに手をつけた。
*
茅原は蛭賀から一報を受け、都内の本社に訪れていた。
「で、お目付け役てのはまだ来てないのか」
「ええ、もうすぐ到着するそうですが」
見計らったように机の電話が鳴り、電話口の女が来客を告げる。
「分かった。通してくれ」
「来たか」
それから数分経たない内に、誰かが扉をノックした。
「どうぞ」
この時、茅原は秘かに心を踊らせていた。あの政府から直々に派遣されてくる人間が、一体どんな風体をしているのか、その人物像に非常に興味があったからだ。
「失礼します!」
その声はとても軽く、まるで男性のものとは思えないものであった。そして、扉が開かれると同時に、茅原は目を丸くした。
「本日付で赴任致します、青紙 桜です! 宜しくお願い致します!」
「おいおいおいおいおいおい」
青紙は、てっきり礼節を持って迎えられると考えていた。それがまさか、男の狼狽する声で迎えられると思ってもおらず、その場で固まってしまった。
「どうしました」
「どうもこうもあるかよ。俺はてっきり、もっとこうガタイの良い男だとか、仕事の出来そうな初老の男とか、そういうのを期待してたのによぉ、蓋を開けたらこんな小娘だぜ。たく、俺達も舐められたもんだなぁ」
茅原は見るからに落胆すると、大袈裟にソファに座った。
「こ、小娘とはなんですか! 小娘とは!」
流石の物言いに、青紙は立場を忘れて声を荒らげ、茅原に向かっていく。
「そうですよ。初対面なのに失礼ですよ」
「どうも失礼いたしました」
蛭賀に諌められ、渋々彼女の方に体を向けると、感情のこもっていない声で謝辞を述べた。
しかし、そんなもので人の怒りが収まるはずもなく、茅原の態度は益々怒りを焚き付けた。
「な、何なんですかこの男は! 大体、社長に対して馴れ馴れしいし、こんな場違いな髭面の男が、どうしてここにいるんですか!」
「おいおい酷いな。お嬢ちゃんよ、人の容姿を悪く言うなって教わらなかったのか」
「お嬢ちゃんなんて、青紙 桜てちゃんとした名前がありますし、大体成人してる大人に対して失礼ですよ!」
「まあまあ、落ち着けよ。仮にも国から派遣されて来てるんだろ。そう感情をあらわにさしてちゃ、株も落ちるってもんだぜ」
「なっ」
「茅原さん、その位にしてあげて下さい。端からいがみ合っていては、これからの関係に響きます」
「はいはい」
茅原は完全に冷めきった態度であるが、青紙はというと、せり上がってくる感情を抑え込むのに精一杯の様子である。それをなんとか我慢すると、咳払いをして蛭賀の前に立った。
「では、改めて宜しくお願い致します。蛭賀社長」
「ええ、どうぞお手柔らかにお願いします」
握手を交わすと、青紙は茅原を睨みつけて、反対側のソファに座った。
「それで、本題に入りたいのですが、派遣理由についてお聞かせ願いますか」
「既にご存知かと思いますが、私が派遣された理由はただ一つ。あなた方の監視に他なりません。あなたも、何故監視が必要なのか心当たりがあるんじゃないですか」
「さあ、どうでしょうか」
「はいはーい、俺はあります」
「そこ茶化さない!」
茅原は嘲笑しながら足を組んで、全面的に青紙を拒否する姿勢を見せる。そもそも、敵になりうる存在であるのだから、当たり前と言えば当たり前の対応である。だが、こうもおおっぴらな態度を前に、流石に蛭賀も少々眉を潜めた。
「いいですか。私を歓迎してくれとは言いません。ですが、私の要求には全面的に協力して貰わなければなりません。わかりますね」
「ええ。こちらとしても、あくまで国の為に働いているのだと認識を改めて頂きたいですから。それで、これからどうすれば?」
「基本的には普段通りの生活をして貰い、それを私が観察し報告します。それから、一つお願いがあるのですが、御社従業員の写真とリストを提出してください」
「分かりました。直ぐに用意させます」
「おいおい、良いのかよ。そんなホイホイ教えて」
「これも信頼回復の為です。喜んで提出しますよ」
「ご協力感謝します。私はこれから社内の見学に出ますので、どなたか同行させて頂けませんか」
「分かりました。茅原、ご案内して差し上げて」
「ええ俺?!」
茅原は勿論のこと、青紙も不快な感情を思わず顔に出す。それでも、蛭賀は考えを変えるつもりは無く、それを察して渋々受け入れた。
「では、早速お願い致します。茅原さん」
「たく、なんで俺が」
頭を搔きながら立ち上がると、足早に扉に向かっていく。青紙も一礼してあとに続くが、外に出たところで茅原が引き換えし、蛭賀に耳打ちをした。
「国がどういうつもりであんな若い娘を寄越してきたか分からないが、気を付けろよ。もしかしたら、フェイクの可能性もある」
「ええ、分かってますよ」
「一体何を話されているんですか」
「や、えーと」
茅原が視線を下にずらす。
「いい尻してんなって話だよ」
すると、青紙が前まで来て、それから思いっきり茅原の足を踏みつけた。
「いってぇ!」
青紙は肩を怒らせながら部屋を出ていく。
「茅原さん。今のはいけませんよ」
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