第9話 廃墟と銃口

 魔術学園都市の中でも中央にあるセントラルタワーの次に大きい建物はどこだと聞かれれば、誰もが迷わずに答えるだろう。

 学生達が通う校舎だと。

 日夜、まだ若い魔術師達がそこで研鑽と教養を積む為に建てられたそこはひどく広い。

 初等部に中等部、そして高等部全ての学生が通っているのだから当然と言えば、当然なのだが……

 そして俺達は今、その校舎の裏にある山の中にある建物の前に立っていた。

「……おい黒咲」

 目の前にある建物は建物と呼んでいいか怪しい物件であった。ガキの頃に路上生活をしたことがある俺なら暮らせない事もないが、今回はアトもいるのだ。流石にこれには案内をした黒咲の少女に、一言言わなければならない。

「なんですか?」

「お前はまず俺達に提供する建物――寝床に案内するんじゃなかったのか?」

「ここがあなた達に提供できる物件です」

 豪華な洋館……だったのだろう。

 おそらくかつて・・・は。

「……これがか?」

 今はどう見ても廃墟にしか見えない。

 この数年はろくに手入れをされていなかったのであろう。

 所々窓が割れており、雨風もまともに防げない有様だ。

 絶花に歓迎は決してされないとは思っていたが、まさかここまで露骨な嫌がらせをされるとは――

「不満ですか?」

「……不満でないわけがないだろう」

 悪質不動産でももう少しましな物件を紹介するぞ。

「ですが、あなた方が定時してきた条件は満たしています」

「それは確かに満たしてはいるが――」

 いくらなんでもこんな山奥の廃墟に住めと言われて、はいそうですか等と納得できるはずがない。

「しかしこれは鉄心様からのご命令でもあります」

「鉄心……絶花 鉄心か」

「はい」

 あのクソ爺か。

 恨まれているとは思っていたが、まさかここまで分かりやすい復讐をしてくるとは。

 暗躍主義で決して尻尾を出さないあの狸爺にしては珍しい。

(さて、どうするかな?)

 俺は呆れるだけで済むが、アトの奴は違う。

 ここまで露骨な嫌がらせをされて黙っていられる程、大人しい性格はしていない。

 まず間違いなく物理的な報復に出る。

 停戦の約束など知ったことかと言わんばかりに、舐めた態度を取った鉄心のクソ爺の元に直接『教育』に行きかねない。

「おいアト」

 釘を刺そうと思い、話しかけるが――

「いい場所ねダン」

「なに?」

 思いも寄らない言葉が返って来た。

「気に入ったわダン。ここにしましょう」

「い、いいのか?」

 誰が見ても最悪な物件だぞこれは。

「ええ。というか、私が住むのだったらここしかないわね……テツの坊やにしてはいい判断だわ」

「そう――なのか?」

 俺としてはどうしてそこまで好印象なのかが分からない。

「絶花のワンちゃん」

「……それって私の事ですか?」

「ええ。間違ってないでしょう?」

 悪びれもせず、アトが微笑む。

 犬と称された事に、黒咲 梔子は眉を潜めるが、すぐに今まで通りの鉄面皮に戻った。

「なんでしょうか?」

「桜の木はどうして枯れているのかしら?」

 ……言われて見れば、建物の周囲にいくつもの枯れた木がある。

 あれが桜の木なのか?

「私が知る限り、ここの樹は立派な大木だったはずだけど?」

「――私もはっきりとして理由は知りませんが、おそらくこの辺り一帯の魔力が不安定なのが原因かと」

「不安定なのか?」

 体感ではそこまで魔力の乱れは感じないのだが?

