第9話 夢のある話

 平凡な住宅街には似つかわしくない仰々しい白塀に囲われた、今では珍しくなった瓦の屋根の屋敷。今から見えるのは、大きな松ノ木に錦鯉の映える池のある庭。手入れの行き届いている様からは、主人の人柄が伺える。


 その居間に男が一人、無精髭を生やし眼鏡の下には隈が見え、皺の入ったスーツに身を包み、座布団に正座している。携えたアタッシュケースを時折気にしながら、落ち着かない様子で辺りを見渡すのは格式ばった屋敷のせいか、はたまたこれから面会する人物のせいか。


 と、襖が開き、着流し姿に白髪交じりの老夫が中に入ってくる。風格のある姿から、ことさらに眼鏡の男がこの場に不釣り合いにうつる。


「すまんすまん、待たせたな」


「いえいえ、こちらこそ突然のお呼びだしに応じて頂いて」


「なにもそんなに固くなるな。でどうだ、まだ毎晩死んでるか」


「ええそれはもう。カウンセリングも随分前から通わなくなってしまって」


「それがいい。そんなもので解決するならわざわざ俺のところに来る必要も無いしな。また一段と隈が濃くなったか?」


「そうかもしれませんね。先生くらい肝が座っていれば何てこと無いんでしょうけれど」


「そりゃ君、年期が違うよ。それと潜ってきた修羅場の数もね。昔に比べたらそんなもの毒にも薬にもならんよ」


「ははは、おっしゃる通りで」


「で、世間話をしに来たわけでもあるまい、今日はどうした」


「ええ、ええ、実はですね」


 脇に置いていたアタッシュケースを、ゆっくりと持ち上げ机に置くと、鍵を外して開けて見せる。


「これは?」


「新しい根拠です」


「むぅ、これがか」


 訝しげにケースから取り出したのは、手のひらほどの立方体のガラスである。中には羽虫のような物体が入っているが、よく見ればそれが金属で出来ているのが分かるだろう。


「あれか、最近流行りのドローンとか言うやつだろ」


「おおよそ同一用途の機械だと思われます」


「おおよそと言うと? これは君達が作った物ではないのかね」


「まさか、自分はおろか、我々の誰もこんなもの作れる技量は持ち合わせてはいませんよ。これ、自衛隊の駐屯地で発見されたものなんです」


「また懲りずに顔を出してきたのか。田島はいい顔をしてなかったろ。しかし、国がこんな小さな玩具を開発していたとはな」


「ああいえ、これは政府によって開発されたものではありません。言い方がよくなかったですね。発見と言いましたが正確には捕獲したと表した方がいいでしょうか」


「つまりは国でも君たちでもない第三者の物だと」


「ええおっしゃる通りです。でまぁ国防の要に得たいの知れない存在が紛れ込んでいたわけですから、ちょっとした騒ぎになりましてね。田島さんは納得してなかったみたいですけど、なんとかうちで預からせて貰いまして、解析させたんですよ」


「それで、どうだった」


 興味が湧いてきたらしく、老夫の声に少し熱が入る。


「それが、お恥ずかしい話何も分かりませんでした」


「なんだ」


 期待を裏切られ、一変して冷めたような口調になった。


「ならなんで君こんなものを見せるんだね」


「それだけの話なら私だってこんなものわざわざ持ってきたりしませよ。分からなかったと言いましたが、実は分かったこともありまして」


「なんだ君、今度は謎かけか?」


 煮え切らない話しに老夫は少し苛立ちを見せる。


「いえいえそんなつもりは。で、分かったことと言うのがですね、驚かないでくださいよ。これを形作っている金属が、どの元素とも一致しなかったんです」


 言葉とは裏腹に驚いて欲しかったらしく、発言と共にやや体を机に近づけたが、相手の反応は冷ややかなままである。


「それはただ単に検査の質が悪かったんじゃないのか」


「そうおっしゃられては身も蓋もない話しになってしまいます。で、こいつのここの部分なんですけど、何に見えますか」


 一度は冷淡な指摘にたじろいだものの、虫で言うところの頭にあたる場所を指差しながら、すぐさま手を変えて相手の気を引こうする。


「うん、まぁなにと言われればカメラのレンズのように見えるかな」


「ええ、私も同じように考察しまして、考察通りだとすれば、解析班はこれが偵察のために使用されるものではないかと推測しています」


「とすると、問題は一体誰が何の目的で偵察なんぞに精を出しているのかということだが、君まさか」


 ここでこれまで覇気の感じられなかった男の顔に、少しの笑みが生まれる。


「ご想像の通り、かの因子が接触してきた何よりの証拠だと考えております」


 これまでよりも語気を強めて話したところから、自信のほどが伺えるが、老夫は何も言わず顎にたくわえた髭をいじっている。


「因子か、素性も知らなければ存在するかどうかも分からない、ただ夢という儚い根拠の上に成り立つ存在」


「そんなことありませんよ。姿は見えなくてもことの始まりは分かりきっているんですから。それにこれが根拠を固めてくれるパーツになるはずです」


「そう言うがね、用途も分からなければ誰が作ったのかもわからない、そんなものを持っていったところであれを説得できると思うかね」


「させてみせますよ。これは近い将来我々だけの問題ではなくなるんですから。それに彼らもほんとは気づいてるはずなんです」


「どうなろうが老い先短いじじいにはあまり関係のない話だが、まあ話は通しておくとしよう」


「何度もありがとうございます」


「そのうち何かで返して貰うから気にしないでくれ」


「はは、それはまた高くつきそうですね。では今回はこの辺で」


「ああ待ちたまえ、渡すものがある」


 そう言うと、一旦襖の奥に姿を消す。それからすぐに大きな手提げを持って戻ってきた。


「これは?」


「枕だよ。結構値が張るものだが使ってみるとこれがまたいいものでね。これで少しはマシになるんじゃないかと」


「ああこれはありがたい。是非使わせて頂きます」


「そうしなさい。それじゃあ、あの血気盛んな彼にもよろしく言っておいてくれ」


「はい、それではこれで失礼いたします」


「見送りする者がいなくてすまないね、それじゃまた」


 老夫の言う通り、長い廊下を歩いているときも、一人で住むにしては広すぎる玄関で靴を履くときも、誰一人として声をかける者はいない。人の家だというのに自分のもののように出る様は奇妙なものである。


 門の側に止めている車に乗り込むと、運転席には暇を持て余して昼寝をしている髭面の男の姿があった。ただ、髭面と言っても眼鏡の男のように無秩序に伸ばしているわけではなく、綺麗に整えられている。


「お待たせしました」


「ん、ああ。終わったかお疲れい。なんだぁそのデカイ手提げは。そんなの持ってなかったろ」


「ああ、ただのつまらないお土産ですよ。よかったら差しあげますよ」


「こりゃ枕か。は、まぁくれるってんなら貰うけどよ。で、どうだった」


「とりあえず話はつけてくれるみたいです」


「よし、やったじゃねえか。そしたらどっかで昼飯にして前祝いといこうじゃねえか」


「運転任せてるんですからお酒は駄目ですよ」


「分かってるよ、そんじゃ行きますか」


「ええお願いします。着いたら起こしてください。流石に疲れましたから不本意ではありますが少し寝ます」


「いいけどよ、うなされて騒ぐんじゃねえぞ」


「普通の夢が見られたらそうしますよ」

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