第30話 協力関係

「きろ……梔子」

「う……」

 誰かに呼ばれたような気がして、眠りについていた梔子の意識は覚醒を始める。

「起きるんだ梔子」

「……はい」

 重い瞼を何とか開くと、まず目に見えたのは見慣れない天井であった。

「どこ……ここ?」

 ぼーっとしながら梔子は首を傾げる。

 低血圧も手伝って、ぼんやりとした意識で辺りを見回そうとした時、

「起きたか梔子」

「!?」

 自分にかけられた聞き慣れた声に、一瞬で眠気が吹き飛んだ。

「お姉様!?」

 慌てて身を起こすと、ベッドの傍に置かれた丸椅子に座っていた黒咲月花は微笑んだ。

「うむ。私だ。無事に目を覚ましてくれて安心したぞ梔子」

「あ、私は……」

 窓から見える外の景色は暗く、時刻が既に夜になってしまっている事を物語っている。

 そして同時に思いだした。

 おそらくここにいる原因となった数時間前の事件の事を。

「具合はどうだ? 何か不調はないか?」

「は、はい。それは大丈夫です」

「そうかそれはよかった」

 にこりと微笑むと、月花は梔子から視線を外した。

「お前も安心しただろうユウ」

「……黒咲ユウ」

 腕を組みながら壁にもたれかかっている黒咲 ユウに、梔子は何とも言えない顔となってしまう。

「あの、その……」

 言わなくてはならない事は多すぎるせいか、上手く言葉に出来ない。

「……ご迷惑をおかけしました」

「気にするな」

 それだけの言葉を交わすと、結局気まずくなり、顔を逸らしてしまう。

「ふむ……その反応を見る限り、記憶の方ははっきりとしているようだな」

「……はい」

 月花の問いに、梔子は頷く。

 嫌と言う程はっきりとしている。自分が金髪の個有魔術で操られ黒咲ユウと戦い、彼に助けられた事も。

 ――しっかりと覚えている。

「そうか。なら覚えている限りで話してくれないか? ユウから既に報告は受けているが、お前の口からも聞いておきたいんでな」

「はい」

 梔子は話した。自分に起こった事を、話した。

「――そうして、黒咲 ユウが金髪を倒した直後からの記憶はありません。多分、私の身体に残っていた金髪の個有魔術の影響がなくなった事が影響して気を失ったんだと思います」