「計測できる程はっきりしたものではありません。本当に微々たるものです……我々人間にとっては」

「ああ、なるほど……」

 光合成と共に、大気中の魔力を吸収している植物は俺達以上に魔力と密接なつながりを持つ。

 故に少しの魔力の変化が、多大な影響を植物に及ぼすのは珍しくない。

 魔力枯渇した場所が不毛の大地になるのはそのいい例だ。

「……ん? なら、他の植物はどうして枯れてないんだ?」

 ここに来るまでに幾つもの樹を見かけたが、枯れるどころか立派に育っていたはずだ。

 この一帯の魔力の乱れが桜の木を涸らせた原因なら、あの樹も枯れているはずだ。

「あれは学園の運営が、直接手入れをしているから枯れないんです。校舎の裏側にある山が枯れた木ばかりでは見てくれが悪いですから」

「……」

 成程。校舎から見えない位置にあるここなら、誰の目につく事もないので放置した―― 

 確かに理屈は通っている。

 だが、どうしてか俺は違和感を感じた。

 俺の知る絶花 鉄心という人間は、不必要となったものはなんであっても躊躇いなく斬り捨てる人間だ。

 その男が、どうして誰も使うはずのないこの廃墟を壊しもせずに残していたのだ?

 そして――

「そう……誰の手入れもなかったのね」

 アトが複雑そうな表情で、枯れた桜の木を眺めていた。

 まるで過去を懐かしむように。

 己の罪を再確認するように。

「アト――」

 いや、やめておこう。

 ここで何があったのかは、本人が話すまでは待っておくべきだ。

 誰にでも、触れられたくない過去はある。

 空っぽだった俺にもあるのだから、魔女にだってある。

 だから今俺がするのは質問ではなく、確認だ。

「ここでいいんだなアト」

 いや――

「ここいいんだなアト」

「ええ」

 アトは頷いた。

 なら、俺の答えもたった今決まった。

「ここにする」

「……本気ですか?」

「ああ。魔女の我儘に付き合うのは慣れている」

 なに、ずっと昔はここよりも酷い所に住んでいた事がある。

 それに比べれば、建物の外観を保っているだけ、ここはまだマシだ。

「俺達はここに住む。絶花にもそう伝えておいてくれ」




「ここにする」

 何を言っているのか、正直理解できなかった。

 月花様から鉄心様からの指示を聞いた時は、正直正気を疑った。

 誰の目から見ても、これはただの廃墟だ。

 とても住めるものではない。

「……本気ですか?」

 思わず尋ねてしまう。

「ああ。魔女の我儘に付き合うのは慣れている」

 そう言って、黒咲 ユウは苦笑した。

「俺達はここに住む。絶花にもそう伝えてくれ」

 その笑顔は、どうしようもなく――

「分かりました」



 殺意が湧いた。



「でも――」

 これから行う事は明らかな命令違反だ。

 私はただの案内役。

 だが、それでも許せなかった。

 あの人を――月花様を傷つけて、平然とした顔で魔女と共にいるこの男が、許せない。

 だから――



「あなたを殺してからそうさせてもらいます」



 隙だらけな背中を晒していた黒咲 ユウに、私は銃を向けた。

「……まあ、そう来るよな」

 驚くどころか、予想していたと言わんばかりにため息を吐き、隣にいる魔女に目を向けた。

「察するに、魔女のお前と裏切り者の俺のやり取りが気に入らなかったようだな」

「隠し切れない相思相愛のラブオーラのせいね……分かるわ」

 ……ラブオーラは知らないが、そうやってすぐに二人の世界に入るのは妙に腹立たしい。

 だがこうして銃口を向けている理由は別。

「邪魔をしないで下さい魔女。あなたに危害を加える気はありません」

「見たら分かるわよ。でも、ダンは殺す気なんでしょう?」

「いいえ」

 ダンテ・アーリーなんていう後付けされた名前ではない。

「黒咲 ユウです」

 これから殺すのは魔女の弟子になった裏切り者だ。

(……そうよ)

