第11話朝食

「起きなさいなダン」

 頭の中に沁み込んでくる澄んだ声に、意識が覚醒させられる。

「おはようダン」

「……」

「おはようダン」

「……」

「おは――」

「……おはよう。何度も言うな聞こえてる」

 朝は低血圧で目覚めが悪いのは、知っているだろうに。

「人間として朝の挨拶は大事よ。寂しいじゃない」

「下が本音だろう」

「あらあら不機嫌そうな声ね。今日から本格的に学生生活の始まりだっていうのに、冴えない顔だわ」

「……昨日の今日だからな」 

 少しは疲労も残っている。

 個有魔術を使用した腕も――戦闘に大きな支障はないだろうが、まだ本調子ではない。

 だがまあ、それはそれとして、

「……随分、綺麗にしたものだな」

 周りを見て俺は呆れ交じりのため息を吐く。

「俺の記憶が確かなら、昨日寝た時はまだ廃墟同然の部屋だったはずだが……」

 今俺がいるのは普通よりも少しいいレベルの部屋になっていた。

「なんということでしょう?」

「匠もびっくりすぎるわ」

 ……というか、寝ていたベットもキングサイズの豪華な物に変わっていた。

 道理で寝心地がいいわけだ。

「どうやったって聞くのは今更か」

 なんでもありだからな。この魔女は。

「建物全体の改築も終わってるわ。後で感想を聞かせてね?」

「……変な改築はしてないよな?」

「くふふ!」

「そこで意味深に笑うな」

 身体を起こし、ベットサイドに座る。

「ふぁ――」

 ああ、まずいな。眠すぎて欠伸が止まらない。 

「くふふ。可愛い欠伸ね」

「うるさい」

 眠い上に、昨日の戦闘の疲労がまだ残っている。

 本音を言うなら、今すぐ二度寝という名の休息をとりたいぐらいだ。

「……今、何時だ?」

「7時よ。始業式は9時からだそうだから、朝食を食べる時間は十分にあるわね」

「食欲がないから食べないっていうのはありか?」

「勿論なしよ。お母さんはあなたをそんな風に育てた覚えはないわ」

「お前のような母親がいてたまるか」

 ロリババアの母親なんて昔も今も流行らねえよバカが。

「今日は始業式のすぐ後に実技の試験があるらしいわよ? そんな調子で大丈夫かしらね?」

「戦闘には支障はない」

 精々、少しの間頭が本調子にならないぐらいだ。

「後でコーヒーくれるか? ブラックの濃い奴」

「りょうかい……あ、でもちゃんと服を着ていきなさいよ?」

「どうしてだ?」

 この魔女が今更俺の下着姿を見て、赤面するような可愛らしい反応をするわけはあるまい。

 となれば別の要因が考えられる。

「来客が来ているのよ」

 そう言ったアトは悪戯っぽく笑っていた。



「おはようございます」

「……」

 アトが作ったテーブル。その前に座っている相手に俺は無言になってしまった。

「なんでお前がここにいる?」

 黒咲 梔子。

 俺が知らない黒咲家の人間であり、姉上様の『妹』がそこにはいた。

「私が連れて来たのよ」

 澄まし顔でコーヒーの入ったマグカップを渡してくるアトに俺は仏頂面をせざるを得ない。

「……どういうつもりだアト」

「あら。もしかして二人っきりじゃない事が不満なのかしら?」

「そんな事はどうでもいい」

「さらりと酷いわね」

 知るか。今重要なのはどうして黒咲 梔子がここにいるのかだ。

「まさかお前、拉致ったのか?」

「あなた。私のことをなんだと思ってるのかしら?」

「魔女だな」 

 アトから受け取ったカップの中のコーヒーを喉に通しながら、俺はため息を吐く。

「どうせ強引に連れて来たんだろう」

「ひどいわ。ちゃんと平和的に交渉したわよ。ね、ナッシー?」

