第10話 姉との再会
孫氏いわく、戦いは始める前から決着がついている
正にこれがその例と言えるだろう。
(勝負は既に決まっていた)
戦闘を仕掛られると読んでいたユウは、移動と会話の最中に、自身の足元の地面に付与魔術の魔術紋をマーキングしていた。
その事に気が付かなかった梔子を責める事は出来ない。
ミスディレクション。意識を一方向に向けさせ、他の事から意識を遠ざける。
ユウの常套手段であった。
熟練の魔術使ですら騙すユウの手腕を、戦闘経験の少ない梔子に見抜けと言うのは酷な話であろう。
そもそも発動者の自分ごと爆発させる事が前提などというイカれた戦術を読むことなど誰にもできない。
私のように、事前に情報を持ってでもいない限りは……
ともあれこの瞬間、梔子は確かに敗北した。
だがそれは梔子だけに限った事ではない。
「月花……様?」
こうして爆発を別の空間に飛ばす為に、彼等の前に姿を現した私もまた敗者であった。
だから心の底からこう言うのだ。
五年前と同じように。
「してやられたな……流石は私の弟だ」
何もない空間からいきなり現れた少女に、俺は驚かない。
その少女が、爆発を別の空間に飛ばしてしまった事にすら、驚くべきことではない。
それが空間操作の系統魔術は彼女の最も得意とする魔術だったからだ。
だから両手をズボンのポケットに入れ、不敵な笑みを浮かべてやる。
「久し振りだな黒咲 月花」
黒咲家現当主。
(そして……)
かつての俺の姉だった人物にして、英雄にも匹敵する実力を持った魔術使。
俺がこの魔術学園都市で一番警戒しなくてはならない『敵』だ。
「昔のように、月姉とは呼んでくれないんだなユウ」
寂しげに笑うかつての姉に、俺は肩をすくめた。
「もうそんな風に気安く呼び合える関係でもないだろ」
今の俺達は停戦状態とはいえ、敵同士なのだから。
「そうか? 今でも私はお前の事を弟だと思っているぞ」
「……鉄心のクソ爺が聞いたら、烈火のごとく怒りそうだな」
「その点は心配ない。今ここを監視しているのは、信頼できる私の部下たちだけだ」
「信頼できる……か」
果たしてそれはどこまで信じていいのやら。
「何か言いたそうだなユウ」
「言いたくもなるさ。その信頼できる部下である案内人にたった今、殺されそうになったんだからな」
まあ、未遂で終わったがな。
「それは悪かったと思っている。まさか梔子がここまで思い切った行動を取るとは思わなかったからな」
「そうかい」
相変わらず、良くも悪くもお人好しだ。
「しかし、お前らしいと言えばらしいが、少しぐらい加減をしてやってもよかったんじゃないか? 私がいなかったら、死にはしないだろうが、梔子の足の一本ぐらいはなくなっていたぞ?」
「無茶を言うな」
むしろ足の一本程度で済む事を、感謝してもらいたいぐらいだ。
実戦は命の取り合いだ。
生きるか、死ぬか以外の末路などあり得ない。
「少々過保護がすぎるんじゃないか? 才能と実力があっても、経験がないのなら、それはただのガキだ」
「ガキ――ですって!」
「やめろ梔子」
手で制しながら、月花は俺に対して怒る所か、むしろ微笑んで見せた。
「変わらんなユウ。そうやって冷たい事を言いながら、本当は梔子の事を気にかけている」
「どこに気にかけている要素があった」
「あったさ。忠告は確かに受け取った。私の妹でありお前の妹でもある梔子には、今度いい経験になる実戦を用意しよう」
「な!?」
月花の言葉に過剰な反応を示したのは、妹と評された梔子であった。
「お姉様! いくらなんでもあの男が、私の兄なんてありえません!」
随分な嫌われようだな。
だがこれもまた俺の自業自得。
向けられる敵意は甘んじて受けるしかない。
「お前は誤解しているぞ梔子。ユウはお前の思っているような人間ではない」
