第56話 彼女が変わらなかった訳。


 わたしがしたいことはなんだった。誰かを傷付けることじゃないと言うことは断言できる。

 わたしが求めたものはなんだった。幸せになるために必要だったことだと断言できる。


 そうだ。わたしはいつだって、良くなる方向に歩いて行こうとしていた。



 あの時、あの子と出会って自分が何者だったのかを思い出した。


 最初は興奮した。でもすぐに自分がどう言ったものに成ってしまったのかを分らされて、すごく落ち込んでしまったことを覚えている。


 そこで少し箍が外れてしまった。こうなったら、自分のやりたいようにやってやればいいんだなんて格好つけた事を考えるようになった。


 ヒロインがいるのなら、ライバルだっている。


 そしてその取り巻きももちろん存在している。


 ただの取り巻きその1で終わってしまうくらいなら……悪者にだってなってやる。


 そんなバカみたいな宣言をしたっけ。



 でも、実のところそう口にしながら明後日の方向に向かった努力しかしていなかったことには自覚があるのだ。


 ヒロインと出会った時、悪役令嬢に出会った時。わたしは結局流されるままで何も出来ていない。むしろ彼女たちとの出会いに満足して、彼女たちの人となりを知っていく内に何も出来なくなってしまった。




 ……違うな。何も『出来なくなった』じゃなくて、何も『したくなくなった』んだ。


 あまりに彼女たちと過ごす日々が楽しくて、愛おしく思えてしまったから。

 いつまでもこの優しい時間に留まっていたいと、思ってしまったから。



 わたしの幸せの時間はきっとこの時なんだと、直感してしまったから。

 だからわたしは停滞を選んだ。何も変えずに、わたしも変わらずに、そして気付かないように。


 それが一番の幸せだって、そう思い込んだまま、わたしは全てから目を逸らすことにした。



 でもわたしが目を逸らし続けたって変わるものは絶対にある。



 結局わたしは、今になってそれを公開してしまっているのだ。





 何時ものように、お屋敷から持ってきたソファに膝を抱えながら座った。習慣になっている行動だからだろう、自分でも気付かぬ内にそうしていた。どんなに落ち込んだ時だって、いつもと変わらぬ動きをしていることにわたしは思わず苦笑してしまった。


 翳りゆく廊下でハルカさんからのあの言葉を聞いてからこっち、ずっと感情にポッカリと穴が開いてしまったように感じていた。


 あのストレートな言葉。わたしではきっと口に出来ない素敵な言葉だ。


 でもあまりにその言葉が眩しすぎて、何も言えなくて彼女の背を見送るしか出来なかった。


 そんな自分が不甲斐なくて、ただぼんやり暗闇で全てが染め上げられた世界をじっと見つめていたときに、あの子がようやくやって来てくれた。


 そうしてようやくわたしは自分のお部屋に帰ることが出来た。


 自分で動きだすには、取り残されたあの廊下はあまりに暗く、あまりに心細すぎたから。


 少し心細くなったせいか、キュッと胸を締め付ける痛みに似たものに顔を歪めるとあの子が足元までやってきていた。

 わたしの前で小首を傾げる仕草があまりに愛おしく思い、そっと撫でて見ると、手に伝わってきたのは数年に渡って感じ続けてきた毛並みの柔らかさと暖かさだった。


「ねぇ、どうしたらいいいかな?」


 ポツリと、そう切り出していた。

 自分でもびっくりした。聞くつもりもなかったのに、この子がそばにいるだけで安心してしまって口が緩んでしまったのだろう。


「ちが……うぅん、そうじゃないや。本当に、どうしたらいいか分かんないや」


 弱気の言葉だった。そんな言葉を吐いてどうして欲しかったと言うことはない。


 でも何時ものこの子ならわたしを慰めてくれる。そんな淡い期待もあった。


 でも彼女はただこちらに視線を送るだけ。


 いつもは騒がしいくらいに様々な色を見せる瞳の色が、今は全く何も感じ取ることが出来ない。


「……ねえ、わたし。どうしたらいいか分かんないや」


 また繰り返して、わたしは顔を伏せた。

 この子が何も言ってくれないのにはきっと理由がある。


 今はとにかく自分の頭を動かし続けるしかない。



 でも、今くらいは弱音を吐いたっていいよね?


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