第11話 親孝行

 母も流石に危機感を覚えたのか、またキッチンを提供することを嫌がっていたが、事情を説明すると『いい子じゃないの!』と快く承諾してくれた。


 先輩は先輩で、最近忙しいからと来ることを拒んだが、無理矢理引っ張ってきた。当然だ、発起人が逃げ出すことなんて許されるわけがない。


 ただ、一筋縄ではいかないと承知していたが、まさかこんなことになるとは思いもよらなかった。


「いや無理無理無理! 熱いし火傷するし!」


「しょうがないだろ跳ねるときは跳ねるんだから。それでも一端の不良か?」


「それとこれとは別だろ! いやまじ無理だって! 顔に掛かったらどうすんだよ」


「な、なんでもいいけどせめて食べられるものにしてね......」


 母親の好きな料理を作って振る舞う、これには大賛成だし出来るだけ協力したい。だが、まさか肝心の料理が天ぷらだと分かっていれば、絶対に承諾しなかっただろう。


「油が怖くて料理が作れるわけないだろ。気を付けてれば火傷なんかにならないしほら頑張って」


「あんな煮えたぎった油に何か突っ込んだら爆発するかもしれないだろ! そうだ、まずやって見せてくれよ」


「それは、無理」


「なんでだよ」


「僕だって家で天ぷらなんか作ったことないし、そもそも揚げ物は後始末が面倒だからほとんどやったことないし」


「嘘だろ、じゃあこのレシピって」


「ネットで見た」


「よくそれで偉そうな態度とれたな」


「たけっちが作れないなら絶対ろくな出来にならないじゃん! 私帰る!」


「帰ってもいいですけど、二度と夢のことに関して協力しませんからね」


 椅子から立ち上がろうとしていたのが、ビタッと動きが止まる。


「やっぱりなんでもないです」


「んだよ、ようは油にぶちこんだ火を通すだけだろ。やってやるよ!」


 よくもまぁ油ひとつにここまで気合いが入るものだ。と、掴んだイカを勢いよく鍋に落としたため、周囲に油が飛び散る。


「うわぁあっつ! なにしてんだよ!」


「そりゃこっちの台詞だ! なにが危なくないだ滅茶苦茶危険じゃねえか!」


「そんな勢いつけて入れる奴があるか! もっとそっと入れるんだよ」


 しかし、余程信じられないのか無言で菜箸を押し付けてくる。仕方なくそれを奪い取り、今度はカボチャを掴んでそっと鍋に入れる。どうだ、一滴だって溢れなかったじゃないか。


「へ、なんだよ一回成功したくらいで偉そうに」


「こんなの普通に入れただけで、成功も糞もあるか。そもそも高崎がやらなきゃ意味ないだろ」


「私も犠牲になるんだから絶対出来るようになってもらうからね!」


「ち、分かったよ。やるよやりますよ」


 こいつはホントに母親を喜ばせるつもりがあるのか、こんな態度では甚だ疑問に思えてくる。


「お、今度は上手くいった!」


「その調子で頑張って」


「なぁ、これいつ油から上げればいいんだ」


「それが、揚げ時間が明確にかかれてないんだよ。だから、見た目で判断するらしいんだけどどうなってる?」


「なんか、最初のイカが真っ黒になってる」


「焦げてんじゃん! 出して出して!」


「私もう真っ黒料理はごめんだからね!」


 結局この日は5つの具材を揚げて、そのほとんどが炭と化した。流石に全てを先輩に食べさせるのは気が引けたので、三つだけ食べて貰った。


「こんなんじゃ病気になっちゃう!」


 なんて嘆いていたが、部活存続のためならと歪んだ顔で完食した。


「じゃ、俺これからバイトだからじゃあな」


「私も今日は帰るね、まだ胃がムカムカする」


「はい、また明日」


 その言葉を聞いた先輩の顔が、少しひきつったように見えた。ああ、これから後片付けか。これだから油物は嫌なんだ。


 それから次の日も自家製炭を量産し、先輩の体が炭に置き換わった頃、ようやくまともな天ぷらが出来上がるようになってきた。


「すごい! なんかフニャフニャするけどまともな料理になってる! なんか泣きそう」


「いや、まだまだだな。母さんが作る天ぷらのほうが何倍も旨い」


「へー、お母さん天ぷらするんだ」


「そりゃもう得意中の得意よ。あの天ぷらは中々余所では食えないぜ」


 ここで急に不安が頭をよぎった。もし、この不安が的中すれば僕達の苦労は水の泡と化す。


「ね、ねぇ。お母さんの好きな料理は天ぷらだって言ってたけど、それってちゃんと本人から聞いたの」


「ん? いや聞いてないけどなんで」


「なんでってじゃあ天ぷらが好きかどうかなんてわかんないじゃないか!」


「あれだけ上手く揚げられるんだから好きな食べ物にきまってんだろ」


 決まってるわけないだろ。先輩もまさかの事実に驚きを隠せないようで、天ぷらを持つ箸が空中で止まっている。


「お母さんの誕生日っていつ?」


「あと二日後だな」


「それじゃ今から別の料理を練習する時間なんてないし、しょうがないこのままいくしかないか」


「心配すんなって、絶対好きだから」


 だと、いいけど。


 そして誕生日当日、結局サクサクな衣を作ることは叶わなかったが、よくもあれをここまでの完成度に出来たものだと我ながら一人感動している。


「じゃ、帰ってくる前に作らなきゃならないから今日は先に帰るわ」


「頑張ってね! 私の犠牲を無駄にしないで」


「テンパって火傷だけはしないようにね」


「おう。それと、付き合ってくれてありがとな」


「全くだよ。たばこもきっちりやめるんだよ」


「わかってるよじゃあな」


 高崎からあんなことを言われるとは、なんだか心の奥がざわざわする。


 *


「えっと、油の温度を測ってそれから」


 今までの練習を思い出しながら、一つ一つ確認するように調理を進めていく。


「よし上手くいった! あとは綺麗に盛り付ければ」


 そのとき、玄関の開く音が聞こえた。


「ただいまー。ごめんお腹空いたでしょ。今ご飯にするから」


「あー! ちょっと待ってまだ」


 だが、願いも虚しくリビングに入ってきてしまった。


「なになに、あらいい匂い」


「なんつーか、母親ならもう少しタイミング合わせてくれよ」


「なに訳のわからないことを、どうしたのこれまさか自分で作ったの?!」


「いや、ほら、今日誕生日だしたまには親孝行してやってもいいかなって」


 すると、持っていた荷物を置いてグッと体を抱き寄せて頭を揉みくちゃになで始めた。


「こいつぅ嬉しいことしてくれるじゃない」


「わかったわかったから離せよ」


「いいじゃないお母さん誕生日なんだから。さてと、娘の初手料理を頂こうかな。ほらごはんよそって」


「ほんとは母さんみたいに上手く作りたかったんだけど、なかなかそこまでできなくて」


「ううん、十分美味しくできてるって。でも、お母さん嬉しいわ。これまで全然母親らしいことしてあげられなかったけど、それでも、こうやって、ちゃんと成長して、くれて」


 途切れ途切れのその言葉は涙に満ちていた。


「や、やめろよ恥ずかしいな。それに俺だっていままでさんざん迷惑かけてきたし」


「いいのよそんなの、子供が親にそんな気遣いしなくたって」


「ま、まぁ泣くほど旨かったんならまた来年作ってやるからよ」


「この、生意気言っちゃって」


 天ぷらだけの誕生日にしては品数の少ない夜になったが、それでも母親の胸はいっぱいになった。

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