 これは自分の為すべきことなのだ。

 かつてのこの男と同じで、黒咲の名を与えてもらった自分の。

「さっきは小太刀を使っていたのに、今度は銃か。忙しい奴だな」

「武器の選択肢は多い方がいい……私はそう月花様に教わりました」

「……懐かしい教えだ」

 銃口を向けられているのに、黒咲 ユウは落ち着いていた。

「質問なんだが、こうしているのはあの黒咲家当主様からの命令か?」

「いいえ。私の独断です」

 間違ってもこんな事を姉が命じる訳がない。

「ほう? なぜこんなことをする? 使命感からか? それとも私怨か?」

「両方です」

「正直者だなお前は――俺とは違って」

 振り返った黒咲 ユウの顔には、自虐めいた笑みが浮かんでいた。

「だが、そんな玩具で俺は殺せんぞ」

「玩具ではありません」

 この銃はただの銃ではない。

 任意で系統魔術を弾丸に込める事が出来る魔銃。

 そしてそれを自分専用に調整した特注品オーダーメイドだ。

 当然、弾は発射できるし、それよりも殺傷力が優れた魔弾だって使える。

「あなたはそんな事すらも分からないのですか?」

 だとしたら、失望だ。

 魔術使の武器となりえる魔装具の一種である魔銃の基礎知識も知らないとは。

「魔術使として失格ですね」

 このような男が、自分の前任者だったとは。

「魔術使失格なのは肯定するが――」

 構えられた銃を指さしながら、黒咲 ユウは目を細めた。

「魔銃製造の大手バレル社のNO29 アスタロト。それをカスタマイズしたその魔銃が、玩具ではないってことは否定させてもらう」

「!? あなた!」

「どうした? 何を驚く? 確かに、カスタムし過ぎて、原型とかけ離れているが、それぐらいは分かるさ」

 口ではそう言うが、簡単な事ではない。

 改造を繰り返したこの魔銃は本当に元の形状からかけ離れた物になっている。

 本来の外見的特徴はほとんどない。

 なので余程魔銃に対して精通してでもない限り、見ただけで分かるはずがないのだ。

「……魔銃オタクですか?」

「そんな大層なものじゃねえよ」

「ただ」と、ユウはまた自虐的に笑った。

「人を殺す道具全般に詳しいだけだ」

「……褒められ趣味ではありませんね」

 悪趣味極まりない。

 いや……

「殺人鬼のあなたらしいと言えば、らしいですね」

「……」

 肯定も否定もせず、黒咲 ユウは沈黙した。

「五年前もあなたはそうやって月花様の家族を皆殺しにしたそうですね」

 それだけではない。

「サヤ様のお父様も殺し、あろうことか、月花様すらその手にかけようとした!」

「……随分詳しいな」

「調べましたから」

「独断で……だろ?」

「……」

 その通りだ。

 何故か月花様は決して語ろうとはしなかったから。

 自分の前任者がいた事を知った時に、私は月花様に尋ねた。

 その男はどこにいるのだと。

 答える月花様は寂し気に笑った。



『いないんだよもう……私が弱かったから、いなくなってしまったんだ』



 そんなはずはない。

 『姉』は強い。

 魔術使としても、一人の人間としても。

 世界を救った英雄 絶花 サヤ様にも匹敵する器の持ち主だ。

 そう言った私に、姉はやはり笑っていた。



『いいや。私なんかよりもユウの方がずっと強かったさ』 



(そんなはず……ない)

 絶対に。

 ありえない。

「あなたのような裏切り者が月花様の前に立つことなど、この私が許しません」

「お前の姉への想いが強いのは、よく分かった」

「だがな」と、黒咲 ユウは梔子の地面を指さした。

「少々迂闊すぎるな。足元に気を配れないとは」

「!?」

 反射的に飛びのく。

 後方に距離を取った私の目に映ったのは、先程まで足をつけていた地面に施された魔術紋であった。

 それに気が付いた時はもう手遅れで――



「エンチャント・エクスプロージョン」



 発動した魔術の爆発によって私の身体は吹き飛ばされた。

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