「誰がナッシーですか」

「梔子だから、ナッシーよナッシー」

「その呼び方は非常に不本意――いえ、言っても無駄ですか」

 うん。正しいぞナッシー。

 絶対に曲がらないからなうちの魔女様は。

「ええ、確かに実に平和的でしたよ」



 ジリリリと目覚まし時計がけたましい音を鳴らす。

「……うるさい」

 自分がセットしたとはいえ、安眠から起こされた梔子は微かな不快感を覚えながら、目覚まし時計のアラーム停止ボタンを強めに叩く。

「ふぁー」

 まだ寝ぼけた頭で二度寝の誘惑を拒みながら、ふらふらとした足取りで梔子は部屋にある浴室に向かった。

 パジャマと下着を脱ぎ、洗濯かごに入れると梔子は浴室に入る。

 浴室と言っても本当に狭い物だ。人が一人しか入れない浴槽に、シャワーと狭い洗場タイルしかない。

 だがそれは裏を返せば、余分な物がないという事だ。

 必要最低限しかない浴室を、梔子は気に入っていた。

「ふー」

 熱いシャワーを頭から浴びる。

 それを一分ぐらい継続すると、ようやく頭が本格的に動き出した。

「昨日は大変だったな……」

 事前に魔女と裏切り者である黒咲 ユウが来る事は知らされていたから覚悟はしていたが、実際はその予想を遥かに上回る忙しさだった。

 魔女信仰者による列車占領と、その後処理。

 魔女と黒咲 ユウの案内。

 そして黒咲 ユウとの戦闘。

(……いや)

 あれは戦闘と呼べるものではなかった。

 戦闘になる事もなく自分はあの男に敗北していた。

(屈辱です……)

 自分の魔術使としての実力に絶対的な自信があったわけではない。

 しかし一方的に後れを取る相手など、英雄や魔女。そして姉ぐらいの本物の化け物だけであろうと思っていた。

 そう思える程の努力はしてきたはずだ。

 だが、あの男にはその実力を証明する所か一切発揮できずに負けてしまった。

(悔しい……)

 心の底からそう思う。

 ここまでの敗北感を味あわされたのは、生まれて初めてだ。

 この雪辱は必ず晴らして見せる。

 自らにそう誓いながら、シャワーを止め、浴室を出る。

「あ」

 ……だが、そこで梔子は自らの失敗に気が付いた。

「タオル忘れた」

 寝起きで頭が働ないていなかった為、シャワーを終えた後に身体を拭くために必要になるタオルの存在を失念していた。

 しまった。タオルを置いてある場所にそのまま取りに行けば、部屋の床を水で濡らしてしまう。

 ……と、そこまで考えた時であった。

「はいどうぞ」

 タオルが手渡された。

「あ、どうもありがとうございます」

 渡されたタオルを受け取り、身体を拭こうとした所で梔子はようやく気が付いた。



「ベアトリーチェ・アーリー!!??」



 自分の部屋にいるはずのない魔女がいることを。

 距離を取り、臨戦態勢に入る。

 だがそれは気休めにもならない。

 武器すらもない状態で魔女に挑むなど、笑い話にすらならない。

 ……否。仮に武器を持っていたいたとしても自分では……

「安心しなさいな。あなたを虐めにきたんじゃないわ」

「なら……」

 一体何をしに――



「弄りにきたのよ」


 

 満面の笑顔でそう言われ、流石の梔子も絶句した。

「冗談よ……半分ぐらいは」

 残りの半分は本気ということだ。

「そもそもあなたはどうやってここに入ってきたんですか?」

 部屋の施錠はしっかりしていたはずだ。

 ……いや、それよりもまず警備が厳しい黒咲家の敷地内に入る事など不可能であ――

「あなた。私を誰だと思っているの?」

 ……そうであった。

 鉄心様やサヤ様、そして姉にも言われていた。

(魔女には常識が通用しない)

