第29話 異形


「俺の勝ちだ。金髪」



黒咲ユウがそう宣言したのと同時に金髪の身体に異変が起こる。

「ぐがあぁぁァァ!!!」

金髪の身体がボロボロと朽ち果てていく。

(一体、何が起こっているのですか!?)

そのおぞましさすら感じる光景に、梔子は再び混乱の坩堝に突き落とされる。

金髪が食らった場所は決して急所ではなく、致命傷などではなかった。

だが床に倒れ伏し、のたうち回る金髪を見る限り、彼の身に尋常ではない異変が起きている事は明らかだ。

「なにを、したぁ! 魔女の、弟子ぃぃぃ!!!」

「魔女の宿敵兼弟子だ」

涎と涙を止めどなく流し、これ以上ない無様な姿を晒す金髪に対して、ただ淡々と語る。

「お前は正常だよ金髪。その感覚を味わって正気でいられる奴の方が明らかな異常者だからな」

喋る黒咲 ユウの顔にはどうしてか自嘲じみた笑みが浮かんでいる。

「教えてやろう。お前が今感じているものは……死だ」

「!?」

梔子は自分の耳を疑った。

聡い彼女は察したのだ。

金髪の身に起きている異変の原因を――

「そういう……事か」

そしてそれは金髪も同様だったのだろう。

はっとした顔になると自らを見下ろす黒咲ユウを、彼は睨み付けた。



「死を与える……が、貴様の個有魔術の能力か!」



「……まあ、大体は正解だ」

「信じられん。そのような個有魔術が存在するとは――」

 梔子もおおむね金髪と同じ心境であった。

 個有魔術とはその人間だけの特別な魔術。

 とある高名な魔術使の論文には、『個有魔術とはその人間の心からの願いを体現している』と記されている。

(なら……)

 であれば、他者に死を与えるという個有魔術を発現させた黒咲 ユウは――

「筋金入りの人殺しか……」

「……」

 金髪の言葉に肯定も否定もせず、黒咲ユウは無言で肩をすくめた。

「満足したか? 俺の個有魔術の正体をずっと知りたかったんだろう?」

「ああ――同時に安心もしたよ」

「ほう?」

 下半身の右側が崩れ落ちながらも、金髪は立ち上がろうとする。

「これで貴様はもう敵ではない」

負け惜しみ……には聞こえなかった。

絶対的な自信を見せつけながら、金髪は立ち上がる。

全身を蝕む苦痛など大した事がないと言わんばかりに、不敵な笑みを浮かべる。

「覚えておくといい魔女の弟子よ。私にとって死とは終わりではなく、始まりなのだということを」

「どういう意味だ?」

「すぐに分かるさ」



「そう、すぐにな」



そう告げたのと同時に、金髪の身体は完全に朽ち果てた。

後に残ったのは、なにもない。

死体どころか、塵ひとつ残らなかった。




「……終わったんですか?」




しばらく周囲を警戒していた梔子であったが、数分経っても何も起こらない所を見て、恐る恐る尋ねる。

「どうだかな」

そんな梔子に黒咲ユウは頭を横に振るった。

「殺した手応えはあったが、あの物言いでは案外また――」

「また――なんですか?」

そこまで言いかけた黒咲ユウは何故かピタリと動きを止めた。

「どうしま――」

不審に思った梔子が彼に近付くと、

「げぼぁァ!!」

「黒咲ユウ!?」

黒咲ユウは吐血していた。

それも尋常じゃない程の量を盛大に。

「ど、どうしたんですか!?」

「気にするな」

咳と共に血を吐き出しながら、黒咲ユウは不敵に笑う。

「ただの、致命傷だ」

「いやそれただのじゃないですよ!? って、危ない!!」

崩れ落ちそうになる彼を抱き止めようとする梔子だったが、

「あらあら世話が焼けるわね」

それよりも先にいつの間にか移動していたベアトリーチェが抱き留めた。

「余計な、事はするなアト」

吐血しながらも、自分を助けた魔女に文句を口にしながらも、黒咲 ユウの吐血は続いた。

「はいはい。私が悪いから少し落ち着きなさいな」

「この程度、どうということはない」

「はいはい。どうということはないどうということはない」

強がりを見せる子供をあやすように、黒咲ユウの頭を撫でながら、ベアトリーチェは梔子に顔を向けた。

「気にしなくてもいいわナッシー。この子の負傷は自業自得なんですから」

「自業自得……ですか?」

「ええ。ダン自身の個有魔術の反動よ」

「個有魔術の反動……」

それなら梔子にも覚えがある。

強力で唯一無二な力である個有魔術だが、その特異性故に系統魔術よりも発動者に対する負担が大きい。

梔子も過去に一度個有魔術を過度に連続使用した時の反動で生死の境をさまよった事がある。

「ダンの個有魔術は強力すぎて、連続使用するだけでこうなっちゃうのよ……まあ、大したことじゃないわ軽症よ」

「ほ、本当ですか?」

「ええ。ちょっと内臓がぐちゃぐちゃになるぐらいだから」

「いやそれ大した事ですよ?」

どう考えても重症でしかない。

聞きながら、梔子は納得していた。

確かにあれだけの強力な個有魔術なら、それだけの反動があってもおかしくないかもしれない。

「本当に子なのよ……ま、そこが可愛いんだけどね」

「可愛い……ですか?」

ベアトリーチェの言葉にやや違和感を感じた梔子だったが、あえて指摘をしようとはしなかった。

「……人の秘密をぺらぺら喋るな魔女」

荒い呼吸をつきながら、苦言を口にした黒咲 ユウはベアトリーチェから身を離すと、ふらつきながらも自分の足で何とか立った。

「無駄口を叩く暇があるなら、さっさと梔子と一緒に黒咲 月花の所に連れて行ってやれ」

「くふふ。立っているのもやっとだというのに、自分よりもナッシーの事を心配するのね」

「……それは、どういう――」

どういう意味か分からずに、梔子が二人を見ていると、

「そこまで分かってるのなら、はやくしろ。」

「ええ。勿論そのつもりよ」

「……二人して一体何の話を――」

しているのかと問おうとした梔子は、気付いた。

最初に気付いたのは、物音だった。

金髪が死に、この場にいるのは黒咲 ユウとベアトリーチェだけのはずだ。

(そのはずなのに――)

だからおかしいのだ。

少し離れた所から異音がするのは。

(あ、れ?)

その時になってようやく梔子は気が付く。

鼻がおかしくなりそうな悪臭があることに。

(なんで私、気付かなかったの?)

どうして今まで気にならなかったのか、不思議な程に強烈すぎる悪臭。

それが漂うのは、上。

穴が空いていない天井。

そこを見上げ、



「ad■nnxlkpj◆m????」



の存在に気がついた。

「な……に?」

肉塊。そう表現するしかない程にその化け物は醜く、そしておぞましかった。

見るだけで気が触れそうになる造形の怪物は梔子と目が合うと、



「r6nn■nk3b■◆med!!」



触手のようなものを広げながら、彼女に向かって襲い掛かり――



「いやああああああ!!!!!」



梔子の意識はそこで途切れた。


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