「いいえこの男は外道です!!」
……正しい評価だな。
「絶花を裏切って、黒咲を――いや姉様まで裏切って!」
ああ、全て事実だな。
だが……
「それがどうした?」
「当事者でもないお前にとやかく言われる筋合いはない」
「なんですって!」
反応は苛烈だった。
顔を怒りで歪ませ、今にも飛び掛からんとする勢いで俺を睨みつけて来る。
……もう一押しと言った所か。
「私は黒咲家の人間です! あなたに何かを言う権利は十分にあるはずです!」
「お前が黒咲家だと? 笑わせるな。『黒咲』の本当の意味も知らないお前など、ただのクソガキだ」
「私のどこがクソガキだって言うんですか!?」
……そうやって、相手の挑発に簡単に乗る所だ。
「抑えろ梔子」
「無理です!」
再び月花から止められるが、今度の梔子は引き下がらなかった。
「あの裏切り者を今すぐ黙らせます!!」
一歩前に出て、俺に再び銃口を向ける。
「はあ……」
それを見た月花は溜め息を吐くと、
「
冷徹な声で警告した。
「え……」
梔子の顔が蒼白になる。
流石は姉上様と言った所か。
「な、なんでここにも!?」
「驚く事じゃない。ただ、ユウに読まれただけだ」
「読まれたって……私がここに移動するのが分かっていたとでも言うのですか?」
信じられないと言った風に梔子は月花と俺を交互に見る。
「そんな事、出来る訳が――」
「いいや出来るさ。私の弟――黒咲 ユウとはそういう男だ」
過去を懐かしむように、月花は微笑みながら俺を見て来る。
「私がお前を助ける為に姿を現し、そして挑発に乗ったお前がそこに進むのもあいつは読んでいた。覚えておけ梔子。お前の兄であり、先輩である男は誰よりも先見の明がある事をな」
(……買いかぶりだ)
そんなものが本当にあるのなら、俺は今姉と敵対などしていないだろう。
出来れば口に出して否定したいが、これ以上の会話は
「無駄話はこれぐらいでいいだろう」
いくら過保護な姉上様とはいえ、妹を見守る為だけに、わざわざこんなところまで来たりはしない。
そしてこの姉上様が、家族よりも優先することは一つしかない。
「絶花からの伝言を任されているんじゃないのか?」
……まあ、正確には絶花 鉄心からだろうがな。
「そこまで分かっているなら話ははやい。鉄心様はお前達に確認したいそうだ」
「……」
何が……とは聞くまでもない。
「あの列車占領事件は、お前たちの仕業か?」
五年ぶりにあった身内ではなく、絶花家に仕える従者として、黒咲 月花が俺を見る。
だからこそ、俺も魔女の宿敵兼弟子として答えた。
「あの一件に関して言えば、俺達はお前達と同じ立場だ」
「つまり、巻き込まれただけだと?」
「あんた達がそうなら、そうなるな」
「……分かった。信じよう」
「お姉様!?」
すぐに頷いた月花とは対照的に、梔子は納得できないと抗議の声を上げた。
「信じるのですかあの男の言葉を!?」
「信じるも信じないもない。言ったはずだ確認だと」
感情的になっている梔子を諭すように、月花は言葉を紡ぐ。
「鉄心様を始めとした絶花の方々もあの一件は魔女の仕業ではないという結論を既に出している。ならば従者である我ら黒咲はその決定に従うだけだ」
「それは、そうですが……」
「それに、私個人としてもあの一件はユウ達の仕業ではないと思っている」
「……それは、あの男を信頼しているからですか?」
「それもある」
「だが」と、月花は俺ではなく俺の隣にいるアトを見て苦笑した。
「五年前に世界に宣戦布告をし、全世界の魔術師達とたった一人で戦争をした魔女が、列車全体を人質に取るなど回りくどいやり方を好むとは思えないからな」
「くふふ、よく分かっているじゃない」
ああ、正解だ。
基本的にアトの奴は脳筋である。
戦闘でも俺のように小細工を弄する事はなく、攻めて攻めて攻めまくる完全なゴリ押しタイプ。