 自分達が不可能だと思っている事も、魔女の前では可能になる。

 そんなご都合主義を平然とやってしまうのが魔女なのだ。

「確かにそこそこ厳重な警備だけど、段ボールさえあれば、侵入するなんて朝飯前よ」

「……いや、なんで段ボール?」

 言われて見て見れば、魔女の近くに小柄な人間なら入れるぐらいの段ボールが置かれている。

「あなた知らないの? スニーキングには段ボールは必需品よ。どこかのミスター蛇も言っていたわ」

「初めて聞きましたよ……」

 黒咲家の人間としてその手の教育も受けたが、一度も聞いたことがない。

「そう。なら、今度あなたに丁度いい段ボールを調達してあげるわ。それで一緒にスニーキングしましょう」

「いりませんし、やりません」

 というか、本当に何を考えているのだこの魔女は。

「……それで、一体何の用ですか?」

 わざわざここまで来たのだ。まさか、何も用がないというわけはあるまい。

「ちょっとした提案なんだけど――」

 警戒する梔子に対して、魔女は母性すら感じさせる優しい微笑みを浮かべた。



「一緒に朝御飯食べるのと、ここら辺一帯吹っ飛ばされるのどっちがいい?」



「……という感じです」

「ね?」

「ね? じゃねえよバカ」

 やっぱり強引に連れてきたんじゃねえか。

「すまん。朝からうちの馬鹿が迷惑をかけたみたいで」

「そこはうちの嫁でもいいのよ?」

「うるさい黙れ」

「シンプルに罵倒されたわ……」

 朝一番からお前の色ボケに付き合ってられるか。

「下らねえ事言う暇があったらさっさと朝食をくれ」

「あらあら私よりも、ナッシーのことが気になるのね――浮気だわ。でも安心しなさい。私、そこら辺は寛容だから。ただし、エロい事する時は私も混ぜて3Pにしなさいね? ちょうどナッシーの巨乳を揉みしだきたいと思って――」

「さっさと行け!」

「言葉攻めね。魔女の業界ではご褒美よ」

 ようやくアトはキッチンに向かった。

「ほんとにすまん梔子」

 うちの馬鹿はあれが平常運転なのだ。

 生々しい下ネタとか大好きなのだ。

「無用な謝罪です。月花様の許可は得ていますから」

「……3Pのか?」

「殺されたいのですか?」

 軽い冗談のつもりだったのだが、ゴミを見るような目で見られてしまった。

(……いや、今のは俺が悪かったな)

 相手は年頃の少女。この手の冗談に強い嫌悪を占めすのは当然の事だ。

 この5年間はいつもアトの奴と一緒だったから、気を付けないといけない。誰もが魔女のように冗談にノリよい返しをするわけではないのだ。

「まあ、黒咲 月花の許可があるのはこちらとしても助かる」

 状況だけ見れば黒咲の関係者をほとんど拉致っているこのものだ。 

 見方によれば余計な混乱は招くことだってあり得る。

 その心配がないのなら、少しばかり気が楽になった。

「しかし、お前個人の予定は大丈夫なのか?」

 学生の1日は忙しいと聞く。

 それが『黒咲』なら尚更だ。

「それも問題はありません。元の予定でもここに来るつもりでした」

「……絶花からの命令か?」

 梔子がわざわざ嫌悪している裏切り者の俺と魔女のアトの所に来る要件などそれ以外にあり得ないだろう。

「はい。あなた達の学園での生活のサポート兼監視役を任されました」

「……お前が?」

「不服ですか?」

「いいや」

 少し意外だっただけだ。

 俺の手口を熟知している姉上様辺りにその役が回ってくると思っていたから。

「そう言えば、うちの魔女が勝手に張った結界の件、絶花はなんて言ってるんだ?」

「不問とするそうです」

「随分と優しいな」

 あの鉄心のクソ爺にしては、心が広い。

「この山の範囲であれば、そのまま継続して構わないそうです」

「いいのか? 何か悪だくみでも考えているかもしれないぞ?」

 俺ではなく魔女が。

「そんな事、絶花の剣である私達『黒咲』がさせません」

「そうか」

 絶花の剣……ね。

 本当はそんな綺麗な物ではないのにな。

「無論あなたの思い通りにもさせません」

「心外だな。俺はまだお前達と事を構えるつもりはないぞ」

「信じられません」

 ……即答か。

「月花様はあなたの事を信用しているようですが、私は信じません」

「そうか。なら、それでいいと思うぞ」

「……はい?」

 俺の返答が意外だったのか、梔子は眉をひそめた。

 いや、むしろそんな顔をされる俺の方が意外なんだがな。

「昨日会ったばかりの俺を信用しないのは当然だ」

 むしろ安心した。

 あのお人好しの姉上様の近くにはこれぐらい慎重な奴がいた方がいい。

「信頼してもらえるように、お前の信用はこれから勝ち取っていくさ」

 コーヒーを飲み干し、ようやく頭が本調子になった。

 ああ、そうだ……

「悪い。言い忘れてた」

「何をですか?」

 何って当然――



「おはよう梔子――今日はよろしく頼む」



 朝の挨拶だ。 

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