「ふむ。ユウが言っていた通りだな」

 話を聞き終わった月花は小さく頷いた。

「お前個人が気になったことはないか?」

「私個人が気になった事ですか?」

「ああ。なんでもいいぞ。例えば、金髪の男の言動とか……だな」

「金髪の言動……」

 言われて改めて思い返してみる。



『そう。■■だ』



「……?」

 何かが引っかかったような気がしたが、それはほんの一瞬の事で、すぐになくなった。

 きっと気のせいだと自分に言い聞かせると、梔子は首を横に振った。

「……いえ。

「そうか……」

 1つ息を吐くと、月花は梔子の肩に手を置いた。

「お前にとっては思い出したくない事でもあっただろうに無理に思い出させるような真似をしてすまなかった」

「いえ……」

 月花が自分の身を気遣ってくれるのが嬉しくて、梔子が頬を赤く染める。

「――しかし厄介な事となったな」

 それは誰かに対してではなく、一人言だったのだろう。だが、普段決して他人に弱みを見せない姉にしては珍しい事であった。

「そんなに大変な事になっているのですか?」

「ん? ああ、いや、表向きはそこまでだな。試合中に突然消えたお前達二人も空間転移の術式ミスで別の場所に飛ばされただけという事にしているしな」

「では何が厄介な事なのですか?」

 犯人であった金髪は黒咲 ユウの手で絶命した今、そこまで大事にはならないはずだが……

「厄介になるのはこれからだ」

 月花の代わりに答えたのは黒咲 ユウであった。

「今回の件、仕掛けと規模を見る限り、あの金髪が単独で行ったとは考えにくい。誰か共犯者がいたと見ていい」

 ――つまり、

「……その共犯者がまた何か仕掛けてるという事ですか?」

「ほぼ間違いなくな」

 そこまで言うと、黒咲 ユウは月花に目を向けた。

「……と言いたいんだろうあんたは?」

「流石は私の弟だな。話が早くて助かる」

「……やめろ」

「……」

 嬉しそうな顔で言う姉に、梔子は無意識の内に顔を俯かせる。

 黒咲 ユウが気付けて、自分が気付けていない……自分と彼の有能さの違いを見せつけられているようだったからだ。

「黒咲 月花。あんたは共犯者をどう見ている?」

 それは質問ではなく、どちらかと言えば確認のようであった。

 月花も聞かれる事が分かっていたのか、小さく頷くとすぐに答える。



「絶花と黒咲のどちらか――あるいは両方かの組織に現在進行形で潜り込んでいるスパイだろうな」



「え!?」

「……俺も同意見だ」

 驚いた梔子とは対照的に、黒咲 ユウはただ頷くだけであった。

「あの金髪は明らかに絶花と黒咲の事情に精通していた。普通では知るはずのないことまで」

「で、でもだからってスパイが紛れ込んでいるとは限らないんじゃないですか?」

「いやそれが限るんだ梔子」

 絶花と黒咲に所属している組織の人間……言うなれば同僚の中にスパイがいる事を信じたくない梔子は口を挟むが、その反論は他でもない月花に否定された。

「確かに事情に精通しているだけならスパイと断定はできない……だがあの金髪の今回のお前達を強制空間転移させた仕掛けを思い出してみろ」

「あの孤児院に空間転移する術式を仕込んだカードとのすり変え……ですか」

 それは確かに

「そうだ。今だから話すが今日の試合は魔女が参戦することもあって、アリーナの警備は我々黒咲の組織の者が行っていた」

「え?」

 思いも寄らない姉からの告白に梔子は困惑する。

 それもそのはず、そんな話は聞いていなかったからだ。

「まずその事を謝罪しないといけないな。ユウとの大切な試合に臨む梔子に余計な負担をかけまいとあえて黙っていた……結果的にその気遣いが悪い方に転んでしまったがな」

「い、いえ……」

 むしろ梔子は納得した。試合前に姉が自分の所に来た事を。

(……あの時お姉様は警備の指揮を執っていられたのですね)

 そして最終確認として自分の様子を確認したのだ。

 姉としてではなく、警備の責任者である黒咲家当主として。

「今回のお前達の試合に臨む際のカードのチェックは万が一の事が起こらないように、私の信頼できる部下に任せていた。だが、その部下の目すらも犯人は欺いてみせた……後で分かった事だが、その部下達には個有魔術の形跡があった」

 身内の恥を口にするように苦々しい顔でそう言った月花の告白に、梔子は顔を青くした。

「それって……」

「ああ。おそらく梔子が操られたものと同様のものだろう」


「あの日、我々が試合の運営を行うのは、情報漏洩を防ぐ為に試合の当日にごく一部の者しか知らせていなかった――それなのにどうしてかカードの確認を行う役目の部下達だけがピンポイントに個有魔術の餌食となっていた」