回りくどいやり方など、魔女が最も嫌う事である。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。初めまして黙示録の魔女――私は黒咲 月花。黒崎
「気にしなくていいわよ。五年ぶりの姉弟の再会なんですもの、そのくらいは待ってあげるわよ」
アトは制服の裾を掴むと、優雅に一礼した。
「初めまして。私はベアトリーチェ・アーリー。
月花とアトの視線が交錯する。それだけなのに俺は、何故かぞくりと背筋に悪寒が立った。
「お互い、色々と言いたい事はありますが、ここは抑えましょうか」
「ええ。あなたとは日と場所を改めて、二人っきりでじっくり語り合わないとね」
……おい。一体何をする気だお前ら。
問いかけたかったが、それが出来ない正体不明の迫力が二人の間にはあった。
「はい。では私達はそろそろお暇させてもらいます」
「あらあら。もういいの? もう少し弟と話したいんじゃないの?」
「私は楽しみは残すタイプなんですよ……あなたと違ってね」
「失礼ね。私も楽しみは取っておく方よ……大抵、我慢できなくなるけど」
それ一番駄目なタイプだぞアト。
「行くぞ梔子」
「しかし!」
「これは命令だ」
「……了解、しました」
渋々頷く梔子の肩に手を置くと、月花は俺を見てきた。
「一つだけはっきりと宣言しておこう」
「なんだ?」
「私は五年前の真実に辿り着き、必ずお前を取り戻す」
それは宣言というよりも、宣戦布告であった。
「……」
俺は何も言わず、ただかつての姉の言葉に耳を傾けた。
「それが私の勝利だ」
「覚えておけ」そう言い残し、月花と梔子はその場から消えた。
(真実か……)
そんなものはない。
必要すら、ない。
『裏切り者』は俺だけで十分だ。
「もういいわよダン」
二人の姿が消えた後、狙いすましたかのようなタイミングでアトがそう言ってきた。
「……なにがだ?」
察しの良すぎる魔女に辟易としつつ、俺はとぼける。
「今の私達は誰にも見られてないわ」
いや、そんなはずはない。あの絶花が休戦状態とはいえ俺達をノーマークにするはずなど……
そう思い、周りを見渡して気が付いた。
「……お前、何時の間に結界なんて張った?」
この廃墟……いや、この山全体にアトの奴の魔力を感じる。
「ついさっきよ。あの絶花のワンちゃん達が消えた直後ね」
「ノーモーションで大魔術を発動するな」
系統魔術の中でも結界系の魔術は大魔術に属している。
それを何の下準備もなしに一瞬で発動させられるのは、この魔女ぐらいだろう。
「大したことじゃないわよ。認識阻害と、防御強化と外側からの侵入を不可能にするだけの三つの結界しか張ってないわ」
「いやそれ大した事だからな」
大魔術を三つ同時発動なんて、真っ当な魔術使なら発狂ものの話だぞ。
「でもこれだと面白みにかけるでしょう? だから今から山ごと動かせるように改造し――」
「まじでやめろ」
現時点でやばいのに、これ以上とんでもない事をやらかしてどうする。
「絶花の奴等にどう説明するんだよ……」
「どうでもいいわ。私にとってあなた以上に優先することなんてないのだし」
「……」
「今ちょっと嬉しいと思ったんじゃない?」
「思ってない」
心底呆れただけだ。
(どうしてこいつは……)
俺みたいなクズに、そこまで肩入れするのだろうか? さっぱり分からない。
「そんなの惚れた弱みに決まっているじゃない」
「人の心を読むな」
「私ぐらいしか読めないのだから、少しは我慢しなさいな」
だからと、アトは微笑んだ。
「ポケットに入っている両手が震えているのもお見通しよ」
「……はぁ」
本当に嫌になる程に鋭い奴だ。
「分かった俺の負けだ」
ポケットに両手を突っ込んでいたのは、余裕を見せる為ではない。
かつての姉と再会しただけで、動揺する俺の軟弱な心を隠すためだ。
「やっぱり怖かったのね?」
「ああ。我ながら情けない限りだ」
こうなる事は分かっていて覚悟もしていたはずなのに、実際に会ったらこの様だ。
無様にもほどがある。
「そうでもないわ」
俺のポケットにアトは自らの両手を入れて来た。
「あなたが怖いのは、敵対すればお姉さんを傷つけてしまうかもしれないからでしょう?」
アトの少し冷たい手が、ポケットの中で痛い程に拳を握りしめていた俺には心地よかった。
「その優しさから生まれた恐怖は決して弱さじゃないわ」
「そうだといいがな」
「そう落ち込まないの」
「落ち込んでない」
ただ自分の弱さにうんざりとしているだけだ。
「そういうのを落ち込んでるっていうのだけどね……しょうがないわねダン。少し目を閉じなさいな」
「突然なんだ?」
「落ち込んでいるあなたに、いい物を見せてあげるわ」
「あ? だから俺は落ち込んでなんか……」
「いいから閉じなさい」
「……はい」
どうしてか俺はこういう時のアトに弱い。
自分でも驚くほどに、素直に言う事を聞いてしまう。
「いいわよ」
アトの声を聞き、瞼を開けると、
「……あ」
そこにはまったく別の景色が広がっていた。
桜の花びらが舞う美しく、幻想的な光景。
「アト、これ……」
一瞬、空間転移で別の場所に転移したのかと思ったが、違う。
後ろには廃墟がある。
つまり俺達は移動していない。
ここは先程と同じ廃墟の前だ。
なら、答えは一つで……
「枯れた桜の花を咲かせたのか?」
「ええ。魔力の乱れが原因なら、それを治せば元に戻るでしょう?」
「いや、その理屈はおかしい」
枯れた原因を治したとしても、既に枯れた花が元に戻る事はない。
ならば他にもアトの奴は何かをし――
「もう。また考えてる……難しく考えるのはダンの悪い癖よ」
「そうは言われてもなーー」
考えるなという方が無理な話だ。
「じゃあ逃げる?」
「え?」
「色々な事から逃げてもいいわよ。あなたにはその権利があるし、資格もある」
「別に私はそれでもいいわよ?」と、言ってくるアトに俺は首を横に振る。
「それだけは出来ない」
どんな惨めな姿になってもいい。だが自分から逃げる事だけは俺には出来ない。許されない。
「なら、分かっているはずよダン」
俺から離れると、アトは舞い散る花びらの下でくるりと一回転し、微笑みがら問いかけて来た。
「ねえ、これは綺麗?」
「……」
確かに綺麗だな。
だがそれ以上に、桜の花ビラと共にくるくると舞うアトが――
(……ああ)
確かに簡単な事だったな。
難しく考えているのは、俺だけだ。
綺麗なものは綺麗なのだ。
それは誰にも覆すことは出来ない。
物事も同じだ。やらなければならいことを否定することは決して出来ない。
(そうだ――)
俺がこの魔術学園都市に戻ってきたのは、五年前の決着を着けるためだ。
黒咲 ユウとしての最後の役目を果たしに来たのだ。
(それに立ち塞がるのであれば――)
誰であろうと叩き潰す。
たとえそれが、なんであっても。
『ユウ』
たとえそれが、かつての姉だったとしても。
(それこそが……)
生き残った俺のやらなければならいこと。
死んでいった『兄弟』達に出来る唯一の贖罪なのだ。
「迷いが吹っ切れたみたいね」
「……お陰様でな」
ああーーだから、俺も答えを返さなければならないな。
「アト」
「なに?」
自然と笑みをこぼしながら、俺は言った。
「綺麗だよ」
闘争は避けられない。近いうちに俺は今も『黒咲』であり続けている姉と戦う事になるだろう。
だが今は、その事を忘れる事にする。
「当然でしょ」
自分の宿敵であり師であり支えでもある少女と、笑いあう事にした。
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