「ここまで言えばもう分かるだろう梔子」と、月花は真剣な顔で梔子を見てハッキリと言った。

「お前達が遭遇した金髪が個有魔術を仕込む事の出来るタイミングはあの時あのアリーナだけなんだ」

「そんな……」

 それなら本当に――

「絶花か黒咲に内通者がいるのですね」

 口にすれば余計に事態の深刻さを実感できた。

 英雄の一族である絶花とその従者である黒咲の組織力は強い。

 魔術協会における影響力も相当なもので、外部組織が敵ならば負ける事はないと断言しても過言ではない。

 だが敵が組織内部にいるのであれば話は別だ。

 姿が見えない

「この際だからはっきりと言っておこう梔子。現状の絶花と黒咲に信頼できる者はいない」

「……はい」

 認めたくはないが、認めるしかない。

 今絶花と黒咲は自分が経験したことのない程のかつてない危機に直面している事を。

「だが状況は最悪だが、詰んでいるわけではない」

「そう……なのですか?」

 力強い姉の言葉に梔子は俯きかけていた顔を上げる。

「何故なら私達には心強い協力者がいるからだ」

「心強い協力者?」

 梔子は決して馬鹿ではない。

 ここまで言われればそれが誰なのか、言われなくても分かる。

「黒咲ユウ……ですか?」

「そう。私の弟でありお前の兄であるそこの男だ」

 深く頷く月花に、梔子は頭を抱えたい衝動にかられる。

「……じょ、冗談ですよね?」

「この顔が冗談を言っている顔に見えるか?」

 満面の笑顔を見せつけてくる月花に、梔子は顔を横に振るしかない。

「そしてそれはユウも同じだ。今の絶花と黒咲の中で一番信用できるものが私達だからこうして我々と話してくれている……そうだろうユウ?」

「……不本意ながらな」

 梔子以上に苦々しい顔をしながらも黒咲 ユウは口を開く。

「現状金髪の共犯者を見つけ出すという俺達の目的は一致している。それには俺一人の力では困難だ」

「おや? 師匠である魔女の力は借りないのか?」

「宿敵兼師だ……真実はいつも一つなサスペンスアニメを見ながら、容疑者全員に時計型の麻酔銃をぶち込んで自白剤を盛れば、一瞬で解決ね! なんて事をドヤ顔で大真面目に言うゴリ押し脳筋思考魔女を呼んでみろ。数分で絶花と黒咲の八割の人員は全滅するぞ」

「……」

 冗談には聞こえなかった。

 むしろやりかねないと梔子は思ってしまった。

「ではこの場にいる人間だけで今回の一件を解決するという認識で構わないな?」

「ああ」

「……」

 とんとん拍子で進んで行くのを梔子は傍観するしかない。

 口を開くことがはばかれる程にかつての兄弟の息がぴったりなのだ。

 とても話に入り込める雰囲気ではない。

「それならば、何かしらの連絡手段が必要だな」

「いるだろう? 適任なのが」

 二人の視線が自分に集中している事に気付いた梔子はようやく口を開いた。

「わ、私ですか!?」

「他に誰がいる? お前なら俺とアトの監視という名目で俺達の近くにいても怪しまれない」

「そして私の近くにいても、誰も不審がらないであろう?」

「そ、それはそうですけど」

 事前に打ち合わせでもしたのかと思う程に絶妙な言葉のコンビネーションを決められ、梔子はややたじろいでしまう

「……でも、今の私にそんな大役は――」

 確かにメッセンジャーとしてはこれ以上ない適任であろう。

 だがと、梔子はやはり躊躇ってしまう。



「梔子。今回の失態の件で自信なくしているのならそれは違うぞ」



「!」

 心中を姉に見透かされ、梔子は目を見開いてしまう。

「お前は私にとって誇りだ。自信など失う必要はない。失態などそれを超える功績で塗りつぶしてしまえばいいのだからな」

 月花はそこで言葉を区切ると、梔子の両肩に手を置いた。

「そしてその力がお前にはあると私は確信している」

「……お姉様」

 敬愛する姉。

 そんな彼女から向けられる自分への期待に梔子は胸が熱くなり、あんなにも大きかった不安が消えて行くのが分かった。

「だが行動するか否かを選ぶのはお前の自由だ」

「いいえお姉様、もう答えは決まっています」

「ほう?」

「やらせて下さい!」

 はっきりとそう言った梔子に、月花は試すように問いかける。

「確認だが、今までお前が経験したことのない困難な任務になるのは間違いない。それでもか?」

「はい!」

 だが梔子の答えは変わらなかった。

「私は必ずお姉様の期待に答えて見せます!」

「……そうか。あい分かった。では黒咲家当主として命じる――」

 そう言うと月花は姿勢を正し、






「黒咲 梔子よ。今日からお前はユウと





 どこか悪戯っぽい笑みと共に、その命令を下した。


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